2000/02/23

Miscellaneous Works:解説・評論・講義:赤い部屋の恋人

 <Person>#3.4 (April 2003)
『赤い部屋の恋人』
巽孝之

まず自由の女神がクローズアップされる。それだけで、ニューヨーク作家ポール・オースターの愛読者には、たまらないプレゼントだろう。彼の傑作長篇のひとつ『リヴァイアサン』( 1992年)では、全米各地に存在する自由の女神を爆破して歩くテロリストが主人公だったのだから。

しかし、画面に映る自由の女神の周囲を見回すと、どこかおかしい。すぐそばにエッフェル塔が見えたり、遠景にはピラミッドが見えたりする。それもそのはず、ここはニューヨークどころか、世界全体のレプリカともいうべきゴージャスでエロティックな歓楽都市ラスヴェガスなのだ。

しかも本作品に関する限り、脚本は『スモーク』や『ブルー・イン・ザ・フェイス』の監督ウェイン・ワンと、オースター夫人でもあるもうひとりの作家シリ・ハストヴェットとの三者共同執筆。そのせいか、かつてオースター色の強い映画ではフル回転していた偶然性の演出が、極力抑えられている。これまでオースター文学は、とうてい結びつきそうもないほど無縁に見える人物同士、出来事同士がじつは思いもよらない因果関係を抱くという奇遇の原理をたたみかけることでのみ、読者を魅了してきたものだが、その点ではことごとく禁欲的な今回の作品は、わたしたちの期待の地平を、心地よくも裏切るはずだ。

代わりに示されるのは、説明する必要もないぐらい単純明快なラヴストーリーと、デジタルビデオの効能を活かし、ラフなのにシックという絶妙の仕上がりを見せるに至ったスクリーンである。

主人公は、株で大儲けしてカネにだけは困ることのないネット長者のオタク青年リチャード。彼は、女性ドラマーとして活躍しながら夜はクラブ「パンドラの箱」専属ストリッパーとして稼ぐフローレンスに一目惚れしたあげく、三日間で一万ドルの報酬により、ともにラスヴェガスで過ごす契約を結ぶ。今日のラスヴェガスは、ギャンブルばかりでなく、ミュージカルを中心としたパフォーマンスや独自のライドが楽しめるテーマパークにおいても文化的発信地たりえているが、そのような文脈に置いてみれば、本作品はいわば個人的にストリップショウを買い取る高級売春物語のようにも映るだろう。げんにフローレンスが契約どおり、キスも性交も禁じる制約の中で引き出すリチャードの「内なる性願望」(シークレット・ファンタジー)は、同地でいま一番人気のストリップショウ「真夜中の性幻想」(ミッドナイト・ファンタジー)から着想されているはずである。ところが、やがて彼女がビジネスを超えて個人的恋愛愛情を覚えはじめた矢先に、ひとつとんでもない事件が起こり、ふたりはお互いの「性幻想」の犠牲となってしまう。その崩壊のプロセスが、いとも切なく美しい。

オースター文学は禁欲し抑制された。しかしご心配なく。それと引き換えに、わたしたちは二一世紀版の『ナイン・ハーフ』とも呼ぶべき、いとも優雅で感傷的なポルノ・ファンタジアを獲得したのである。