フルメタル・アパッチ―日米文化の受容と変容
巽孝之
Hiroshima Bugi |
この環太平洋的な視点は、戦後大阪の兵器工場跡に出没したスクラップ泥棒たちがジョン・フォード系西部劇の影響で「アパッチ族」と渾名され、1950年代から90年代にかけて開高健や小松左京、梁石日らの文学に影響を与えたこと、アメリカ作家 Jake Page が歴史改変小説 Apacheria (1998年)で合衆国の意義を問い直したことを考えさせる。かくして本講演では拙著最新刊 Full Metal Apache: Transactions Between Cyberpunk Japan And Avant-Pop America (Durham: Duke UP, 2006) を補足・発展させるかたちで、『ヒロシマ・ブギ』から混血インディアンの文学史を、そして戦後における表象の廃墟と廃墟のアパッチ族を考察した。
その過程で理論的骨子となったのは、黒人文学に関する限り、どれだけ混血化が進んでも「黒人としての血の一滴」という起源神話が根強いため「白人としてまかり通る」ことを語るパシング・ナラティヴが浸透するいっぽう、アメリカ・インディアンの場合には、そもそも「インディアン」という範疇そのものが起源の捏造であり、混血に混血を重ねてきたこの民族においては、もはや起源なきシミュレーション・ナラティヴとしてしか成立しないという最新の認識である。こうしたシミュレーション・ナラティヴは、混血児インジャン・ジョー以来の恐怖感を薄めるようでいて、じつは日本アパッチ族に代表される新たなポスト・インディアン種族の恐怖と蠱惑を同時にもたらす。だからこそ、日本アパッチ族の物語は、現在のキッチュ・オリエンタリズムを代表しつつも、植民地時代以来の人種的無意識のジャンクヤードに巣くうアメリカン・ナラティヴの伝統をも逆照射してやまない。
『Soundings Newsletter』
12/01/2006