2012/05/01

The Coolhunter's Catalog: Storming the Transpacific Studio

日米文化の変容を考えるために

巽孝之


わたしに初めてアメリカを実感させてくれたのは、1967年に小学校高学年だったころ、ビートルズのアメリカ制覇でピークに達していたロックンロールでした。ちょうどSFに夢中になっていたわたしは、1968年より背伸びして買い始めた早川書房の月刊誌<SFマガジン>で小松左京という作家の長篇連載『継ぐのは誰か?』を読みふけるようになり、電脳空間に自由自在にアクセスできる電波人間という強烈なアイディアもさることながら、何よりもヴァージニア大学都市のサバティカル・クラスでくりひろげられる知的にして奔放な大学生活にあこがれたものです。やがて1969年には、少女雑誌<セブンティーン>で、水野英子のロック漫画『ファイヤー!』に接し、アメリカ文化の影響は決定的になりました。その15年後、わたし自身が20代の終わりに3年間のアメリカ留学を果たし、アメリカ研究の仕事に就いたのも、これらのアメリカ像が魅力的だったからにほかなりません。

ふりかえってみると、ビートルズはイギリス人ですし、小松左京も水野英子も日本人です。したがって、いまにしてみると、彼らアメリカ外部の表現者によって描き出されたアメリカには、巧妙なまでに「毒」が刷り込まれていたこともわかってくる。そして何よりも、戦後日本社会がいかにアメリカとの妥協のうえで独自の混成主体を発明しなければならなかったか、このように発明されたサイボーグ的主体こそ「自然」なものと信じこまなければならなかったかが、わかってくる。だからこそ、文化を相対化する視点の先覚者とも呼ぶべき九鬼周造の『「いき」の構造』と土居健郎の『「甘え」の構造』を、わたしは大学時代このかた、何度となく読み返しています。

ただし1980年代の高度資本主義時代を経ると、日米文化は単純な影響関係でも相対関係でも計れません。ハイテク情報空間が稠密になりグローバル化が進めば進むほど、何らかの影響がなくても地球上の文化は同時多発するし、そもそも因果関係の論理、リアリティの根拠を攪乱してしまうほどに、文化の混淆は進むばかりです。9.11同時多発テロの勃発が、長く封印されてきた文化の「毒」を世界に解き放ったことも重大でしょう。ならば、その「毒」は蔓延するしかないのか、別の毒によって制されるものなのか、それとも、まさにそこから新たな文化がもたらされるのか――こうした問いかけのうちにこそ日米文化の変容を考えるヒントが潜むと思い、新著『フルメタル・アパッチ』(デューク大学出版局)を上梓した次第です。

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The Coolhunter's Catalog: 
Storming the Transpacific Studio
紀伊国屋書店・じんぶんや・第24講
「日米文化の変容―9.11テロ以後のトランス・リアル!」
限定版ブックレット(08/01/2006発行)


***目次
◆日米文化の変容を考えるために
(巽孝之)
◆『フルメタル・アパッチ』を読む50冊
(ジャパノイドの誕生/敗戦ニッポンの私/ハイブリッド・ナラティヴ/新「トウキョウ」学/OH!パイオニアーズ!/アヴァン・ポップの現在進行形/ノー・アヴァンギャルド・ノー・ポップ/Sci-Fi・イズ・パンク/ニュー・ジャパノロジー/トランスリアル!な思考/オタクとアニメとガイジンと