2012/12/01

アネックス第2回掲載原稿選考/特別たつこた対談

アネックス第2回掲載原稿選考
特別たつこた対談
@秋葉原エクセルシオールカフェ
巽孝之 VS小谷真理

---ビアスの罠
編集部アネックス第2回は、アンブローズ・ビアス「月明かりの道」 、トニ・モリスン『ビラヴド』 、レイ・ブラッドベリ『火星年代記』 となっています。
:アンブローズ・ビアスを選んだゼミ生が多いね。これは、芥川龍之介が「藪の中」 を書くときにモデルにしたと言われる作品です。まずは、修士1年の細野香里の「眼光」(のちにタイトル変更「夜と朝の境目で」)から。真面目に書いている印象があったが、「眼光」に注目するというのは、秀逸な発想。月明かりというものが一方にあり、人間の瞳でないと捉えられないものがもう一方にある。一種のエッセイとしては、非常に面白いのではないかと思う。
小谷:同じく真面目に書いている印象を受けました。ただ、表現に関していえば、真面目に素直に書くというよりは、ひねってみよう、文学的にしようと意志が感じられました。
:だから文章がすっと読める。タイトルに関していえば、「眼光」のみというのは一考を要するかな。
小谷:そうね。内容とタイトルに若干、距離があると思う。内容が技巧的なだけに、タイトルにも一工夫ほしい。
:短篇のタイトルが「月明かり」だから「眼光」かな、と手だれの読み手だとすぐに繋がりや内容がわかってしまう。理想的なのは、一体なにが書いてあるのだろう?と思わせるタイトル。
小谷:読者をタイトルで捕まえないとね。
:いまは、タイトルをつけるのが難しい時代にある。論文だと、タイトルだけである程度推測がつかないといけない。論文検索でひっかからないといけないから。少なくとも文学研究なら、作家の名前と作品の名前はタイトルにあったほうがいい。しかし、だからといって、タイトルだけでぜんぶ語り切っちゃってると、読む必要を感じなくなるから注意。アネックスで要求されるのは新形式のテクストだけど、既存のジャンルにあてはめると限りなくエッセイに近いので、考え過ぎる必要はないけれども、最低限の工夫は必要。

:つぎは、3年の池谷有紗による「照らされる記憶」。池谷君の原稿は、前回に比べると遥かにいい。多くのゼミ生が証言に注目するなかで、記憶が何か媒介を経て呼び起こされることを指摘し、個人的なエピソードを交えている点が、非常にいい。こうした感想文やエッセイで対象となるテクストがある場合、テクストの内容と自分自身の経験との間でうまく取引が交わされることが重要になってくる。彼女は、自分の経験と矛盾しないアンブローズ・ビアスの肖像を書こうとしている。ここで惜しいのは、「」と「狂気」が繋がらなかったところ。細野君のほうで少しだけ示唆されているけれども、「月」というものがここまでクローズアップされているにもかかわらず、「狂気」に至らないのは惜しい。「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」を忘れてはいけない。
小谷:三人の記憶が部分的に欠落している、というところが私は好き。ただ、改行が無いのがつらい。8行に1回は、改行しましょう。
:これ、ケータイメールでだーっと書いたみたいな文章に見えるね。逆に、その文体をうまく活かす手もあった、とは思うけど。

:次は、4年の高橋紗里君の「幽霊なんて怖くない」。うん、タイトルはとてもよい。
小谷:いいですよね。
:これも真面目に書いている印象ですが、個人的な経験が書かれてありなかなかよい。エッセイとしては2回目で要領をつかんだかな。
小谷:この「わからないものが怖い」というのが、よかった。
:この短篇は、はたしてほんとうに幽霊の話なのか、という問題はあるけれども。
小谷:結局、霊媒の話ですからね。ふと思うのですが、この短篇は、霊媒がこの夫婦に関して適当に言ったもので、実はそれは嘘であり、霊媒が考えていたことが事実と外れていた、ということはないのでしょうか。幽霊なんているわけない。死者が語るわけない。霊媒は適当なことを言っているかもしれない、と思う方はいなかったのかしら。

:次は、森田和麿君の「見えない小説」。これも「わけのわからなさ」を強調する点ではこれまでのものと同じですね。ひたすら真面目に読んでる。みんな真面目だね。
小谷:みんな幽霊がいるということを真に受けているんだよね。真面目すぎ。世間は悪い大人で溢れているのだからもう少し疑いを持って、こいつうそ言ってんじゃないのかと思って読んだ方がいいよ。森田さんや池谷さんはすごくいい人なんだな。朝の連続ドラマ「純と愛」に例えるなら、「」のような。みたまんまをストレートに捉える。裏がないじゃんみたいな。
:いや、あのヒロインの「純」はああ見えてけっこう悪女なのですよ。純粋な顔していろんな男を都合良く振り回す。
小谷:裏がない人間ほど怖いものはないということでしょうか。ていうか、裏がないのは危ないんだよね。何も考えてないから犯罪を犯してしまう。アンブローズ・ビアスのレビューを読むと、みなさんの人の良さというものがよく分かる。
:そこが難しいところ。
小谷:心洗われるけどね。悪い大人からみると。こんないい人たちがいるんだと。
:せっかくみんなで競演するんだから、他人が書きそうなことは絶対書かない、ぐらいにハラを決めたほうがいいかもね。もうちょっと目立とう精神を磨いてもいいんじゃないかな。
小谷:文学というのは、少し歪んでいてもいいと思うんだよね。

:つぎは、3年山本恵美の「狂気から映し出される反戦小説」(のちにタイトル変更「もうひとつの反戦小説」)。これも真面目な文章です。反戦小説に注目するというのがよかった。狂気とはっきり書いているからね。ただ、狂気と月を関連付けていないのが、池谷君のと同じ意味で、やはり惜しい。松岡正剛さんに『ルナティックス』 という名著もあるんだしね。

:3年の長野泰之君の「生死をめぐるある虚妄のレポート」。彼のレビューは、第一回のときは採用でした。前回のものに比べると真面目だねえ。
小谷:全体的にみなさんビアスに振り回されている感じ。ビアスのテクニックに惑わされている。
:加えて、長野君はやっぱり愛を求めている感じ。前回もラブ・アンド・ピースだったし。
小谷:いやあ、かわいいですよね。いいですね。
:タイトルは工夫を感じるけれども、長い。「生死をめぐる」というのはわかる。
小谷:「ある」が邪魔。
:そうですね。「ある」はいらない。不定冠詞を直訳したみたい。あと「生死をめぐる」も邪魔。
小谷:私は、「生死」を「愛」に変えたらいいと思う。読者は、このレビューは何書いてあるのだろうって思うよね。「愛をめぐる虚妄のレポート」だったら、文学に興味ある人なら一度は使ってみたくなるタイトルね!

--クロスレビューへの戦略
:ではつぎ。4年の大嶋一晴君の「現実と虚ろな世界のはざまで」。タイトルが弱いねえ。
小谷:この方はお母さんを亡くした方ね。
:そう。「黒猫」 のときと同じ手を使ってしまった。他の手はないのか、と思ってしまう。
小谷:とはいえ、いまいち大嶋さんのレビューとビアスの短篇が噛み合っていないかもしれない。短篇の男性は奥さんを殺害しているんだよね。
:そう。ただ、「黒猫」 のを論じたときは、主人公と同様に、黒猫(母親)へ殺意を抱いた自分という発見に、胸をうつものがあったんだが。
小谷:ビアスの短篇に適応可能なのかしら。愛と殺意と喪失が、ロジックとしてかみ合っていいない気がする。
:妻と母は違いますよね。
小谷:大嶋さんがまだ若いですしね。お母さんの話と妻の話にまだ距離があるのではないでしょうか。

:つぎは、4年の栗原美貴君の「愛の姿」。これもずばり「」ですね。
小谷:このレビューは、解説みたいで読んだらビアスのストーリーがよく分かった。簡潔明快で話がすぱっとわかる。情報の整理がすごく上手。
:粗筋はうまい。うまく粗筋を語れるかも才能ですよね。
小谷:おもしろい話をほんとうにつまらなく紹介する人がいますからね。おもしろい人が語ると、ほんとうにおもしろそうで、読んでみたくなる、というお手本かな。

:つぎ、4年の椙浦由貴保君の「名前を呼んで」。
小谷:この方は前回から思っていたけど、メインの話題とずれたところから物語を見るのね。他の方々は、夫婦の立場から読んでいるので、息子の立場から考えるというのが、おもしろい。
:別の視点から切り込むということだね。
小谷:これは、おもしろかった。一貫性があって、ぶれない。
:ぶれないよね。ポリシーがある。

:4年の坂雄史君の「闇の手触り」。前回の、ラヒリとカレーライスの話よりは、いい。エッセイ的に志向してるし。
小谷:この人も幽霊が存在していた、と考えている。
:高橋紗理と対をなしている。科学的には幽霊はいないと。
小谷:幽霊が子ども時代の懐かしさと繋がっているのではないか、という点を説明しているようなね。
:一般論を越えていこうとしている。
小谷:そして、見えないことの不安、へ行き着く。
:みんなわりとそこに収束してしまうのが惜しいねえ。

:つぎは、4年の若狭真紀「三つの証言の持つ意味」。これまたストレートなタイトルですね。
:素直な子なので。
:みんなビアスの冒頭の「わたしほど不幸な男はいません」というところにぐっときてるみたいだね。若狭君のレビューに関していえば、殺害そのものよりも、そこに至るまでの過程に、注目した点は、いいのでは。なぜこの小説を読み進められるのか、という疑問が提示されている。
小谷:この人のレビューは他の方に比べて短いよね。
:これが短く感じられるのは、どっちかというと捉え方としては論文のモチーフに近いからではないでしょうか。エッセイとはまた違う。分析してみましたという感じ。好きな話ではなくても、分析ができる、というのは研究者としてはなかなか素質がある。ただ、エッセイという形式には向いていない。そう思うと、やはり読書会の文章というものは、斬新な方向を示していますよ。論文でもない書評でもない、一種のクロスレビューで、加えて、ネットなので文語体でもなんだか変だから、「新しい文体」が要求されている。
小谷:この形式は、うちのジェンダー SF研究会でも使いたいですねえ。ぜったい面白くなる。文章の技を競い合う感じで。
:まだこうした形式への戸惑いが感じられるね。でも若い学生と若い表現形式は将来絶対可能性があると思う。

:つぎは、4年の上田裕太郎君の「さよなら名探偵コナン」。タイトルはいいよね。何が書いてあるのかなと思わせる。我々の時代じゃあわかんないよね。
小谷:証言の曖昧性に着目していますね。この方は、多くの方が真面目に読んでいる中で、唯一、ビアスが我々を罠をはめた、と書いている。誰が悪人か、というのは分かっている。
:方向性は悪くない。「月明かりの道」 は一つのいわゆる「信頼されざる語り手unreliable narrator」の物語ですからね。そこを真面目にみる人間が多いところで、上田君はメタレベルで見ようとしている。
小谷:コナンだったらどう分析するか、という視点で読み、そのコナンを見ているので、結果としてメタレベルを得られた、なかなかいいレビューです。

:次は、パニカメ編集長4年の加島聖也君の「手短な印象文」。前回のレビューでは、はすに構えていたところが評価されました。タイトルからして、「9月17日、原村、長野」でしたからね。
小谷:今回のレビューはよくわからなかった。奇をてらいすぎたかもしれない。
前回ホメすぎたのがよくなかったのかなあ。彼は、唯一、文章で芸をみせようとする気概溢れる学生なんだけども。
小谷:言葉がもう少し欲しいかなと。
:奇をてらうのは悪くないのだけれど、下手をすると読者無視になってしまう危険性があるのが難しい。読者なんか関係ない、という姿勢で斜に構えるのは、決まればカッコいいけど、決まらなかったときが、舞台から落ちてしまいそうになる。
小谷:けっこう誘惑的な文章はある。時間に対する意識とかは、あれ?と思わせる。
:文章力はあるし、潜在的な才能はすごくある。
小谷:ただ、それを開花させるには、あと24回くらい稽古を重ねないといけない。
:推敲を必要としますね。原村で一発芸として書いた前回のものはよかった。
小谷:インプロビゼーションとしてはね。ただ、今回のレビューのようなものを書く時には、書き直しを24回くらいしなくてはだめ。

:はい、では次は、4年の松本彩花君の「「演じられた」妻の悲劇」。これも素直ですねえ。
小谷:加えてこの方も、一回も改行していない。最近は、改行しないのが流行っているのでしょうか。
:みんなケータイメールの延長で書いているのですよ。それに、これも若狭君のものと同様に、読書会レビューというよりは、研究発表の超縮小版みたいな感じだね。
:ちょうど松本さんは、ご自身が代表者となった研究発表会の準備をしている時期でしたしね。
:そう、卒論テーマがマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』
小谷:松本さんは、ちょっとフェミニスト的に読まれているので、あたしはけっこう好き。でも、フェミニズムはいいけど、霊媒師にだまされるのはよくないよ。
:フェミニストは、ヒーリング文化と密接な気がするのはわたしだけでしょうか。
小谷:真のフェミニストになるには、もっと疑り深くならないといけない。社会変革の道に突き進まないといけない。あたしは、『風と共に去りぬ』 の中では、メラニーとスカーレットの関係が好きです。ちょっとなんかレズっぽいところが。メラニーが死んだときに、アシュレーの魅力なんてなくなっちゃったと言うところに、スカーレットの「」が表れているんだと思うの。お前は本当は、アシュレーが好きなのではなく、メラニーが好きだったんじゃないか?と。そうでなかったら、あの話は成り立たないではないかと。スカーレットは男なんかどうでもいいんです。男なんか踏み台。なぜかというと、自分は本当はメラニーが好きだから!そこに純愛がある。純愛と肉欲は別。純愛は、メラニーにある。まあ、ウソですけど。そうだと面白いな〜と!
:クイアー・リーディングですね。
小谷:こういうのを、「変態読み」っていいます。

--『ビラヴド』の衝撃をめぐって
:さて、次はトニ・モリスンの『ビラヴド』 へ移りましょう。巽ゼミOGで元OBOG会係だった藤井智子君の「過去を忘れず未来へ」。彼女は、黒人文学を研究していたので、レビュー執筆を依頼しました。最後の部分が、オバマの引用だけで終わってしまうのは、もったいない。何か、藤井君の一言が欲しい。
小谷:ビシッとしたまとめの一言がね。
:自分の言葉でね。まあツカミとしては、悪くないんだけど。
小谷:もうちょっとひねりが欲しい気もしますが。トニ・モリスンの手紙と、オバマの言葉が対を成しているのはいいのだけど、このつながりが、当たり前すぎるという印象はある。表象上はそうなのだけど、もう一歩先に行きたい。
:そうね。最後の一言次第。ひねるか、シャープにいくか。この最初の部分は、フォーミュラとしては、天声人語のようですね。一瞬、誰の引用だろう?と思わせるあたりとか。
小谷:内容に関して言えば、黒人は、昔は辛かったけど最終的に大統領になりましたという、アメリカの成功物語が背景にあって、それに則った書評。こうした成功物語は現実としてはとても大変なことなのだけど、『ビラヴド』 の話と絡めて書くときに、じゃあいまは良くなったから万事順調なのだろうかという問題は、依然として残るのではないか。文学的な深みにどこか欠けている気がする。
:難しいのは、トニ・モリスンは先祖がアメリカ合衆国の内部だけど、オバマは父親がケニアで母親が北欧系。奴隷制の過去がない。
小谷:表象的に繋がるイメージがあるので、そこをどうするか。だけど、最後に何か一言加えられると、変わるかもしれない。
:いわゆる天声人語風に。
小谷:複雑なことを言わなくてもいいから、ピシっと決めることが大事!

:つぎは、3年の藤塚大輔君の「新潟は寒いってさ」。
小谷:これはすごかった。「新潟は寒いってさ」って!
:自分に引きつけすぎているけどね。
小谷:この月末が待ち遠しいという感じがまた。おまえ、お母さんとお父さんにお礼言って、恥ずかしくないのか?若者として立ち向かわないのか?と!この「黒歴史」と、「親子の愛の問題」というのは、「白人の問題」と接近し得るのだ、という言い方はあたし好き。……だ、けれども!新潟の話にもっていくからねえ。自分のレビューをお母さんに捧げたりしてねえ。
:人を楽しませようとする人なんですよ。
小谷『ビラヴド』 ってすごく悲惨な話なのだけど、すごく面白く語ってしまっている。
:この手も一回しか使えないな。
小谷:でも一回くらいなら使ってもいいね。お涙頂戴みたいね。
:みんなまだ手駒が少ないよね。
小谷:きっと、こういう人と付き合うと楽しいだろうなと思いました。
:サービスしてくれそう。
小谷:大事なことじゃないですか?この人と付き合ったら楽しいだろうなと感じられることは。彼は、親にも感謝するし、まとめも上手くしてくれるし、いい人!みたいな。お見合いの学科試験に合格しそうよ。
:彼は彼で、アネックスという形式を意識したのでしょうね。前回の編集長のものなどね。タイトルも工夫があってよい。
小谷:「ってさ」、っていうのがまたね。楽しい人ですね。会ってみたいな。
:もう夏合宿で会ってるってば!

:つぎは、4年のゼミ代浅野将也君の「過去との葛藤の中で生きるとは」。これまた改行無しだね。
小谷:改行しようよ。
:「改行しようよ」ってタイトルで使えそう。これもまた、真面目というか、普通に書いている。子殺しがやはり一番衝撃であると。難しいところなのですが、一般的に誰もがそう思う、からこそ、普通に感じてしまう。
小谷:彼はなんとか、子殺しの衝撃から立ち直ろうとしている。動物の話を出したりして、理由をつけようとしている。そこがまた衝撃の大きさを物語ってはいる。
:人種問題の常識が変化するという点は、確かに合っていて、正論は正論なんです。ただ、複数のレビューが並ぶ中で、どうしても正論は目立たない。だから加島君や藤塚君のような反則技も出てくる。

:次が4年の福村舞君の「私の名前を呼んで、身体を触って」(のちにタイトル変更「あたしを触って、名前を呼んで」)。彼女は、長いことヘンリー・ジェイムズを研究していて、最近、ユージン・オニールに変更しました。ありがちなタイトルではあるんだけど、悪くはない。
小谷:「身体を触る」というイメージで『ビラヴド』をとらえようとしているのはうまい。単に子どもが殺されてしまうだけでなく、身体を触るという生々しい言葉を使うことによって、なんとかしてそのことを表現しようとしている。物語のリアリティから文学的な表現を使って、ふくらみをもたすような、感覚的な掴み方がいいですね。わりとうまくいっている。
:この読書会レビュー型式は字数制限があるので、作品の粗筋や解説をしても仕方ない。それをやると他の人間と絶対にダブる。ダブらないにするにはどうすればよいかというと、論理ではなく、感覚で抽出することが一つの戦略。
小谷:説明のときにこの「触る」という言葉を使うことによって、『ビラヴド』 の作品のイメージを表現している、というのがいい。
:字数に合った内容というのが難しい。泣いても笑っても600字から800字で終わる。
小谷:書評をめぐって面白いことは、「この話はこういう話です」とポイントを書くと、ネタバレだからいやだという意見が出てくる。仕方ないから、直接的な表現を使わずに間接的に書くことになる。とりわけ、衝撃なネタを含んでいる場合には、別の言葉で感覚的に説明する必要がある。
:「置き換える」、ということですね。
小谷:悪魔に生け贄を捧げる話なら、「反吐が出そうな話」というように感覚的に表現すると、読んでいて確かに「うえ〜」ってなる。私、読者から怒られたことがあるのですよ。小谷の書評を読むと話の内容が分かってしまうから読まないようにしていると。なので、なるべくねたばれしないように書くようにしているけれども、うまく隠しながら書かなくてはならない時は、彼女の戦略がいいと思う。
:ネタバレしないで、魅力的に書く。レビューを読んだ人が読みたくなるようなものにしなくてはならない。
小谷:「え、なんだろう、知りたいな」と思わせるようなね!

--『火星年代記』はモラリスト小説か?
:では、3つ目のレイ・ブラッドベリ『火星年代記』 へ移りましょう。大学院生の福田雅之君の「火星に降りたブラッドベリ」(のちにタイトル変更「喪失への郷愁」)。卒論がティム・オブライエンで、いまはスコット・フィッツジェラルドを研究しています。本当はフィッツジェラルドではなく、 アイザック・アシモフを研究したいとも言っていました。
小谷:へえ〜。
火星探査機キュリオシティに言及していますが、これには火星にまつわるお話をおさめたディスクが収蔵されたんですよね。たしかブラッドベリの『火星年代記』 も含まれていたと思います。まあ真面目なレビューですね。
小谷:火星探査期の現実と、『火星年代記』 のお話を重ねて、因果関係をつけて、書き上げた。よくまとまっている印象は受けました。
:「火星におりたブラッドベリ」というタイトルは、「Bradbury Landing」の直訳みたいなので。タイトルは一考ですね。

:つぎは、3年の宇野藤子君の「火星最後の男を笑えるか」。
小谷:「火星最後の男を笑えるか」というのはすごいタイトル。
:宇野君は、前回も掲載されました。ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』 のレビューで。宇野はうまい。これよくない?
小谷:よかった。最後に男と女が残って、その女がとんでもないブスだったら。痛烈!
:最後の4行をカットしても成り立つのでは?
小谷:「ひどいよブラッドベリ!」で終わったほうがいい。「もう少し真面目に語るなら…」と最後の段落を始めていますが、真面目に語らなくていい。
:タイトル「火星最後の男を笑えるか」もいい。だれもこんなふうに『火星年代記』 を読んでいないですからね。
小谷:最後に残った男女同士にもかかわらず、その女が不細工だったために「あばよ」という男、という部分に、彼女は衝撃を覚えたわけですからね。現実にはありえるしね。残った男と女が、イイ男とイイ女のわけがない。それは分からない。それでも、人類最後の者同士なのだから仲良くしましょうとはならない、というところに注目した点がいいね。
:小松さんの「復活の日」 だと、でぶでぶに太った女が出てくるけれども…
小谷:でも小松左京だと、そんな女でもいい、おばあちゃんでもいい、肩をもませてください、という話に流れていく。おかあさんとお年寄りは大切にしましょうと。ブラッドベリだとまた違うね。

:次は、3年の転法輪右、「デストピア地球」。タイトルは何とも言えませんが、これは今風なのかなあ。
小谷:わりと普通でした。一種の文明に警鐘を鳴らすという読み方。スタンダードですね。
:転法輪君はSFファンなのだけど、オタクとは違うかも。
小谷:オタクではないというよりは、モラルリストという感じもする。
:物語に人生を求めちゃっているね。
小谷:やっぱりSF作品を読んでも、反戦・反原発といった非常にモラル的なところに落とし込むレトリックや言説に対して、まだ疑いを持たずにいる感じですね。
:まあ真面目。
小谷:モラリスト。
:今時では珍しいのかもしれないけども。
小谷:先ほどの宇野さんとは真逆ですね。「最後の男を笑えるか」って、ギャグかましているけど、これ実は相当意地わるい。転法輪さんはすごくモラリスト。正反対!
:このレビューは、文庫の裏表紙にはいいかも。
小谷:目には見えないけれども、SFを弁護している感じはあるよね。
:1960年代くらいの早川ハヤカワSFシリーズ、いわゆる銀背の裏表紙のキャッチコピーは、こんな感じでしたね。
小谷:SFはモラルに反したことをいっぱい書いてしまうので、「実は反戦なんだ」とかフォローを入れてしまう真理が働くのかも。そういう文章になってる。そういえば彼は声いいよね。
ワグネルね。私のハッピー・バースデー・ソングを唄ってくれました。すごくいい声で。あ、そういえば、『火星年代記』 はハヤカワ文庫NVとしてもともと一般小説的に売られていた。
小谷:つまり、『火星年代記』 をモラリストのほうに引きつけなければならない何かが、このお話にあるということなのでしょう。

:さて、最後の3年の山家里香君の「同じ歴史を繰り返す地球人」。タイトルは一考だね。これはどうでした?
小谷:地球人は最終的に火星人になってしまうのでは?というのがなかなか良かった。他の方が、実はこのお話は地球で起こっているという風に読んでいるなかで、本当は、火星にいった人間が火星人になってしまうと読んでいる。そういうお話だからね。故郷が捨てきれない人々。
:手塚治虫の初期は、かなり『火星年代記』 から相当影響を受けている。「火の鳥」 とかね。『火星年代記』がなかったら、手塚漫画も無かった。地球人が火星と同じことを繰り返してしまうという問題意識に注目したのは、重要じゃないかな。