2015/03/07

2015/03/07:日本ペンクラブ女性作家委員会研究会「見えないけど見える―女性と3・11」レポート(巽研究会四年:池谷有紗さん、大木克之さん)

CPA Reports
日本ペンクラブ女性作家委員会研究会
「見えないけど見える―女性と3・11」
2015年 3月 7日(土)15:00-17:00 @日本ペンクラブ 3階大会議室
出演:小林エリカ、 ni_ka、小谷真理、巽孝之 


【CONTENTS】
  • 見えないけど忘れたくないもの(池谷 有紗 / 巽研究会4年)
  • 震災と藝術、震災と青年(大木 克之 / 巽研究会4年)
  • 関連リンク
  • 関連書籍

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見えないけど忘れたくないもの
池谷 有紗(巽研究会 4年)


去る 3月 7日の土曜日、日本ペンクラブ主催の「見えないけど見える—女性と 3.11」が開催されました。巽先生、小谷先生の進行の元、AR 詩やモニタ詩の先駆者であるアーティスト兼詩人の ni_ka さん、そして、2014年度芥川賞・三島賞両賞最終候補に選出された実績も持つ作家兼マンガ家の小林エリカさんによる、約 2時間に及ぶ非常に有意義な時間を過ごさせていただきました。

大切なものは目に見えない  (サン・テグジュペリ『星の王子様』)
見えぬけれどもあるんだよ 見えないものでもあるんだよ (金子みすず 『星とたんぽぽ』)

世界から愛される絵本「星の王子様」、そして日本を代表する詩人のひとりである金子みすずの詩におけるいずれも有名な上記のフレーズは、私が小学生の時から大切にしている大好きな言葉です。

では「目に見えないもの」とは一体どんなものなのか。それには本当に多くの解釈、意味付けが可能ですが、今回講演で伺ったお二人における「目に見えないもの」とは、「目に見えない、それ故に人が簡単に忘れてしまいがちになること、でもそういうものこそが私たちにとって、とても重要で大切なものだったりする」という共通の意味合いを持ちながら、表現方法においては全く異なるものであり、かわいらしいお二人の見た目からは想像のつかない程に、斬新で、驚かされる話の連続でありました。

3.11以降、ni_ka さんが発表する詩の意味合いに変化が訪れたという話が印象的でした。空間に浮遊する、目には見えないたくさんの方々の記憶や儚い気持ち、祈りなどを他者のノイズとして拡張現実技術で表現する「AR 詩」。言葉を再認識するツールとして、絵文字やデコ文字を浮遊させるという独特且つ革新的な形式を取っている「モニタ詩」。いずれも、時が経てば風化されてしまいがちな、うまく言葉で表せない感情・記憶を、ビジュアル化することで具現化できるもの。従来の表現の枠を超えた、デジタル化社会の現代だからこその表現方法である点が、私には非常に新鮮でした。とはいえ、昨今、EMOJI 文化が世界で評価されるようになったり、多彩な表現のスタンプでコミュニケーションが取れる LINE が普及していることを考えれば、充分納得できるものでした。3.11を始めとする歴史的な大事件から、日常の些細なことまでにおける、その時々の忘れたくない気持ち・テンション・頭に浮かんだイメージを曖昧な表現のツールを使い、可視化することで、否定でもなく肯定でもない視点から、世に残すことができる。これは正に、ハッキリとものを言うことを好まない日本人にはピッタリの「記憶の記録」なのではとも思いました。

また、小林エリカさんのお話の中にあった「放射能が目に見えない故に簡単に忘れてしまうことがあるのでは」という彼女の疑問は、ni_ka さんの思考の軸と少なからず結ばれているように感じました。

キュリー夫人が、純粋ラジウム塩の放つ青白い光を、綺麗な「妖精の光」と思い枕元に置いて寝ていたという話には、思わず目を丸くさせてしまいましたが、それ程に人を惹きつける美しさを持つ一方で、人の体をむしばむ作用も持つ…まるで男性にとってのファムファタールのようだ…と思いました。キュリー夫人がラジウムを発見してから 100年以上が経つ現代においては、「放射能」というと、広島・長崎における原爆、チェルノブイリや 3.11以降の原発問題というイメージが浮かび、ネガティヴなイメージを多くの方が持っていると思います。少し個人的な話になりますが、2013年の 1月末に白血病を患い、その治療の一環として、私は骨髄移植のための「放射線治療」を行いました。そのお陰で現在、再び生かされている自分がおり、それまで私が抱いていた恐ろしいイメージだけでなく、「命を救ってもらったもの」というポジティヴなイメージも今では持つようになりました。「危険だけれども、美しい」、「命を奪うものであり、命を救うものである」。そんな実に様々な顔を持つ放射能を、エリカさんもまた、「否定でも肯定でもない」という観点から、放射能を描き、「目に見えない、けれども見える」という新たな顔を与えることで、人々が忘れぬように活動されている点に感銘を受けました。

「目に見えないことこそ忘れてはいけない」。このメッセージをお二人のお話から改めて痛感したと共に、小学生の私よりもより深くあの大好きなフレーズを理解できている自分が今ここにいることを嬉しく思います。

最後に、この様な大変興味深いイベントに、そして由緒ある日本ペンクラブへ足を運ぶきっかけを下さった巽先生に感謝致します。



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震災と藝術、震災と青年
大木 克之(巽研究会 4年)


小林エリカさんと ni_ka さんの話をきいていると、3.11と藝術家ということを考えずにはいられなくなった。小林さんは震災を、放射能を、小説創作のエネルギーとした。そして『マダム・キュリーと朝食を』は芥川賞候補になった。ni_ka さんも、とりつかれたように AR 詩を作りだしていったという。やむにやまれぬ思いが藝術に昇華する姿はうつくしい。では、藝術家でないぼくは、何をしたか。何を感じたか。

東北の震災のとき、ぼくは二十歳だった。二十歳になったばかりだった。そして三年目の浪人生だった。正確にいうならば、全く勉強をしない二浪目が終わり、三年生になろうという頃だった。むかし、フランスの小説家が二十歳という年齢について美しいとはいわせないとかいっていたけれど、そんなことはだれよりもわかっていた。いうまでもなく、投げやりで、自暴自棄で、蓮っ葉で、自堕落で、そのくせ楽観的で、自信過剰で、夢想家で、つまりはなさけのない青年だった。旧友はみな大学に行き、彼女をつくり、セックスをしていた。ぼくはセックスをしていなかった。月に十冊くらい小説を読んだ。車谷長吉の『贋世捨人』と安岡章太郎の『ガラスの靴』になぐさめられた。大丈夫だ、大丈夫だと、じぶんにいいきかせた。二年前に起きた秋葉原の事件を、ぼくはよく憶えていた。
 
テレビで津波をみた。小川国夫の小説に、波を馬の駆ける姿の隠喩で描写しているのを思い出した。馬が、数えきれないくらいの巨大な黒い馬だった。ぜんぶのみこまれ、ながされていった。馬はどこかに行ってしまった。死体が沖に数百浮かんでいると、レポーターは伝えた。ぼくはそれを脳裏にえがいた。みな沈まずに浮いているのだった。小説のようだと思った。数日たって、爆発して、放射能がもれた。管首相は、東電をどなって、国民にどなられた。現場で活躍するたたき上げのヒーローが登場した。ぼくはそのひとをヒーローには思えなかった。ガイガーカウンターをつかって放射線量がわかるとアナウンサーがいった。母が買ってこようかしらといった。岩手の医科大学に通う知人と連絡がとれなくなったと、連絡がきた。シカトした。スーパーから水がなくなった。父が懐中電灯の電池を入れ替えた。外国人が日本人を称賛した。韓国よりも、中国よりも、台湾のほうが寄付金が多かった。大学の入学式がなくなった。ざまあと思った。

ぼくの英語の参考書はまっしろで、単語帳はすこしだけ汚れていた。石原慎太郎の『わが人生の時の時』にはいってる短編に、生の優越ということばがあった。ぼくは生きていると思った。大学に入って、はやくセックスをしようと思った。ぼくは、勉強をはじめた。

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【関連リンク】

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【関連書籍】
日本ペンクラブ編、巽孝之、小谷真理寄稿『いまこそ私は原発に反対します。』(平凡社、2012年)


日本ペンクラブ編、巽孝之、小谷真理寄稿『それでも私は戦争に反対します。』(平凡社、2004年)


巽孝之 × 小林エリカ対談所収『すばる2014年10月号』(集英社、2014年)


小林エリカ『マダム・キュリーと朝食を』(集英社、2014年)


小林エリカ『光の子ども』(リトル・モア、2013年)


小林エリカ表紙デザイン、巽孝之著『メタフィクションの思想 (ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2001年)


小林エリカ表紙デザイン、巽孝之・宮坂敬造・坂上貴之・岡田光弘・坂本光編『幸福の逆説』(慶應義塾大学出版会、2005年)


ラリイ・マキャフリイ著、巽孝之・越川芳明編、小林エリカ・千木良悠子解説『アヴァン・ポップ 増補新版』(北星堂書店;増補新版、2007年)