『カート・ヴォネガット』刊行記念トーク
CPA特別バージョン
ウェブ座談会&保存版テクスト
日時:2012年11月23日(金)19:30
場所:ジュンク堂書店池袋本店(*地図はこちら)
講師:巽孝之/増田まもる/伊藤優子(YOUCHAN)
※注:ウェブ掲載に際し加筆改稿が加えられています
-----1:構想五年・執筆二年
増田:まずは『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』が成立するまでの経緯をお話していただけますでしょうか。
巽:私自身は、ヴォネガットが亡くなった2007年に早川書房の『SFマガジン』9月号で追悼特集が組まれ、その監修をさせて頂いたのですがき、これが好評ですぐに売り切れてしまった。内容も、今回も多大な協力を惜しまなかった日本を代表する若手ヴォネガット学者・永野文香君ほかによる作品総解説や寄稿が充実しており、いい特集号でした。そのあと、イベントで仙台のブックカフェ「火星の庭」に立ち寄ったときにこの特集号が千円で並んでいたので、オーナーには「これは稀少なんですよ、値段釣り上げてもいいぐらい」とアドバイスしたこともあります。それまで日本には、 1980年代にエッセイ集というべき『吾が魂のイロニー』が出ていたていどで、ヴォネガットのきちんとした研究書がなかったので、できればこの特集号を基にして、何か作れないかとぼんやり思っていたところに、YOUCHANが企画を温めていることを聞きました。それで、以前からお付き合いのある彩流社の若田純子さんにお願いしてみました。彩流社は比較的固い学術出版社ですが、YOUCHANの個性的な絵を散りばめた本が作れれば、理想的じゃないか考えたのです。
YOUCHAN:執筆者が多い本ですが、半分が日本SF作家クラブ会員です。SF作家クラブ会員と大江健三郎さん以外は、巽先生の肝いりで集まった、日本でも指折りの英米文学研究家の方々です。実は会場にもその若手執筆者の中のお一人がいらしてます。吉田恭子さん、一言頂けますでしょうか?
吉田:吉田です。日本SF作家クラブの会員ではないですが、ヴォネガットは卒論で扱った作家でした。それが巽先生にばれてしまい、「ちょっとコラムみたいのを書いて」とお誘いを受けました。
YOUCHAN:吉田さんはエッセイだけでなく、ヴォネガットの The Last Words という最後のインタビュー原稿の翻訳も引き受けてくださいました。それがすごく素敵な翻訳に仕上がっていて、上がった原稿を執筆者みんなで感動したことを思い出します。その節は本当に有難うございました。
増田:ほかの執筆者については?
巽:執筆面、編集面で一番中心となってくれたのは、先ほどもふれましたが、やはり慶應義塾においてヴォネガット研究で博士号を取った永野文香君。本当は共編者として名前を並べたかったぐらいに、徹底した校閲をやってくれました。いまの日本ではヴォネガットの資料を誰よりも持っていますから、永野文香君が参加してくれただけでも、この本のクオリティは保障されていると思います。
YOUCHAN:また、特筆すべきは、伊藤典夫さんの長いエッセイと、すでに翻訳が出ているのに何度も改訳してくださった短篇「ハリス・バージロン」と、ヴォネガットが改変する前のオリジナルのほうが素晴らしいという理由から「魔法のランプ」。ちなみに、伊藤さんも日本SF作家クラブ会員で、さきほど話題に上った浅倉先生もそうです。また、こちらの増田まもるさんにいたっては事務局長であらせられ、巽先生も会員。私も末席におります。そんなわけで、すごく豪華なメンバーで本ができてしまいました。
-----2:新資料をめぐって
増田:最近、ヴォネガットの書簡集や伝記などがたくさん刊行されたという話を聞いているのですが、この点はいかがでしょうか。
YOUCHAN:そうなのです。皆さんのお手元の資料の最後に記載されていますし、本日は会場に実物も何冊か持ってきましたので、帰りがけにでもお手に取ってご覧ください。まず、ヴォネガットの没後にロリー・ラックストロウによる回想録 Love as Always, Kurt: Vonnegut as I Knew Him が出ました。彼女は、1965年にアイオワ大学でヴォネガットが創作講座を持ったときの学生で、一時期ヴォネガットと愛人関係を持った人物です。その後には、インディアナポリスの幼なじみによる回想録 We Never Danced Cheek to Cheek がインディアナポリスの出版社から刊行されました。ヴォネガットとの思い出や写真が掲載されており、彼が五歳くらいの時に書いた絵も載っています。薄い本なのですが、図版が大変充実しています。
巽:幼なじみのマジー・アルフォード・フェイリーは10歳の時からの友人とか。
増田:渡された瞬間はどうしようかと思いました。なにしろ、途方もなく分厚いのですから。しかし、読みはじめてみると、本の内容はものすごく面白い。まるでドキュメンタリーを読んでいるような感じなんです。また、冒頭に詳しく書いてあるのですが、彼が取材を始めて二か月くらいでヴォネガットは亡くなってしまい、長期にわたる取材の計画は頓挫してしまいます。その後、遺族から全く協力を得られなかったので、彼はヴォネガットと交友関係のあった人たちから可能な限り手紙を集め、それらを時間軸に沿って並べていきました。この本はそれらと作品解説で再構成されているのですが、アッと驚くほどの臨場感があります。加えて、短いながら濃密な交流によって形成された彼のヴォネガット観は、我々が今まで持っていた「ユーモラスで、あたたかな人格」というイメージと全く異なります。「偏屈で、どこかにPTSDのようなものを抱え込んだまま、最後までそこから抜け出すことができなかった人物」という見方が彼のヴォネガット観であるといえるでしょう。それがものすごくリアルなんです。いつか機会があったらこれは訳してみたいですね。
巽:それに関連して言うと、最近、ヴォネガットを歴史学の研究者が、第二次世界大戦やベトナム戦争を手掛かりに解明しようとしている流れが出て来たのが、私には非常に面白く感じられます。たとえば、2月頃、イギリスを代表する書評誌 TLS(Times Literary Supplement) 2012年3月 7日号のカバーストーリーにヴォネガットがバーンと出た。シールズの伝記と、未発表短編を収録した2、3冊の本を取り上げた特集で、書き手がコロンビア大学で博士論文執筆中の歴史学の大学院生トマス・ミーニイ。また遺族公認の方の伝記の著者もデトロイト・マーシー大学の歴史学教授グレゴリー・サムナー。
加えて、私も増田さんに続いてシールズの伝記を読んでみたら、確かに文章もノリがいいし、スキャンダラスなところもあるけれど、作品の要約も適切で、自分自身の解釈もきちんと入れてあるんで、じつに読みごたえがありました。最初の伝記の著者である、ラックストロウのこともカバーしてある。ラックストロウはヴォネガットがアイオワ大学で創作講座をやっていた時の生徒であり愛人でした。ヴォネガットは、結婚が破たんするとすぐに彼女のもとへ泣きつきにいく。そのことまで、シールズは書いている。また、YOUCHANが配布した資料の左下にあるヴォネガットの友人ダン・ウェイクフィールドが編纂した書簡集 Letters も非常に面白いですよ(※資料2)。これは1940年代から2000年代までを10年ずつに区切り、冒頭の序文と書簡の一つ一つに非常に丁寧な注釈を、編者が付けている。
巽:それもじつに啓発的な形で作ってあるから、情報量が多い。
YOUCHAN:遺族公認で書かれたサムナーの伝記よりも、シールズがセンセーショナルだった分、ウェイクフィールドの書簡集は客観的に感じられます。
巽:シールズの伝記もいいと思いますけど、書簡集だからこそ分かることもあります。そこから他の作家とヴォネガットとの距離感が浮かび上がってくる。とくに永野文香君もずいぶん研究していたスタイロンとの関わりですが、親友だったにもかかわらず、この書簡集にはスタイロンとの手紙は一通くらいしか入っていないのが、意外でした。
あと、若いころから尊敬していた、サリンジャーやフォークナーに対する距離感も面白いですね。特にヴォネガットのロシア語翻訳を担当しているリタ・ライトがサリンジャーやフォークナーも翻訳しており、一度、リタ・ライトのために『ライ麦畑でつかまえて』にサインをくれとヴォネガットがサリンジャーに頼んだことがあった。するとサリンジャーはにべもなく断る。そのいきさつが書簡集にあるのです。そんな仕打ちを受けて、ヴォネガットはドタマに来るのですね。カポーティやアップダイクのサリンジャー評を引用して、サリンジャーがどんどん理解不能な方向に踏み出して来ていること、もともとあまり知的な作家ではないことを指摘したりしている。サリンジャーに対しカンカンに怒っているのが非常に面白かった。
YOUCHAN:今回の本では、ヴォネガットの家系図と友人関係図がありますが、ホセ・ドノソもしっかり入っています!
-----3:読みどころ
YOUCHAN:では、せっかくの刊行記念なので、本の読みどころを少しご紹介します。
増田:ぜひぜひ聞かせてください。
YOUCHAN:すごく大きな収穫は、やはり大江健三郎さんの対談が収録できたことです。大江さんに編集の若田さんが掲載許可の交渉をして下さったのですが、大江さんから「OK」と自筆で書かれたファックスが送られてきました。そのファックス用紙を見せてもらったとき「大江健三郎かっこいい!」と思いました。収録されたこの対談は、ヴォネガットが来日した1984年ものですが、彼はその直前に自殺未遂をしているんですね。にもかかわらず、その三か月後に日本に来てインタビューをバンバンこなし、テレビにも出て、大江健三郎さんや井上ひさしさんと対談する。すごいバイタリティを感じましたけど、ちょっと首を傾げたくなるような行動でもありますよね。ところで、この大江さんとの対談は意外とかしこまっている印象がしました。それは、『SFマガジン』に収録されている、日本SF作家クラブ会員の森下一仁さんによるインタビューと比べるとよく分かります。森下さんによるインタビューは、皆さんにお配りしたハンドアウトにあるものですが、とても生き生きとした言葉に満ちています。これをお読みいただくことで、より立体的なヴォネガット像が浮かび上がってくると思います。本日、会場に森下さんにもお越しいただいていますので、一言頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。インタビューでは、ヴォネガットが『SFマガジン』インタビューのアポイントメントを忘れていたとありましたが……。
森下:ヴォネガットさんがアポイントメントを忘れていたというのは本当だったみたいです。でも、話には非常に快く応じてくださいました。話の合間にはジョークを差し挟んで、いかにもヴォネガットという感じ。この時にサインをもらいました。(本を取り出して)『猫のゆりかご』に名前と、星だかお尻だがわからない例のマーク(「*」のこと)を書いてくれました。伊藤典夫さんは同行しなかったので、伊藤さんが訳された『屠殺場5号』の単行本を持って行って「伊藤さんのためにサインをお願いします」と言ったら「喜んで」と、“To My Co-author, Ito Norio”と書いてくれた。Co-author、「共同執筆者」ですね。以前伊藤さんは、「むこうの作家なんか翻訳者のことなんかへとも思っていないんだよな」とこぼされていたことがあったので、こんな風に書いてくださってよかったなと。とてもいい印象を抱いたのを覚えています。
YOUCHAN:すごく貴重なお話をありがとうございます。ヴォネガットはエッセイでも翻訳者のことを、共同執筆者と考え、同じだけの印税を払っていいと何度も繰り返し主張していますよね。
巽:浅倉さんの名前もなんかキャラクターとして出てきますしね。
巽:ちょっと森下さんのインタビューに戻ると、シールズの本は森下さんのエピソードと重なる部分をカバーしています。皆さんのお手元の資料168頁のところですが、アポロ11号の月面着陸のエピソード。この時ヴォネガットはテレビのワイドショーに引っ張り出され、何人かの作家がいる中で、「自分ただ一人が賛成していでない、手放しで喜んでいない」と、森下さんの前では言っているのですが、シールズによると、そのとき同席していたフェミニストのグロリア・スタイネムも反対したらしい。ヴォネガットが豪語しているように、「一人だけ」ではなかった。来日時にグロリア・スタイネムの名前をあえて言わなかったとのは、色々な意味合いがあるような気がするんです。
YOUCHAN:今のエピソードはヴォネガット本の序文に書いていらっしゃいますね。
巽:そういう意味でも、森下さんのインタビューと合わせて読んでいただくと、ヴォネガットの性格の一端が分かるような感じがします。
YOUCHAN:ひとこと加えておきますと、このインタビューは早川書房さんが今回のイベントのために特別に許可をくださり、皆様にお配りすることができました。早川書房さんには改めてお礼を申し上げます。ところで、本書の読みどころに戻りますが、どうしても巽先生が「入れろ」と言った、キルゴア・トラウト作品リスト。実に評判がいいんです。
巽:あれ、マニアにはバカ受けだったみたいよ。
YOUCHAN:最初は収録を見合わせる予定でした。みなさん、たくさん書いて下さったので、予定していたページ数が足りなくなってしまったんですが、「どうしても入れろ」と先生が仰る。そこで若田さんと相談して「2ページだったら捻出できるので入れましょう」と。そうしたら、皆さん、そこばかり賞賛されるわけですよ。「トラウト作品集はよかった」って。トラウトといえば、ヴォネガットのインタビュー集 Conversations With Kurt Vonnegut という本の中に、1976年と80年の二回にわたって同じ媒体の中でフィリップ・ホセ・ファーマーがキルゴア・トラウト名義で『貝殻の上のヴィーナス』を書いたことに文句を言ってるんですね。
巽:そのこともシールズが書いていて、すごく面白い。ヴォネガットに言わせると「自分は全然もうからないのに」って。
今、少し触れましたが、作品解説もおすすめです。『SFマガジン』の特集号にも作品解説はありますが、字数が少ないのです。200字くらい。そのときは言いたいことがあまり書けなかったと、共著者の中山さんが仰っていました。今回の作品解説は、一作品につき三ページずつ割り当てて、永野さん、中山さん、わたしの三人で分担しました。ヴォネガットは、饒舌ではないかわりに古びない。ただ、バックグラウンドが分からないと理解しづらいタイプの作家です。作品解説を書くにあたっては、時代背景や当時のヴォネガット自身に起きた状況を押さえるようにしました。これからヴォネガットを読まれる方に役立てて頂ければと思います。あとは、マンガの評判がよい!夫は私があまりにもヴォネガットのことを話すので、一冊も読んでいないのにヴォネガットの名言をけっこう引用できる、という。
巽:彼がマンガのネタになっていますからね。
YOUCHAN:あれは実話です。本当に申し訳ないことをしました。やっぱりオタクな嫁を持つ夫は大変です。
巽:あと、名言集もいいね。
YOUCHAN:私はとにかくヴォネガットが大好きなので、セレクト作業は楽しかったです。執筆に入る前に三ヶ月くらいかけて時系列順に全部のヴォネガット作品を読み返して、名言を書きだしました。厖大な名言集ができたので「さて、どれがいいでしょうか」とみんなに相談しようとしたら、「YOUCHANのセンスに任せるよ」って言われてしまいました。
巽:丸投げですね。
YOUCHAN:「そういうものだ」とか、外せない言葉はまず優先してチョイスして、残りは主観で選びましたが、すごくいい言葉がほんとうに沢山ありまして。これを原文と並べたくなりました。浅倉先生や伊藤先生が素晴らしい日本語に置き換えていることを強く実感したのです。きっと皆さんにもわかってもらえるだろうと。この名言集と、キルゴア・トラウト作品リストとマンガの評判がいいですね。
巽:名言集の原文には、私も目を開かれたところがありました。浅倉さんの訳には、ヴォネガットをめぐる翻訳家としての思想がはっきりと出ている。「親切」がキーワード。ヴォネガットがファンから受け取ったという彼の文学の本質に迫る有名な一文は、浅倉訳では、「愛は負けても親切は勝つ」 "Love may fail, but courtesy will prevail" ですが、「親切」の原語は “courtesy” です。原文と並べると、浅倉訳で「親切」という訳語が与えられているのは、“kind” だけでなく、“nice”、“courtesy”、“decency”。全て「親切」で統一している。“courtesy” はともかく、“decency” はなかなか「親切」と言い切るには難しい概念なのです。親切というと人間のふるまいを前提にするようなニュアンスがありますが、 "decency" の場合は人間個人の内面にひそむ品格に通じるところがありますから、容易に翻訳しにくい。しかし浅倉さんはたぶん、ご自身のヴォネガット観として「親切の作家」像をあらかじめ樹立していたのではないか。浅倉翻訳の特徴は、可能な限り日本語として抵抗感のない透明な文体を選ぶところにあるので気づきにくいのですが、この一点ばかりは翻訳家自身の思想があまりにもはっきりと貫かれているますね。
YOUCHAN:大江健三郎さんとの対談の中にも、「ディーセンスィ」という言葉が頻繁に出てきます。表記統一の見地から、当初は「ディーセンシー」と音引きに変えたいと思ったのですが、1980年代と現代の言語感覚は大分ずれていて、それを直すと大江節が損なわれてしまう。そこで、この大江節を尊重して「ディーセンスィ」になっています。そもそも日本語には置き換えにくいからあえて “decency” という言葉をカタカナで使っていたんですね。巽先生の指摘を頂いて「ああ、なるほど」と思いました。そこでもう一回この名言集と大江対談を読むと、またもやヴォネガットが立体的につかめてくる。
巽:あれはYOUCHANが意図的に、浅倉訳のそういうところを抽出したのかと思った。
YOUCHAN:浅倉先生が導いてくださったのでしょう。
巽:ヴォネガットの研究書でも “decency” は触れられることが多い。たとえば、ビブリオに載っているジェローム・クリンコウィッツが編集した初期ヴォネガット研究の金字塔である『アメリカのヴォネガット』Vonnegut in America という本。これは 1977年に出たもので、伊藤・浅倉ご両人が徹底的に参照し翻訳されている。わたしも出た時、神保町の北沢書店で買いました。これを読みなおすと、シールズの伝記ほど詳しくはないけれど、「“decency” の作家」という主張がしっかり前提になっている。伊藤・浅倉ご両人のみならず、大江さんもおそらくはこの Vonnegut in America を参考にされて対談にのぞまれたのでしょう。
YOUCHAN:Vonnegut in America は絶版になっていて、古本だと5~6000円くらいします。これをあえて配布したビブリオに加えたのは、伊藤典夫さんがヴォネガット本に寄稿された「ヴォネガットがいちばん笑えた頃」というエッセイで、「浅倉久志がこの本から引いている」と紹介しているからです。お二人が参照した本がどんなものかを知って頂けるといいかなと思った次第です。(※資料3)
-----4:ボコノン珍道中
増田:インディアナポリスへの取材はいかがでした?
巽:ベンツのワゴン車ですね、レンタ・ベンツ。
YOUCHAN:私も立原さんも車の免許持っておりませんので、大先生お二人に運転していただきました。
巽:ところがナビが二つ付いているベンツで、互いに矛盾しあうんだ、これが。
YOUCHAN:右がアメリカ製のナビで、左が据え付のドイツ製のナビ(※写真2)。
巽:ボコノン教だね。
YOUCHAN:でもその時は、まだあまりそこまで深くは考えていなかった。インディアナポリスってすごく広くて。とにかくサイロと風力発電とトウモロコシ畑ばかり。途中で立ち寄るのはバーガーキングしかなかった。
これが、カート・ヴォネガット記念図書館(Kurt Vonnegut Memorial Library)です(※写真3)。
巽:一泊で予定を立てておいてよかったよね。
YOUCHAN:よかったですよねえ。それもツアー日程を立てて下さった小谷さんの晴眼ですよ。ロールスクリーンが下りているのは、休館日だったから。そのおかげで、大きなウィンドウのプリントが綺麗に撮影できたので、「まあ、よかったかな」と(※写真4)。
巽:ウェイクフィールドの書簡集には、 1959年の編集者ノックス・バーガーのやりとりの中に、ヴォネガットがブラッドベリに手紙を書いたら返事が来てうれしかった、というくだりが含まれています。このころブラッドベリはすでに『火星年代記』( 1950年)や『華氏四五一度』( 1953年)を発表したほか、『たんぽぽのお酒』( 1957年)の原型のひとつは高級文芸誌『サタデイ・イヴニング・ポスト』に掲載されており、しかもジョン・ヒューストン監督の映画『白鯨』( 1956年)の脚本でも名をなしていた。言ってみれば、 SF出身であっても文壇的評価を得ているという、当時のヴォネガットが渇望していたステイタスを、すでにブラッドベリが獲得していたわけです。その意味で、ブラッドベリこそはスリップストリーム作家の原型と言えるかもしれない。だから、 1959年にはブラッドベリから返事が来た、というのも狂喜乱舞してバーガーに報告しています。ヴォネガットは「ブラッドベリさん」と呼ぶんだけど、大作家は「カート」と親愛の情をもって呼びかけてくれるってね。このころヴォネガット自身が西海岸へ引っ越したいという希望を持っていたようで、それを話題にしたらブラッドベリ側が「大歓迎だ、こっちに来たらいろんな人を紹介してやるよ、カリフォルニアは常夏だし」と返事をくれて、ヴォネガットは飛び上がらんばかりに舞い上がっている。
YOUCHAN:補足しますと、逝去する直前に受けたサム・ウェラーのインタビューでブラッドベリは「ヴォネガットはすごい戦争を生き延びた。大した人だよ」と、三十年前の「いけ好かない」発言を撤回してました。よかったよかった。
・・・・・・ライブラリーに話を戻しましょう。ここには、ヴォネガットが生前に実際使っていたタイプライターや、ヴォネガット本人によるリトグラフ展示はモチロンなのですが、ヴォネガットの銅像や、ヴォネガットの友人が描いたヴォネガットのイメージイラストがあったり……。家系図も展示されていましたね。もっとも、私達の本に掲載の家系図のほうが詳しかったですけど! また、“We are dancing animals” などと、ヴォネガットの名言がシルク印刷で壁のあちこちにプリントしてあるのも結構萌えどころでした(※写真6)。
巽:サイン入りの豪華本もありましたね。
YOUCHAN:すごいですよ。ファンにとってはたまらない。『青ひげ』はイーゼルなのですね(※写真7)。嬉しくていっぱい撮ってしまいました。あの時、私の背中に翼が生えていたと小谷さんに言われましたけど、巽先生も頭がおかしかったと思います。
巽:あの図書館はなにしろ宝庫ですから、一気に魅了されてしまいました。外国語に翻訳された本がいっぱい並んでいたけど、日本語の本が少なかったよね。
YOUCHAN:一冊もありませんでした。
巽:中国語はあったのに。中国文学者の立原透耶さんに同行してもらってよかった!
YOUCHAN:『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』は、Memorial Library に持って行くのに間に合うように仕上げたので、本と書影を額装したものにサインを入れて献上してきました。展示品には、ヴォネガットが生前愛用していたメガネ、ゲラ稿、ボツ原稿などがありました。『スローターハウス5』のベースになった第106師団のパンフレットと、記章……パープルハート(名誉負傷章)も。他には、届かなかった手紙や、ヴォネガットのサインもありました。また、ヴォネガットの祖父、クレメンズが経営していたヴォネガット金物店の通信販売のカタログもありましたけど、おじいさんはすごく成功していたそうです。金物店というからこじんまりしたのかなと思っていたのですが、実際見てみたら大きなビルでした。
巽:今回行って一番驚いたのは、町中の人がヴォネガット家を知っていることね。
YOUCHAN:町の名士なのですね。
巽:ヴォネガットを素材にしたアートも非常に多い。
YOUCHAN:これはヴォネガット年表なのですが、上半分に書かれているのは、トラルファマドール星人の言葉です。
「きみたちがロッキー山脈をながめるのと同じように、すべての時間を見ることができる」云々と書いてあります(※写真8)。
YOUCHAN:ヴォネガットの生家や、おじいさんが設計した建築物に行くので一杯でしたね。
巽:探すのが結構大変だったからね。
YOUCHAN:『カート・ヴォネガット』の地図のほうが親切でした! それにしても、まさかインディアナポリスに行けるとは夢にも思っていなかったので、今回それが実現できて本当に嬉しかったです。
-----5:質問
増田:では、皆さんの中で質問のある方がいたらお受けいたします。
大倉貴之:矢作俊彦さんが、確かニューヨークでヴォネガットのインタビューをしています。『週刊プレイボーイ』だったと思うのですが、今回の本には入っていますでしょうか。ヴォネガットがゴミ捨てに出てきたとか、奥さんが金髪の美人だとかいろいろなことが書いてありました。「ノーベル賞候補」だと書いてあった気がします。もう一回見たいなと思いまして。
YOUCHAN:インタビューに関しては、本国のものと大江対談が入っているだけです。矢作さんのインタビューは、資料として持ってはいるのですが、発表できる機会が設けられるように、本がたくさん売れてくれればと思います。この本が出た後、ヴォネガット関連書籍がアメリカ本国で沢山出版されましたので、すでに資料として足らなくなってきてまして、増補が必要な状態です。それから、研究者や翻訳家の方々による、類書の出版を期待しています。今まで見過ごされてきたインタビューや対談、せっかく翻訳されたのに埋もれてしまったものなど、まだまだたくさんあるのが現状です。
巽:私が非常に残念だと思うのは、シールズにしてもウェイクフィールドの書簡集にしても日本の研究書がビブリオにほとんどない。せっかくインタビューの英語原稿が残っているのに。
質問者:日本の本があまり海外で紹介されていないというお話がありましたが、世界の村上春樹でさえ浅倉先生訳の日本語にかなり影響を受けている。こういった研究はアメリカではされていないですか。
巽:相当日本語ができないと難しいということはありますね。ただ、ここ10年位で安部公房の専門家であるクリストファー・ボルトンや小松左京や筒井康隆を研究するウィリアム・ガードナーなど、日本語の読み書きが難なくできる圧倒的実力派の若手ジャパノロジストが増えたのは確かです。英訳された村上春樹の影響を受けてデビューする英語圏作家も増えてきました。状況が変わってくるのは、これからでしょう。
質問者:ヴォネガットの翻訳は、早川書房からすごくきれいな装丁で出ているのに、ミュージアムに全然置かれていないというのは残念ですよね。遺族だったら絶対に並べたくなりますよね。
巽:並べるべきですね。送り付けたいくらいですね。
YOUCHAN:ライブラリーそのものができたばかりですし、有志で作っているからかもしれません。インディアナポリスの名士であるカート・ヴォネガットを皆で大事にしようという思いのもと、寄付で賄っているのでやはり限界があるかと思います。そういえば、インディアナポリスに、アジア人を見かけなかった気がしますね。白人と黒人が多い。おそらくアジア人自体がライブラリーに行ってないのではないでしょうか。
巽:日本にSFがあるとも思っていないかもしれません。
YOUCHAN:日本から行くことをライブラリー側に事前に伝えたのも「カート・ヴォネガットの本がこうして出ていて、日本でも読まれているんですよ、注目されているんですよ」と伝えたかったのです。わたしたちのこの本が、初めて Memorial Library に入った日本語の本です。この本には、啓蒙活動の足掛かりになってほしいと思います。
● Kurt Vonnegut Memorial Library にて。