2021/07/15

07/31: 科研費研究会「ナサニエル・ホーソーンの二つの時間」オンライン開催のお知らせ(18:00-20:00)

 7月 31日(土)、巽先生が研究分担者のお一人としてたずさわる科研費研究会「メイフラワー・コンパクトにおける排除/包括の理論と環大西洋文化の再定位」が下記のとおりオンラインにて開催されます。今回は、諏訪部浩一先生(東京大学)によるご講演「ナサニエル・ホーソーンの二つの時間」が行われます。ご関心のある方は、ぜひご来聴ください!



科研費研究会
ナサニエル・ホーソーンの二つの時間
講師:諏訪部浩一(東京大学)
日時:2021年 7月 31日(土)18:00-20:00
研究代表者:下河辺美知子(成蹊大学)
研究分担者:巽孝之、舌津智之(立教大学)
※ Zoomによるオンライン開催
※ 参加ご希望の方は、mayflower.compact.41★gmail.com(★→@)小泉までメールでお申し込みください。

【概要】※フライヤーより抜粋
本基盤研究(B)はメイフラワー・コンパクトが内包していた「排除/包括の理論」をさぐることによって、環大西洋文化を再定位し、アメリカ中心に進んできたグローバリゼーションの向かう方向を、環太平洋的視座も連動させつつ見定めることを目的としている。

ナサニエル・ホーソーンはアメリカ小説の発展にさまざまな形で寄与した作家であり、そのような作家の代表作『緋文字』が、植民地時代のアメリカを舞台とした「歴史ロマンス」であることは興味深い。

19世紀半ばの『緋文字』に、そしてその主人公達に「近代小説」的な特徴があらわれても不思議ではない、とひとまずはいえるだろうか――ピューリタンに「近代人」の、彼らの作った共同体に「近代国家」の祖型を見ることが可能ならなおさらである。だが、理屈としてはそうだとしても、「歴史」に材をとった作品が、そのまま「近代小説」になるわけではない。17世紀の人間は 19世紀の人間とはやはり違うのだ。ホーソーンにとって、そうした歴史の<他者性>への意識と「ロマンス」という形式の選択はおそらく通底しているはずである。ホーソーンのピューリタン共同体に、アメリカ的な「排除/包括」の論理がリアルに感じられるとすれば、それはきっと、この作家にとって「歴史」があくまで理解しがたい<他者>であり、それゆえに肉薄せねばならなかったためだろう。

本発表では、ホーソーンの「歴史もの」に 17世紀と 19世紀という「二つの時間」が流れていることを数編の短編などに触れながら確認し、それが『緋文字』という「悲劇」と、その主人公達の主体性のあり方にどのように反映されているのかを見ていきたい。


【関連リンク】

【関連書籍】




諏訪部浩一『「マルタの鷹」講義』(研究社、2012年)






諏訪部浩一責任編集『アメリカ文学入門』(三修社、2013年)



フォークナー著、諏訪部浩一訳『八月の光』(岩波文庫、2016年)




フォークナー著、諏訪部浩一訳『土にまみれた旗』(河出書房新社、2021年)