2000/02/23

Miscellaneous Works:解説・評論・講義:屋根裏

初出:劇団燐光群
「屋根裏」パンフレット
巽孝之

上手い舞台や強烈な舞台は、枚挙にいとまがない。だが、くりかえし語りたくなるような舞台は、やはり稀だろう。わたし個人にとっては、1970年代なら寺山修司の『中国の不思議な役人』が、1980年代ならデイヴィッド・ヘンリー・ホアンの『M.バタフライ』、そして1990年代なら坂手洋二率いる燐光群の『天皇と接吻』がそうであった。これらは、それぞれの生きた時代のかたちそのものを舞台に活かし、現在進行形のリアリティを感じさせてくれた。

やがて世紀が移ると、寺山リメイクが流行し、ホアンは自ら古典リメイクにばかりかまけるようになったが、坂手洋二の想像力は衰えるところを知らず、21世紀にふさわしいモードによる独創的な新展開を続行中だ。その収穫が、2002年5月に発表され、同年度の読売文学賞戯曲部門賞受賞作となった『屋根裏』である。

この作品は基本的に、「屋根裏」という名のキットが都市空間に散乱し、思いもつかないかたちでどんどん転用されていくさまを描く。もともと屋根裏は狂気の潜む空間として想定されることが多かったが、ここに登場する屋根裏キットは、変幻自在。作中言及される江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』をはじめ、安部公房の『箱男』、それにフィリップ・K・ディックの『虚空の眼』からウィリアム・ギブスンの『カウント・ゼロ』まで、このドラマは多様な文学作品を連想させつつも、まったく独特なスピード感とともに疾走して時間と空間の限界を突破し、恐るべき結末へ向かって収斂していく。

昨年5月の初演を観て感動したわたしは、折も折、<スタジオ・ヴォイス>誌2002年8月号が企画した鼎談で、精神科医の斎藤環氏、文化批評家の森川嘉一郎氏に同作品を紹介する機会を得た。絶妙のタイミングというしかない。というのも、斎藤氏は一貫して境界例や社会的引きこもりの視点から現代人の病理を究明しようとしてきたし、森川氏は今日では個人個人の内宇宙が相互循環する秋葉原のような都市がいちばんリアリティをもつことを分析してやまないからだ。だが『屋根裏』という、それ自体屋根裏のごとき梅ヶ丘BOXで演じられる極小の舞台空間は、文学にも精神分析にも都市工学にも連環しながら無限に拡張し続け、そのあげく極大の時代空間全体をまるごと呑み込むような箱宇宙を露呈してみせる。そう、『屋根裏』のいちばんの魅力は、それを目にしさえすれば、わたしたちの生きている世界の成り立ち自体について、いくらでも語り明かせることだ。あなたがこれから眼にするのは、とてつもなく楽しく、そしていちどハマったら抜け出せない戯曲なのである。