2000/02/23

Miscellaneous Works:解説・評論・講義:サツキ

向山貴彦「サツキの鉢」 解説
生かすも殺すも三田の山では

『三田文学』1997年秋季号
学生小説セレクション

わたしがいま担当しているのはアメリカ文学思想史や現代批評など理論的な授業が多いのだが、にもかかわらず研究室を訪れる学生諸君の中には、前号荻野アンナ氏の場合と同様、レポートのみならず自作小説という創作的な成果を携えてくる向きが少なくない。

しかし、学生諸君の書きおろしを手渡されるその時々に必ず脳裏をかすめるのは、申しわけないが即座に作家的資質を見定めるとか良心的助言を与えるとかいう類いの、各人に見合った対応ではなく、かれこれ十年以上前、八〇年代半ばの米国コーネル大学大学院留学時代にさかのぼるたったひとつの思い出だ。ニューヨーク州イサカの、ある秋の日の昼下がり、著名なフォークナー学者にして読者反応論批評の先駆者ウォルター・スレイトフ教授と、研究室で語り合ったほんの数時間。その時教授は、いまでは現代アメリカを代表しノーベル賞候補にも挙がっているメタフィクション作家トマス・ピンチョンが五〇年代に同大学英文科在籍していた当時、自分が指導教官だったこと(「クラスではおとなしいが文章は素晴らしい」と評していた)、とりわけこの作家が大学四年生の時に書いた短編第二作「殺すも生かすもウィーンでは」を一読して学内文芸雑誌『エポック』一九五九年春季号(第九巻第四号)に載るよう取りはからったのは、まさに当時同誌の編集委員だった教授自身だったことを語ってくれた(この事実はピンチョン研究史においても往々にして見逃がされている)。

もちろん、どのような作家にも若書きはある。しかし右の作品は、彼の短編総数が決して多くないにもかかわらず、唯一の短編集『スロー・ラーナー』(八五年)を編むさいにすらピンチョン本人が恥じたのか敢えて割愛したという、いわくつきのものである。じじつ、タイトルからしてシェイクスピアの『尺には尺を』から借用し、コンラッドやエリオットにまつわる引喩満載という、文学部お勉強小説とでもいえる典型的な若書きなのだから。ところが文学史というのは皮肉なもので、若くして頭角を現わした作家が志半ばで夭折するという天才神話もあれば、若いころに未熟な若書きばかりを残していたからこそ以後の傑作群が際立つという巨匠神話もある。未来は誰にも予言できない。

今回、わがゼミ四年生の(つまり前掲ピンチョンが初期短編を書いた時と同学年の)向山貴彦君による短編小説「サツキの鉢」をご紹介するさいにも、そうした予測不可能性がつきまとう。彼はアメリカ南部で少年時代の大半をすごした帰国子女であり、日本語のみならず英文小説をも難なくこなす。北米の大学に創作科があるのは常識なので、彼は日本においても、文学部というのは創作するところで研究するところではないと最初から信じ込んでいたほど根っからの作家志向だ。授業の発表のさいに製作してくるハンドアウトもマッキントッシュのソフトを駆使した年表あり写真あり文体パロディありのカラフルかつクリエイティヴなもので、良くいえば芸達者、悪くいえば目立ちたがり屋の個性といえるだろうか。それほどに創作(というかものを創ること全般)に対して意欲的な向山君だから、「サツキの鉢」にも、わたしの原典講読で取り上げたポウやメルヴィル、ジェイムズやフォークナーの短編に見られる認識論的問題に--つまり現実と幻想の境界解体に--何らかのヒントを得たのかもしれない。げんにこの小説は、「痛いのは嫌い」という生理感覚の波とともに、はたしてサツキにとってのカズがどのような存在だったのかという点について読者を判断不能の渦のさなかへ巻き込む。彼は自殺したのか、彼女が彼を殺したのか、彼女は屍体愛好症なのか、そもそも彼は実在しているのかどうか。長編小説ならば必要不可欠な人物背景をいっさい切り捨てることのできる形式上の利点を活かしながら、作者はひたすら読み手を藪の中へ連れ出し、タイトルの象徴性を深めていく。

ちなみに、向山君の卒論テーマはホラー作家スティーヴン・キング。ただし彼は学業のかたわら、すでに昨年には自分で小出版社スタジオ・エトセトラを設立し、本年九七年にはやはり本塾四年のイラストレーター宮山香里君とともに、既成の文芸出版に挑戦するインディーズ出版の実験として原稿枚数二千五百枚に及ぶ第一長編『童話物語』を上梓している。ミヒャエル・エンデやジョン・クロウリー、宮崎駿を連想させる骨太のファンタジーとして完成度が高く、とりわけ根源的な悪を徹底して描くことができる筆力は現在最も稀有な部類に属す。

かくして、長編においても短編においても、初期・向山貴彦は出発した。それらが天才神話における若書きであるか、巨匠神話における若書きであるか、それとも若書き神話そのもののきわめて芸達者なパロディであるかを知るためにのみ、あと半世紀ほど経ったらもういちど本誌今号のこのページをめくってみたいと思う。

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