2016/11/17

【更新しました!】Book Reviews『盗まれた廃墟−−ポール・ド・マンのアメリカ』


『盗まれた廃墟−−ポール・ド・マンのアメリカ』
The Barren Land of Figures: Paul de Man and America
巽孝之
四六判 / 222ページ
彩流社 / 1,800円 + 税
2016年05月23日
*彩流社による本書詳細

今年刊行された先生の新著『盗まれた廃墟』。今週の『図書新聞』(2016年 9月 17日)では土田知則先生(千葉大学)が、先月の『週刊読書人』(2016年 8月 5日)では下河辺美知子先生(成蹊大学)が、書評を寄せられています。また、アマゾンの本書ページには、カスタマーレビューが投稿されています。今回はそれら抜粋をお届けいたします!(※ 2016/11/17 『三田文学』秋季号掲載・安部農氏による「修辞学の企て」を加えました)

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ベルギーからアメリカに渡り、「イェール学派」(アメリカ脱構築派)の領袖として輝かしい業績を残したポール・ド・マン(1919-1983)の足跡を主要なターゲットに据えた本書は、2014年にド・マンの元同僚イヴリン・バリッシュが発表した大部の伝記『ポール・ド・マンの二重生活』を批評的に参照しつつ書かれた、まさに画期的な精査の書物として位置づけることができる。(略)だが、本書は、今まで詳らかにされてこなかったド・マンの「アメリカン・コネクション」に関して、驚くほど詳細な記述を提供している。そして、そこから見えてくるのは、新天地アメリカで必死に生き延びようとしたド・マンという一人の人間の姿にほかならない。母国での挫折を清算した一介のベルギー人が、新大陸アメリカでイェール大学教授というアカデミズムの頂点にどのようにして登りつめたのか、という謎めいた問いが、著者の関心と議論を常に支えているのだ。とはいえ、それは、先達バリッシュの仕事を単純に引用・継承するという形で提示されているわけではない。経験や調査に裏づけされた著者自身の豊富な知見や想像力が、四部から成る本書に、バリッシュの一貫した暴露的、、、記述とは異なる射程と、今後のド・マン研究に寄与する多角的な視点を供給しているからである。−−−−土田知則「斬新で刺激的な議論−−ド・マンの「アメリカン・コネクション」に関して、驚くほど詳細な記述を提供している」『図書新聞』( 2016年 9月 17日)

1983年に没した脱構築批評の中心人物の一人ポール・ド・マンという固有名詞が、2016年の今日においてなお、文学批評の世界に亡霊のように存在し続けるのはなぜか?日本の批評界をリードしてきたアメリカ文学者・巽孝之の新著が、明解な答えを提示してくれた。「ポール・ド・マンにとってアメリカとは何であったか」という問いに答えるべく書かれたこの本が、その目的を果たしたばかりか、亡命者ド・マンを受け入れたアメリカという国の本質までをも見事に浮き上がらせたのだ。(略)反ユダヤ主義の記事やヨーロッパに妻子を置いたままアメリカで結婚したことなどが暴露されたいわゆる「ド・マン事件」の後、アメリカでのド・マン評価は、極端な拒否と盲目的崇拝のどちらかに分かれていた。そんな中、日本人研究者巽孝之は、どちらの立ち場をとることもなく、事実を事実として見据えた上で、ド・マンの言ったこと(嘘)、やったこと(隠喩的な盗み)を、戦争がもたらした廃墟の中で生き延びるための行為と解読し、歴史の流れの中にただよう一人の人間の姿を示したのである。一方、ド・マンを受け入れ、彼が自己を再創造する場を提供したアメリカは、「全体主義国家の廃墟へいったん失墜したイカロスが、まったくあらたな翼を得て飛翔する」舞台だったのである。いまだド・マンについて十分に語れずにいるアメリカの研究者たちにもこの本を届けたい。生前のド・マンと近かったが故に凍りついている彼らの記憶を解きほぐすきっかけを、本書は提供することになるであろう。−−−−下河辺美知子「これまでになかった立体的ド・マン像を出現させる」『週刊読書人』( 2016年 8月 5日)

巽先生の掲題の著書を拝読。思うところを思うままに、とは言へ此の博識に裏打ちされた本を全面的に論じることなどとても私にはできませんので、やはりこうなれば安部公房の力を拝借して、安部公房の世界から眺めたら、一体ド・マンの世界はどのように見えるかということを書いてみたいと思います。(略)ド・マンが、故郷ベルギーを「文書捏造、詐欺、横領によりド・マンに五年の禁固刑および罰金という」罪を逃れてアメリカに逃亡したのは、イヴリン・バリッシュの書いた伝記の題名が『ボール・ド・マンの二重生活』とあるように、全く二重の、または二重に、裏返しの関係を故郷に対して持ち、また文学、特に隠喩に対して持っているということになりましょう。象徴的な言葉で書かれた、隠喩が隠喩の域を超え、隠喩が隠喩ではもはやなくなるまで言葉を使うヘルダーリンを、この詩人の回帰という主題と相俟って、ド・マンが論ずる十分な理由があるのです。(略)本来は論理に徹して思考すれば差異をバロック様式の問題として論ずることになるものを、そうではなく、差異をロマン主義的に、即ち一言でいえば、ロマン主義とは、青春を歌うことですので、それが過ぎた青春であれば、否青春は常に過ぎるわけですが、それを単に懐古するのではなく、常に現前するものとして歌うことを、ド・マンは愛し、そして其の愛を批評し批判するのでしょう。−−−− Abe Kobo’s Place(安部公房の広場)「巽孝之著『盗まれた廃墟 ポール・ド・マンのアメリカ』を読む」( 2016年 7月 12日)

ジャック・デリダの脱構築概念に触発されて独自の理論を練り上げた学者批評家の数奇な歩み。ベルギーからアメリカに移住したド・マンは、ヴォネガットやピンチョンなど 1960年代以降のポストモダン文学と同伴し一大学派を築く。だがその死後、反ユダヤ的な対独協力の過去が批判された。ド・マンの批評理論も紹介しながらアメリカの社会や思潮とは何かを読み解く。−−−−『中日(東京)新聞』( 2016年 7月 3日)

なぜ、いまになってポール・ド・マンなのか、正直いってそのことがかならずしもよくのみこめません。(略)ともあれ本書は、いっぽうで文学(批評)史と政治史とのあいだに相同性を読みとること、他方おびただしい数の固有名を列挙羅列して文学(批評)史のあらたな見取り図、地勢図、系譜図をうちたてること、といったこれまで著者がその能力をいかんなく発揮してきた批評スタイルと方法論が変わらず駆使されて書かれた本といえます。−−−−アマゾンカスタマーレビュー「なぜいまド・マンなのでしょう」 ( 2016年 7月 13日)

本書はド・マン理論とその影響を、先行する文学研究や、亡命当時から主著が書かれた 70年代に至るアメリカという言説空間(政治的・社会的・文学的環境があまりにも同義的かつ両義的に混在する)を分析することで、20世紀後半の思想=言説状況において改めて位置付けようという試みである。そしてド・マンの死後におけるその継承や展開にも触れ、ド・マンのもたらした問題提起が、今なお同時代的(アクチュアル)なものであることを十分に示している。わずか 220ページに集約された内容は濃い。亡命直後のド・マンの「政治的」振る舞いは決してほめられたものではないが、まるでバルザックかスタンダールに出てくる人物のような俗っぽさもまた、現代の日本において少しも彼岸のものとは思えない。「いまさら」でも「ようやく」でもなく、「いまこそ」ド・マンが論じられるべきなのではないだろうか。−−−−アマゾンカスタマーレビュー「「いまさら」ではなく、「いまこそ」論じられるべきド・マン」( 2016年 8月 13日)
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※更新しました
第三部では、ド・マンとアーレント、ふたりのアメリカ亡命を手助けしたフェミニスト作家・批評家のメアリ・マッカーシーが重要な位置を占めている。著者が注目するのは、彼女の著作で、チャプターのタイトルにもなっている『鬱蒼たる学府』、そしてその主人公ヘンリー・マイケルヒーが抱く「換喩的衝動」だ。「換喩的衝動」とは、著者によると「原因と結果の逆転、記号表現シニフィアン記号内容シニフィエの因果律逆転」のことであり、より簡単にいえば、要素を入れ替え物語を作り上げる欲望、ということになる。事実、小説のなかでマイケルヒーはこの衝動に従って、自身が教職をおわれることになった理由を聞こえの良い物語にでっちあげる。しかし、著者はこの衝動を単なるフィクションだとは考えない。なぜなら、アーレントの全体主義研究における指導者像が、まさしく「換喩的衝動」を駆使する雄弁家だからだ。そこで入れ替えられるのは「事実」と「虚構」であって、できあがった耳あたりの良い物語によって煽動されるのは、ひとりひとりの国民という生身の人間たちだった。(略)本書は今日的な「廃墟」にあって、かつてのド・マンが提示した転回を再度起こそうとしている。つまり、アーレントを仲介して現実に開かれたド・マンの思想を論じることで、私たちの置かれている「現実」と言説の「廃墟」の関係に注視し、脱構築しようとする換喩的メトニミカルな企てなのである。であるなら、本書は単なる閉じられた文芸批評の書物などではない。そうではなくて、今日の諸現実、私たちが向かいあわざるをえないこの現在について、大きなインパクトをもって疑義を呈する、まさしく「今」を思考するための開かれた書物なのである。−−−−安部農「修辞学の企て」『三田文学』第 95巻 第 127号 秋季号( 2016年 11月)

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The Barren Land of Figures: Paul de Man and America


【目次】 はじめに

第一部 盗まれた廃墟――アウエルバッハ、ド・マン、パリッシュ
  第一章 戦場のディコンストラクショニスト――暗号学と文献学
  第二章 修辞学の復権――または荒野に棲む魑魅魍魎
  第三章 ミメーシスの逆説――または「文学Z」の野望

第二部 水門直下の脱構築――ポー、ド・マン、ホフスタッター
  第一章 陰謀理論から反知性主義へ
  第二章 「盗まれた手紙」論争再考
  第三章 盗まれたテープ、盗まれたミサイル 
  第四章 真実の夢盗人  

第三部 鬱蒼たる学府――アーレント、ド・マン、マッカーシー
  第一章 イスラム国時代のアイヒマン 
  第二章 ある亡命ジャーナリストの肖像 
  第三章 リヴァーサイド恋物語
  第四章 アメリカ大学小説の起源――『鬱蒼たる学府』を読む 
  第五章 イカロスの帰還 

第四部 注釈としての三章――ガーバー、水村、ジョンソン
  第一章 箴言というジャンル――ソーカル事件の余白に  
       1 あるダンディの秘訣 
       2 不愉快な嘘か、難解な真実か 
       3 ファッショナブルの文学 
  第二章 アレゴリーはなぜ甦る――水村美苗のポール・ド・マン 
  第三章 人造美女の墓碑銘――バーバラ・ジョンソンの遺言 
       1 アメリカ的批評のスタイル
       2 墓碑銘文学の伝統
       3 モーセの娘たち 
おわりに
索引
ポール・ド・マン関連年譜


【関連リンク】

【関連論文(CPA英語論文アーカイブより)

【関連書籍】


巽孝之『メタファーはなぜ殺される』 (松柏社、2000年)

巽孝之『メタフィクションの思想』(『メタフィクションの謀略』、筑摩書房、1993年/筑摩書房、2001年)

ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー』(岩波書店、2012年)

土田知則『ポール・ド・マン』(岩波書店、2012年)