『読書のいずみ』(No. 134/新学期号)
わが大学の先生と語る
誰もが一年間は天才になれる
---生涯に一度、天才になれる時期
細野:巽ゼミも坂君が22期生で3年生が23期生ということで、歴史が長くなってきました。
坂:その長い歴史の中で先生が特に一番自慢したいことをお教えいただきたいのですが。
巽:慶應義塾に勤めて30年、ゼミは23年目で、今年永年勤続表彰されました。知らないうちに長いゼミになってしまいましたが、初代を教えたのが昨日のようです。一番自慢したいことは、やはり良い学生が沢山出て、中には大学院にも行き実際に大学の教師になり、役職が私と同じ教授である教え子が決して少なくないということかな。最初は自分が教えて学者、研究者を育てたいという思いがありました。でも最近つくづく思うのは、逆に学部ゼミならではの活動というのがあるということです。私は学部生に、大学の3年、4年という非常に貴重な時間に、君達はみんな生涯に一度だけ天才になれる可能性を持っているのだとよく言っています。アンディ・ウォーホルは「いまや誰もが 15分間だけは有名人になれる」と言いましたが、大学最終学年というのは「誰もが 1年間だけは天才になれる」時代かもしれない。20代の最初の数年間は、大変な才能が爆発する、瞬発力がある時だと思うのですね。例えば音楽とか美術の世界だったらもっと早くに、10歳ぐらいで生涯が決まってしまうでしょう。でも文学はやはり読まなければならないですから一定の読書量と豊かな感性を兼ね備えた学部の3年、4年という年代で才能が開花することは決して珍しくないのです。
---ゼミ雑誌『Panic Americana』
巽:うちのゼミの特色を挙げれば、1996年、七期生のころに創刊したゼミ年刊誌『Panic Americana』(パニカメ)でしょうね。これは学部生だけがやるということに意味があります。私は少なくとも発行人ではあるけれども、余程のことがない限りは編集にはタッチしません。その方が自主性を培うことが出来ますから。みんなで一緒に編集して広告も取ってきて、執筆者とゲラ校をやりとりし、エンドプロダクトまで持っていき、トラブルが起きたら謝りに行くという、人生の習練、社会勉強の場なんですよ。
細野:私も去年、謝りに行きました。
巽:これは巽ゼミ独自ではないでしょうか。企画を練り上げ、制作から宣伝、販売までみんなでやっているというのが伝わるのが面白いわけです。だから論文集でも同人誌でもない。あくまで一つのアメリカ文学をやっている学部ゼミそのものの文化を伝えるメディア。新聞に紹介されたりウェブ版が始まったりしましたから、親しい編集者からは「最強のインディーズ・マガジン」とさえ言われている(笑)。創刊号編集長だった向山貴彦君は作家になって、今世紀に入ってから『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』 という150万部のベストセラーを放ちました。彼は5号、6号ぐらいまでは後輩にDTPのコーチをしていました。このように、先輩が後輩にさまざまな秘技を伝授するという伝統も培われましたね。
---継承され、広がるゼミの伝統
巽:慶應に総合講座などでお呼びした方にパニカメに執筆していただいたりするうちに、私も担当編集者に挨拶がわりに配っていたらそのうちの一冊が朝日新聞社に流れ着き、「編集部の片隅に転がっていたのを読んだらすごくおもしろいからを新聞紙上で紹介したい」と一人の記者さんが言ってきたんですね。2004年だったかな。なんとなく内輪で作っていてそれ以上のことはなにも望んでなかったのに、外部のジャーナリストが読んで面白いと言うのだから、これは面白いのだろうとその時認識したのですね。それがこのゼミそのものが面白い存在らしいというのを初めて認識したときでもあります。その記者さんは全ての号を読んでくださっていて、今ちょうど Book asahi.com という、ウェブの読書欄の編集をやっているので、ゼミ単位で参加してくれないかと提案してくれました。いわゆる学生の声が必要ということで、ゼミで読書会を開き毎回3冊ずつ本を選んでレビューを全員で書くという企画を行っています。今日(12月20日)ちょうど第2回目がアップロードされました。ゼミ誌の名前は『Panic Americana』なので、朝日新聞の特集頁版は『Panic Americana Annex』という名前になっています。そもそもゼミの公式ホームページの名前が『Café Panic Americana』なので、3種類ゼミの媒体ができてしまったという感じですね。そういうふうにゼミそのものに注目し続けていただけるというのは大変嬉しいことです。
面白いのは、世代が代わっても一定の才能が出てくること。今ちょうど新規の、つまり現2年生の入ゼミの志望票を受け取っているのですが、その動機のなかにも、どんなアメリカ文学を研究したいかという展望に加えて『Panic Americana』の編集をしたいという希望を書いてくる学生が必ずいます。
---学者になったきっかけ
細野:学者になろうと意識されたのはいつ頃なのでしょうか。
巽:それは非常に簡単で、私の父親が英文学者で上智大学教授だったわけですよ。それで最初は自分もイギリス文学をやるのかなと思っていました。大学に勤めるということについては、私の父親がわりと家にいて学校に出勤するのは週に3日か4日で、週末は庭で大工仕事をしていたので、どういう職業かよく分からないけれど楽そうだなという、非常にネガティブな選び方ですよね。今は決して楽な職業ではなくなっていますけど。実は学部でやっていた研究は今とまるで違うんですよ。アメリカ文学ではなくサミュエル・ベケットと安部公房の比較文学的研究をやっていたんです。ところが大学院に入ったときに指導教授から「生きている作家は後で何を言いだすか分からないから、研究するのはやめなさい」と言われたのと(1970年代当時はベケットも安部も健在でしたから)、たまたま目をかけてくれていた教授の専門だったので、消去法みたいな形でアメリカ文学になったのです。動機としてはきわめて薄弱ですよね。まさかそのアメリカ文学をこれだけ長く続けてやることになるとは思わなかったですから。
---象牙の塔を守る
細野:文学は一般的な価値観からすると、役に立たない虚学などと言われていますが、そんな風潮についてはどうお考えですか。
巽:文学研究の中で我々の世界は特に英語英米文学研究ということになりますね。文学研究というと役に立たなさそうだけど、英語というとなんとなく役に立ちそうな、つぶしがききそうな気がする。この絶妙な組み合わせが英語英米文学研究を学問的なディシプリンらしくしていて、また学ぶ側も周りへの言い訳がたちやすいのではないかという気がします(笑)。
けれどやはり、消費資本主義の時代になり、今全国的に英文科が潰れているという状況にあります。ただ慶應義塾の場合は長い伝統があって、文学部は頑としてその制度を動かさず、縦割りの学問領域の伝統ならではの良さを守っています。世間の風潮に簡単には流されず、いわゆる象牙の塔は守った方がいいのではないでしょうか。象牙の塔は英語で言えば Ivory Tower となりますが、一種のサンクチュアリーとして守るべきもので、何もかも消費資本主義に合わせたら真に学問らしい学問というのは残らない。「すぐ役に立つ知識を」という声もありますが、名誉教授の安藤伸介先生もおっしゃっていたように、すぐ役に立つものというのはすぐ役に立たなくなるのです。だからこそ象牙の塔が存在し、長大な年月をかけて研究が行われていることが必要なんです。大学を単純に卒業証書を得るためのところと考えるから、「役に立つことを教えて下さい」という発言になるのです。そういう動機ならば専門学校へ行けばいい。しかし、いやしくも大学の存立基盤たる学問研究とは、その程度の展望には収まりきらない。というのも個人にとって役に立つことはそんなたいしたことではないと私は思うからです。むしろ、学問研究とは個人では到底達成できないことを、長い先行研究を継承してさらにまた若い世代にそれをバトンタッチしていって成し遂げるものなのであって、そう考えたら、自分が生きている間の歳月なんていうのはたいした期間ではありません。そのとき象牙の塔がないと学問研究の長い伝統が継承されません。大学のレベルというのは学力の問題だけではなくて伝統の問題であり、それが結果的に国内的にも国際的にも競争力になるわけですよ。伝統があるからこそ自由に、世間的には役に立たないと思われていることもちゃんと維持できる。だから役に立たないと思われていることの筆頭に来る人文学を保てているかどうかが今の大学の価値の決め手ですよね。人文学の中核としての文学研究はネオリベラリズム的な世間の風潮に対する最大の抵抗力であり、ソローの言葉を借りれば市民的不服従の象徴です。その意味で、サンクチュアリーとしての大学は断固死守しないといけないと思います。
---失敗を学ぶ場
坂:最後に、学生のうちにこれだけはしておいた方が良いということはありますか。
巽:やはり卒論だけは書いておいた方がいいのではないですか。卒論は作家や文学や文化について研究して一冊の論文にまとめるだけのことにとどまらないんですよ。ゼミ雑誌の編集と同じことで、社会に出たときに、企画を一つまとめあげるという作業のモデルになるのです。だから一つのものをまとめあげるという自信をつけるには卒論に打ち込むのが一番ですね。何事も経験ですから。私は失敗も経験だと思います。卒論はそういう意味で、途中で失敗とか挫折もあるだろうからこそ、いろいろなもののモデルになるわけですよ。これが学生諸君へのメッセージでしょうか。
細野・坂:ありがとうございました。
収録日:2012年12月20日