2012/10/01

対談:巽孝之×宇佐和通:ムー民のムー民によるムー民のための試写会

ティム・バートン総指揮/ティムール・ベクマンベトフ監督
『リンカーン/秘密の書』
試写会記念トークショー:2012/10/23 @20世紀Fox 試写室

ムー民のムー民によるムー民のための
試写会

司会:皆木良子( パブリシスト)−−本日は「ムー民のムー民によるムー民のための試写会」ということで、リンカーン大統領、そしてアメリカの民間伝承、都市伝説の詳しいお二人に登壇いただきます。著書に『リンカーンの世紀―アメリカ大統領たちの文学思想史』などがあり、慶応義塾大学の文学部教授でアメリカ文学者、SF批評家としても著名な巽孝之氏と、雑誌ムーでもご活躍されておられ、アメリカから日本まで、史実から都市伝説の根拠を裏付けることを得意とする都市伝説ライターの宇佐和通氏です。

巽孝之氏(以下、):わたしの専門は19世紀半ばのアメリカのロマン派文学で、ちょうどリンカーンが活躍したのと同じ頃ですね。アメリカ文学史では、アメリカ文学初の黄金時代ということで「アメリカン・ルネッサンス」の時代として呼ぶのがならわしになっています。それと同時に、わたしは長い間、アメリカ文学と大統領というテーマについてもまた一貫して研究して参りました。リンカーン大統領自身が文学にも造詣が深かったことから、いまご紹介にもあったように、大統領自身が国民に向けてナラティヴを創り出すフィクショニストではないかという趣旨で10年ほど前に『リンカーンの世紀―アメリカ大統領たちの文学思想史』(青土社、 2002年)という本も出しまして、つい最近、版元に尋ねたところ、品薄ではあるが品切れでも絶版でもないということです。そういう事情で今日はここに引っ張り出されて参りました。よろしくお願いします。

宇佐和通氏(以下、):こんばんは、宇佐和通です。よろしくおねがいします。僕はアメリカン・フォークロアを、これは都市伝説と訳されておりますけれども、15年から20年くらい前から追いかけております。人の話を聞いて採話して、いろいろなバリエーションを集めつつその裏を取るという作業をしておりまして、本も何冊か出させていただいています。今日はどうぞよろしくお願い致します。

フロリダ空港での邂逅
−−早速具体的なお話から伺っていきたいと思います。巽先生が、今回の『リンカーン/秘密の書』の原作が日本で発売されるきっかけをつくられたそうですが、そのことについて教えてください。

:これはもうご存じだと思いますけれども、アメリカ作家セス・グレアム=スミスが 2010年に発表した原作小説の原題は Abraham Lincoln: Vampire Hunter といいます。昨年、新書館文庫から翻訳されたときのタイトルも『ヴァンパイアハンター・リンカーン』ですから原題に忠実ですね。ところが、映画の邦題では、おそらくさんざん討議された結果なのでしょうが、コンセプトを隠すかたちで『リンカーン/秘密の書』と訳されていて、日本側配給会社の英断をわたしは高く評価しているんですよ。『ヴァンパイアハンター・リンカーン』と言ってしまうと、タイトルだけでどんな話だかわかってしまう、というよりわかったような気になってしまうのを、一番恐れた結果だと思います。

しかし、賞賛すべきは日本側の英断ばかりではありません。原作も脚本も担当したセス・グレアム=スミスは、アメリカの非常に若い作家でまだ30代半ばくらいですが、西海岸に住んで映画産業に長く携わって活躍しているだけに、今回の映画化でも新しい才能を見せています。作家としてのデビューは 2009年で、大ベストセラーになったのですぐ翻訳されましたが、『高慢と偏見とゾンビ』(二見文庫)。英文学の正典であるジェイン・オースティンの『高慢と偏見』にゾンビを絡ませるという、なんておバカなタイトルなんだと最初は思って、手にも取らなかった。すると、 2010年の春にフロリダの学会の帰りに空港の売店で同じグレアム=スミスが書いた Abraham Lincoln: Vampire Hunter という、またまたとんでもないタイトルの作品を見つけて、これもまたおバカな話に違いないと思って飛行機の中で読み始めたら、なかなかよく出来ていて、結構よく歴史的文献を調べているじゃないか、これは案外バカにできない奴だな、ただのおバカなお調子者じゃないな、と印象を改めたんですね。わたしは先ほども言及したとおり、10年程前に、月刊誌『ユリイカ』の連載をもとにした『リンカーンの世紀』という本を出していて、その時にリンカーンについては可能な限り徹底的に調べたという自負があったわけですが、この小説は、そのときわたしが調べた文献類に加え、この10年間に出た新しい資料をもたくさん盛り込んでいて、セス・グレアム=スミスというのはまだ若いのになかなかやるじゃないかと感心した覚えがあります。それで、非常に面白かったので、ちょうど新書館から出るべく計画されていた『幽霊学入門 』(河合祥一郎編)という本に一章書かなければならなかったこともあり、この最新小説の紹介を盛り込んだら、新書館編集部が気に入ったみたいで、さっそく連絡があり「版権取っちゃいました」と。最初は翻訳もわたしにという依頼が来たのですが、いやいやブラック・ユーモア小説なら今日もフロアにいらっしゃっている赤尾秀子さんという絶好の翻訳家がおられるからと、彼女を指名したんです。赤尾さんにも「ティム・バートン監督だし、これは絶対売れる本だから、ベストセラー翻訳家になれるから!」と後押しして、一年もしないうちに翻訳が刊行されました。

リンカーン異聞
−−では、本日は「ムー民のための試写」ということで、早速コアな話題に入っていきたいと思います。最近、アメリカ文学でも幽霊や亡霊が、流行しているそうですね。先日発売の『週刊文春』でもリンカーンの幽霊がグラビアで掲載されていました。お二人がご存知のリンカーンの幽霊エピソードや、都市伝説を聞かせていただけますでしょうか。

:ホワイト・ハウスに歴代の大統領の幽霊が出るという話は、たくさんありますよね。リンカーン自身の気配をローズベルト大統領夫人が感じたとか、そういうエピソードは私もあちこちで触れたことがあります。今回の映画との関係に限って言うなら、皆さん3Dでご覧になって特に機関車のスペクタクルのシーンなどは迫力があったと思いますが、鉄道 railroad というキーワードから見るとまた面白いのです。リンカーンが為した様々な仕事の中では、 1863年の奴隷解放令が最大のものとされていますけれど、その前年 1862年に制定された太平洋鉄道法も見逃せません。リンカーンはアメリカ全土に鉄道網を張り巡らせるという、非常に大きなヴィジョンを抱いていたんですね。そういう仕事と関係しているのか、 1865年の没後には、リンカーンの遺体が、発疹チフスで亡くなった息子ウィリアムの遺体と一緒に、霊柩列車に乗せられてワシントンD.C.からあちこちを回ってイリノイ州のスプリングフィールドに向かうという、壮大な葬儀イベントが組まれ、線路沿いではリンカーンの死を悼む人々が列を為したというエピソードがあります。さて、じつはその霊柩列車自体の幽霊が出るというフォークロアがあるんですね。そのリンカーンの霊柩列車の幽霊列車を実際に見かけて、中を覗くと、楽団が演奏しているのだけれども、ミュージシャンたちの服の中身はみな骸骨だったという目撃談もあります。

:ここでリンカーンと幽霊の話が先生から出たので、僕は「リンカーン記念館あるある」を、いくつか発表させていただきたいと思います。まず記念堂の柱が36本あるのですが、これは死亡時のアメリカ合衆国の加盟州の数であるという話があります。また、リンカーン像の彫刻がありますよね。その右手側から見て、後ろの方のリンカーンの髪がたわんでいるところがあるのですけれども、それが南軍のリー将軍の横顔になっていて、そのリー将軍がちょうど川を挟んだ彼自身のロバート・E・リー記念堂の方を見ている、という話があります。これは結構写真にもなっていまして、DC Like a Localというウェブサイトで結構面白くこういった都市伝説の特集がされています。そして、これも割と有名なのですが、リンカーンの座像がサイン・ラングエッジになっているという話があります。左手がA、右手がLで、Abraham Lincoln となるように造られている、というのです。後の時代になってこの彫刻家の方の息子が、たしか聾唖者で、聾唖の方のための施設に胸像をデザインして造ったということで、それがきっかけとなったのか、こういう噂がまことしやかにウェブなどでなされています。そして、リンカーン記念堂の前の階段が、ゲティスバーグ演説の最初に出てくる、 “Four scores and seven years ago...”の87段だという話もあります。それから、リフレクティング・プールという、大きな池がありますよね。映画『フォレスト・ガンプ』で、ガンプが突っ込んでいくところ。あそこの前の階段が、58段となっておりまして、これはリンカーンが亡くなった年齢と任期2年を足した数だ、という話もあります。これは実際言って数えてみると、これは違うよ98段だ、という話もあれば、96段だ、という話もありまして、これは是非一度言ってみた際に踏みしめて確かめていただきたいなと思います。

:記念堂は、ほかならぬティム・バートンがちょうど10年程前にリメイクした『猿の惑星』のラスト・シーンで使っていますよね。今回の映画のリンカーンはハンサムなんですけど、同時代ではパッとしないとか、猿みたいだとかいって、エイブラハムの略であるエイブ(Abe)ではなくエイプ(Ape=)・リンカーンと呼ばれていました。バートン版『猿の惑星』のラストでは、歴史が変わってリンカーンを模した猿の座像になってしまっている。そう考えると、まったく同じバートン監督ということにかんがみて、『リンカーン/秘密の書』『猿の惑星』の続編みたいに見えてくるのが面白い。まあこちらの映画には猿は出てこないんですけど。

:座像の話でいうと、座像が動くという話が一時期ありました。なんで動くのかというと、これはご存知かもしれませんがthe Starshipというバンドの、邦題「シスコはロックシティ」という楽曲のプロモーション・ビデオが80年代にあったのですけれども、その1番の終わりあたりでリンカーンが立ちあがって歌う場面がありまして、それ以降にどうも動くらしいという話がまことしやかにされるようになったと。まあ、動きやしませんけれども(笑)

:(笑)

:いや、動くんですけれども(笑)信じれば動いて見える、と。

今昔暗殺者物語
−−リンカーンは暗殺された初めての大統領ですけれども、アメリカ大統領の暗殺にまつわる謎などはありますか。

:今年は大統領選にあたっていて、いま激戦の渦中ですが、大統領史をふりかえってみると、リンカーンは1860年に選ばれ、ジェームズ・ガーフィールドが1880年に選ばれ、ウィリアム・マッキンリーは1900年に再選され、ジョン・F・ケネディが、1960年に選ばれる。そこまでが全て暗殺された大統領で、ロナルド・レーガンも1980年に選ばれて暗殺未遂になりますね。これは今日の医療テクノロジーが無ければ完全に死んでいたとされています。だから、ゼロの付く年に選ばれた大統領は暗殺されるというフォークロアがありまして、私は 2002年に『リンカーンの世紀』を出版した後には「最近もゼロの付く年に選ばれた大統領がいます」という話をよくしていたんですけれども、暗殺されそうで、されませんでした——あれだけの戦争を起こしながら。まあ世論が味方についたのでしょう。

:リンカーンとケネディの不思議な縁というのはありますよね。

:両者の暗殺はちょうど百年くらいの隔たりがありますが、ふたりが抱えていた政治的問題は人種問題にせよ軍事問題にせよ本当に似通っていた。

:非常に因縁ぶかいですよね。

:リンカーンの時代の南北戦争はケネディの時代の米ソ冷戦と対比できるでしょう。かてて加えて、リンカーンは衆人環視のもと劇場で暗殺されましたが、ケネディも衛星放送という衆人環視のもとオープンカーでのパレード中に暗殺されている。この映画はそこを割愛しているのですが、それもまた。原作者でもあり脚本家をも兼ねたセス・グレアム=スミスの英断として、わたしは評価しているのですよ。

ちょっと話は逸れますが、作家は映画化も自分が書いた作品通りでないと、嫌なものでしょう。スティーブン・キングは、キューブリックの『シャイニング』が嫌だと言ってほんとに自分でも新しいヴァージョンを作ってしまうのですが、こちらはあまりヒットしなかった。だから心を鬼にして原作をバサバサ切るというのは、尋常な作家が出来ることではないのですが、セス・グレアム=スミスは、ハリウッド歴が長いせいか、映画向きでないところはバッサリ切ってしまっています。その意味で、『リンカーン/秘密の書』は原作小説の前半で終っていると言ってもいい。小説では後半、劇場の場面から 20世紀半ば、マーティン・ルーサー・キング牧師の演説の脇にリンカーンがたたずんでいるというところまでもきっちり描いていました。今年の夏はフランシス・コッポラ監督の『ヴァージニア』とか、つい最近公開されたジェームズ・マクティーグ監督の『推理作家ポー』とか、リンカーンと同い年の作家エドガー・アラン・ポーを扱った映画が並んだのですが、じつはグレアム=スミスの原作小説にも、リンカーンがニュー・オーリンズへ川を下っていってポーと出会うという劇的なシーンがありました。でも、それも大胆にカットしています。とにかく一番リンカーンで有名な暗殺のシーンは、今までもサイレント映画の巨匠デイヴィッド・グリフィスの『国民の創生』などでも扱われてきていますけれども、この映画にはそれが無い。ロバート・レッドフォードやスティーブン・スピルバーグのリンカーン映画が相次ぐことを睨んだ英断かもしれませんが、いずれにせよリンカーンとケネディをつなぐのが暗殺だけではなかったことは明らかです。太平洋鉄道法なども、 20世紀半ばなら宇宙開発構想ニュー・フロンティアと対応させることができるでしょう。

:リンカーンを暗殺した犯人は、劇場でリンカーンを撃って倉庫に逃げたけれど、ケネディを暗殺したリー・ハーヴェイ・オズワルトは倉庫で撃って劇場に逃げたんですよね。そして双方の犯人とも逮捕前に殺害された。

:そうですね、本当は生け捕りにせよと言われていたのですけどね。本当によく似ていて面白いですよね。

:私設秘書の名前についても言われていますよね。

−−大統領と暗殺について、他に何かエピソードはありますか。

:ウィリアム・マッキンリーは米西戦争時代の大統領ですが、彼が暗殺されたのちに大統領職を引き継いだのがセオドア・ローズベルトで、そこから真の20世紀、アメリカの帝国の時代が始まります。ガーフィールドは一般的にマイナーな大統領だと思われているかもしれないですけれど、最近アラン・ペスキンの分厚い伝記が出て、教師としての前歴とか汚職追放への尽力とか、その名声を回復する試みになっていますね。それからロナルド・レーガンも面白い因縁があって、犯人がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の大ファンだったんです。ジョン・レノンを撃った犯人も『ライ麦畑』の大ファンだったと。しかもジョン・レノンは1980年暮れに暗殺されたけれど、レーガンが襲われたのは1981年春で、あまり間が離れていない。レーガンは暗殺未遂でしたけどね。だから、サリンジャーのあの小説に、なにか暗殺犯を駆り立てるものが秘められていると言われている。

:一時期アメリカのフォークロア・都市伝説の掲示板でも、『ライ麦畑』の中に特殊なコードが仕込まれていて、あの聖書の暗号ではないですけど(笑)、それは陰謀論に繋がっていくのですけど、それがきっかけになって凶悪な行動を起こすという話がありましたね。2

『ライ麦畑をさがして』という映画が、やはり10年くらい前に封切られて、『ライ麦畑』が大好きな少年がサリンジャーに会いに行く物語なんですが、この作品ではサリンジャー自身に向けてその少年が銃を構えて、暗殺しようとするんです。愛するがあまりに、暗殺することによって自分のものにしたいという、そこはちょっとリンカーンやケネディの場合とはモチベーションが異なるのですけどね。

虚実の境目に
−−リンカーンは本当にヴァンパイアだったのでしょうか。

:これは難しいですね(笑)

:小説を読むとなんだか納得してしまうのですけど(笑)

:都市伝説というのは、事実と虚実をうまく織り交ぜていって、その事実のパーセンテージと虚実のパーセンテージとの逆転現象がよく起きるのですけれども、事実の裏にあるストーリーを本物であるように思わせてしまうという点を面白いと思う気持ちが、今ネットなどで都市伝説が広まっていく要因になっていると思うんですね。

:本作品の場合も、 Abraham Lincoln: Vampire Hunter というタイトルを見て、最初はどうなのかと思いました。けれども、アメリカの本当の敵は南部とか奴隷制ではなく、人類全体を束縛しているヴァンパイアで、しかしそんなことを言ったら大統領は頭がおかしいと思われるのでそんなことは絶対に口にできないという設定は、陰謀説と言論統制とをうまく使っていると思います。まだ奴隷制をどうすべきか決定が出ていない南北戦争当時には、奴隷制への見解を公に討議すること自体が言論統制の対象でしたから。

:原作の写真なんかも、骸骨に牙が生えているものなんかがあって面白いですよね。

:そうそう。

:ぱっと見ると古い写真なんで、思わず信じてしまう。

:実際リンカーンは、故郷であるケンタッキーの田舎のログ・キャビンでは斧で薪を割るという生活から出発しているわけですから。斧を持ち歩いていても全然おかしくない。

Abraham Lincoln Birthplace*外観(奥田暁代氏提供)
:リンカーンの名言集の中に、「木を倒すのに6時間あったなら、一時間は斧を研ぐ」というのがあって、これは木を倒すためではなく、ログ・キャビンを建てるためでもなく、ヴァンパイアをハントするためのものだったというわけですね(笑)

内部に保存されている丸太小屋(奥田暁代氏提供)
:そうそう。だからセス・グレアム=スミスの話は細かいところでもビシバシつじつまが合ってしまうんですね。今ではリンカーンは歴史上の偉大な大統領とされていますけれど、当時は本当に優柔不断で、見た目も悪いしどうしようもないと、かなり馬鹿にされているところがありました。今でも黒人知識人の中で、独立宣言をにらみ「87年前……」から始まるゲティスバーグ演説でも、奴隷解放のことは一言も触れられておらず、リンカーンは奴隷解放に対して本気ではなかったのではないかと指摘する人もいます。だから、何を考えているのか分からないし優柔不断だと言われている。エピソードとしては、メアリー・トッドの尻に敷かれていたという話があります。逆玉なんですね、リンカーンは。メアリーは非常に癇癪持ちで、リンカーンが気に入らないことをすると、いろいろなものを彼から取り上げるわけですよ。だから、リンカーンの近所に住んでいた人の話によると、リンカーンが「ホワイト・ハウスに行かなきゃならないんだから早く俺のズボンを返してくれ」と叫んでいたと(笑)。

:なんでズボンを脱いでいたんでしょうね(笑)。

:お仕置きをされているわけですよ(笑)。まあ、この映画ではメアリーはとてもかわいい奥さんになっていますけれど、実際はリンカーンに対して怒鳴りまくっていました。だから、そういうことから考えて、行動自体はパッとしない、性格も優柔不断で、決断力もあるのかどうかよく分からない人だったと思われがちなんですね。しかし、今回の映画が真相だったとすると、言いたくても言えない真実があったからこそ、結果的に優柔不断に見えてしまっていたという解釈も可能になります。こうして、妙にこの小説はつじつまが合ってしまうんです。原作を読んだ時に、よしながふみの『大奥』という漫画が思い出されたんですよ。歴史上の将軍が実際は死んでおり女に取って代わられているという設定で、それは絶対に口が裂けても言ってはいけない真実なんですね。だから、歴史上には言ってはいけない秘密、断じて明かしてはいけない真実があるというメッセージにおいて、ふたつの作品は似ています。だから、当時はあまりぱっとしない大統領でも実は出来る奴だったという設定も生きてくる (笑)。でも口にすると頭がおかしいを思われるから黙っている。だから、途中のシーンでメアリーに「実はヴァンパイアを狩っているんだ」と冗談にして言うところが面白いですよね。

:デートしている時ですね。

:そうそう。
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*写真注:Abraham Lincoln Birthplaceケンタッキー州):
こちらの階段の段数も、死亡したときの年齢とおなじ数、という逸話があるという。
 テディ・ローズヴェルトが定礎の式典に訪れ、完成時にはタフト大統領が訪れた。
さらにメモリアル創設を発案したAbraham Lincoln Farm Associationには
マーク・トウェインも名を連ねていた。
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−−今年から来年にかけて、10月27日に『声をかくす人』(原題:The Conspirator)、11月1日に『リンカーン/秘密の書』、来年に『リンカーン』などリンカーン関連の映画がたくさん公開されますが、このことについてはどう思われますか。

:実際には、リンカーンの生誕200周年が2009年だったんですね。だから2009年には生誕200周年の著名人が三人いて、それがポーとダーウィンとリンカーン。同じ1809年生まれで、ポーが1月で、ダーウィンとリンカーンが2月で、非常に近いし、3人とも猿に関係があります。そういう意味でも、生誕200周年の年にはアメリカでも展示を行っている博物館が沢山ありましたけれども、昨今のリンカーン映画ブームは、その時に企画を思いついたのか、あるいは一つ非常にうがった見方をすれば、今度のオバマ再選がかかっている大統領選が絡んでいるのか、どちらかでしょう。リンカーンも再選をかけて選挙に臨んで、それが成就したら暗殺されてしまいましたから。

Newsweek 最新号で特集されていましたけれども、リンカーンは表面上は優柔不断に見えるけれども、水面下では実はすさまじい政治力があった。とくに再選のために大変な戦略を練っていました。結局1863年に奴隷解放令を出しても、それで奴隷が解放されるわけではないんですよ。それを合衆国憲法に盛り込まなくてはならない。憲法修正案第13条を実現させないといけないわけで、リンカーンはそのために、修正案に反対しそうな重要人物を何人か呼びつける。そして、「もしも賛成してくれたらこういう閣僚のポストを与える」と、かなり露骨な取引を水面下で行っていました。そうやって再選を確保し、じっさいに憲法が修正されて、本当に奴隷が解放されるように持って行ったんです。対抗馬でジョージ・マクレランが出馬して、この人は最初はリンカーンのために働いていたのですけれど、民主党候補としてのライバルになりました。その時ちょうど北軍の形勢が悪かったのですが、天の配剤で、神風が起こったかのようにアトランタが陥落したのですね。これは『風と共に去りぬ』でも描かれています。それで、世論がリンカーンの味方につく。

それまではバッシングがひどくて、中には「リンカーンは悪魔と取引している」というネガティブ・キャンペーンが行われていたのです。そういうときに、フォークロアの類が使われるんですね。「エイブラハム・アフリカヌス1世」等と呼ばれて、黒人の味方のリンカーンをアフリカ人として揶揄するものがありました。今でこそ、「ブラック・イズ・ビューティフル」とも言われて、黒人だからと言ってどうこうということはないですけれど、当時は黒人のようだというのは、最大の侮蔑だったわけです。しかも、「黒」と悪魔を結び付けるという手法で、フォークロアじみたやり口でネガティブ・キャンペーンがされていた。けれども、水面下での駆け引きを通じてリンカーンは再選を果たして、 150年後の今はオバマが再選を目指している。その意味では、リンカーンを大変尊敬しているオバマが再選を狙っているこの時期にリンカーン映画がつくられるというのは、じつにタイミングがいい。

:オバマは、再選したら宣誓式の時にリンカーンの聖書をまた使うのでしょうかね。

:もちろん使うでしょう。

−−会場からの質問ヴァンパイアというと一見荒唐無稽な話に聞こえますが、陰謀論なども絡めて考えるとこれはもっと深い意味があって作者が仕掛けを施しているのではないかと取れると思います。例えば、最後にリンカーンが暗殺されるのも、ヴァンパイアの一族によって殺されたのではないかという解釈が可能なわけで、そこまで考えて初めてこの映画を理解できるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

:暗殺犯はジョン・ウィルクス・ブースというシェイクスピア俳優で、アメリカ最高の美男と言われた男です。南部の大義のために行動し、リンカーンを暗殺すれば世論が自分についてくると考えていたのですが、原作では彼がヴァンパイアだったとされていますね。それでリンカーン自身もヴァンパイアになってしまって、一番最後にマーティン・ルーサー・キング牧師が“I have a dream”の演説をする場に佇んで見ているというシーンがあります。結局リンカーン自身がヴァンパイアとなって生きながらえることができたから、自分の播いた種の行く末を見ることが出来たという話なのですね。まあオバマのところまでは描かれていませんけれども、それなりに小説としては完結感があるものになっています。物語は実によく調べてあって、本当のところと作りモノのところがうまくつぎはぎになっています。非常にまじめなアメリカ史としても読みかえられる物語なんですね。私自身の専門分野でもリンカーンを作家的なイマジネーションを持った人物として読むという研究がアメリカでも盛り上がっていて、実際リンカーンが思い描いたことが実際にアメリカの歴史となって実現しているので、本作品はじっさいには非常にまっとうな映画じゃないかと(笑)。一見とんでもない話に見えるけれども。

:最後に銃が最新式になって出てきたりとかですね。

:そうそう。あそこで物語がまだ続いていることが示されている。だから細かい見どころが沢山ありますよね。劇場版の方のプログラムにも寄稿したんですけれども、リンカーンが大陸鉄道網の整備を推し進めたことから、railroad がキーになっているんです。字幕では明記されていないけれども、どうやって銀器を運ぶかところで、underground railroad が出てくるんですよね。これは日本語でも「地下鉄道」という言い方をするのだけれども、実際は鉄道の形はしていなくて、黒人が北部に逃走する際の経路を指します。だから、途中で教会に逃げるシーンがありますが、ああいう黒人を逃がす拠点を当時は駅 station と言い、管理する駅長さんがいて、また逃亡奴隷のナビゲーターを車掌さんと呼んだりしていたのですが、そうした歴史的事実が巧妙に採用されていたのが面白かったですね。だから映画の方でもかゆい所に手が届く演出がされています。男たちによる railroad のスペクタクルもある一方で、女性たちが underground railroad で銀器を運ぶという所は史実のみごとなドラマ化でしょう。蒸気船が一気に出てくるスペクタクル感覚も素晴らしい。だから一種のスチームパンクといってもいいですね。

−−興味深いお話をたくさんお聞かせいただきありがとうございました。本日は、「ムー民」試写ということで、観客のムー民(たみ)の皆様、楽しんでいただけましたでしょうか?映画『リンカーン/秘密の書』は、11/1より全国公開となります。おつきあいいただきまして、ありがとうございました。

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 葬送列車は西へ――『リンカーン/秘密の書』学部生レポ
(巽ゼミ4年:坂雄司)


300』や『マトリックス』シリーズを彷彿とさせるアクションが満載の『リンカーン/秘密の書』。大統領を一人の狩人と捉え、二時間の中で歴史の舞台を所狭しと闘わせる痛恨の冒険活劇となっている。巽先生によれば、黒人奴隷を逃がす「地下鉄道」が出てくるなど史実もきちんと調べられており、その符号を探す楽しみも見逃せない。歴史が陰謀めいた想像を掻き立て、ロマンを呼び起こす好例といえるのではないだろうか。