2000/02/23

Miscellaneous Works:解説・評論・講義:騎士

イエンス・ヨハンネス・ヨルゲンセン、永野藤夫訳
『アシジの聖フランシスコ』
(平凡社ライブラリー、1997年)
巽孝之

アシジの聖フランシスコと聞けば、すぐさまフランコ・ゼフィレッリ監督1972年の伝記映画『ブラザー・サン、シスター・ムーン』を思い浮べるかたは、決して少なくないだろう。ゼフィレッリはこれ以前にオリビア・ハッセー主演の1968年作品『ロミオとジュリエット』で大成功をおさめ、同作品はいまや「青春映画の古典」と呼ばれるほどだが、つづく『ブラザー・サン、シスター・ムーン』にも、フランシスコとのちに彼の最大の弟子となるクララとのあいだに「もうひとつのロミオとジュリエット」とでも呼べるようなロマンスがうっすらと演出されていた。フランシスコを演じるグラハム・フォークナーが戦争から帰還して回心を遂げ、大司教や両親の目前ですべての世俗的所有物を捨て去り裸で髪のもとへ赴こうとする場面や、彼を追って出家するクララを演じるジュディ・バウカーが滝の前でフランシスコにそのブロンドの髪をばっさり切り落とされる場面など、それぞれ清貧かつ清純な若さと美しさに輝いており、イギリスのボブ・ディランとも呼ばれるドノヴァンの歌声が、その光るような画面にますます磨きをかけていた。

とはいえ、このようにあまりにもロマンティックな第一印象にもかかわらず、それ以上にこの映画が、見ようによってはなかなかにシニカルな終り方をしていたことも、忘れられない。フランシスコが生きた12世紀末期から13世紀初頭にかけて、当時のローマ教皇は宗教的にも政治的にも絶大な権力を掌握するばかりか膨大な富を蓄積しており、それに付随して教会は持たざる者どころか持てる者となって制度的腐敗を露呈していた。適性のない者すら、ただ財産目当てで聖職に就くという悪弊も生じていた。だからこそ、神聖ローマ帝国の都市のひとつアシジにおいて、所有を原理とするいっさいの社会的制度と絶縁して志願乞食となり労働と施しを中心に暮らすことを選んだフランシスコの活動が多くの支持者を獲得し、後世にもロジャー・ベーコンやドゥンス・スコトゥスという哲学的後継者をもたらす。このいきさつは、今日、あまりにもよく知られる事実である。

映画でも対比されるように、アシジの教会では華美に着飾ったキリスト像の十字架が目立つ一方、崩れ落ちたサン・ダミアーノ教会堂では裸のキリスト像のビザンツ十字架が残っており、それが「フランシスコよ、廃墟と化したわたしの家を修復せよ」と呼びかけたのが彼の回心をいっそう堅固なものにしたと伝えられるが、それ以後に始まる彼と弟子たちの教会堂修復は、文字どおり腐り切った同時代教会制度全体の修復を意味した。かつての親友ベルナルドが帰るよう説得するさなかにすら、フランシスコは上の空であたりを見回し「どの石が使えるか」という一点しか考えておらず、その態度にベルナルド自身が逆説得され、ミイラ捕りがミイラと化す。フランシスコは自らアーサー王と円卓の騎士の大ファンをもって任じていたから、いっさいの世俗的価値を脱却して反体制的生活を志すそのヒロイズム自体にもうひとつの騎士道精神を見出すのは、不可能ではないだろう。  

しかし今回久しぶりにヴィデオ版で観直してみると、いちど見ただけではたんなる文部省推薦健全青春映画の典型とも映りかねない『ブラザー・サン、シスター・ムーン』に決定的な、しかし物語学上絶対不可欠な陰りを与えていた部分を鮮やかに思い出した。  

封切時、わたしは高校二年生で、光に満ちた映像が秘める一抹の影に、何となく釈然としない思いを抱いたものだった。そう、フランシスコがとうとう時の教皇インノケンティウス三世との謁見を許され、あろうことか教皇によって足に口づけまでされるというあのクライマックスで、背後の聖職者同士がひそひそと聞こえよがしに交わすあの会話が、長くわたしの記憶に突き刺さっていたのである。

映画終盤、フランシスコに「主の説いた教えどおりに生きるのはまちがっているのかどうか」と尋ねられ、感銘を受けた教皇は、このように語って相手の足元へ身を屈める--「原罪(オリジナル・シン)に囚われるあまり、わたしたちは原初の無垢(オリジナル・イノセンス)のことを忘れがちだ」(日本語字幕では「われわれは原罪については神経質になるが、本来の善を忘れがちだ」)。ちなみに、本書第二章「福音を述べる人フランシスコ」第二節で著者ヨルゲンセンは、この謁見に先立つ前夜、教皇自身が、傾きかけた聖堂をぐいと持ち上げて修復した男の夢を予知的に見たことを銘記している。

ところが、そのかたわら、教皇を取り囲む聖職者のひとりが、もうひとりにこう囁くのだ--「安心しろ、教皇はちゃんと自覚してやっておられる。貧乏人どもに声をかけてやれば連中も教皇庁に従うようになるって算段さ」(日本語字幕では「安心しろ、教皇は役者だ。これで貧乏人どももおとなしくなる」--この案も決して悪くない)

右のやりとりが高度にレトリカルに響くのは、インノケンティウス三世はいうまでもなく英語表記でいう「イノセント三世」(Innocent III)であるからだ。あたかもフランシスコの思想へ共鳴するかのように「原初の無垢(Original Innocence)のことを忘れてはいけない」と語りかける教皇は、じつはまったく同時に「無垢(イノセンス)に通じる名前をもつ教皇本人のことを??いわば教皇庁そのものの制度のことを??忘れてはいけない」という強烈な皮肉を放っているようにも聞こえる。こうした二重の響きがあるからこそ、背後で囁かれる邪悪な会話もがぜん意味を増し、観る者の心に明るいロマンス以上の思想的陰影を残してやまない。ゼフェレッリの映像構成は、フランシスコの人生自体が決して一枚岩ではなかったことに対する、最も精確な20世紀的再解釈のひとつであったと思う。

キリストからすでに一千年以上も以後に来たフランシスコ自身が貧しきキリストの精密なる模倣を試み、さらにそのフランシスコの生涯に関して彼の最大の弟子クララが精密なる模倣を試みたという予型論的構図は、よく知られるところである。とりわけフランシスコの場合、映画では割愛されているその晩年、健康が不安定になり説教と痛快と祈りに専念するようになった時代の1224年9月17日、ラベルナ山はモンテ・アルヴェルナの隠棲所で、十字架上のキリストとまったく同じ五つの傷を肉体に受けるという聖痕の恵みを受けたことは、救い主と自身とを霊的にも肉体的にも結び合わせる未曾有の奇跡として、教会史上燦然と輝く。これは、本書のヨルゲンセンも第四部「隠修士フランシスコ」第四節で、古い伝記から巧みに引用を織り成し、最もドラマティックに描写している場面だ。 

とはいえ、かつてのキリストが旧約聖書を同時代的文脈に鑑み巧みにズラして解釈してみせたように、フランシスコもまた、必ずしも聖書的教義に忠実だったというよりは、むしろ時代的落差を利用しつつまったく別のコンテクストでキリストの遺産を甦らせたところに最大の意義がある。かつてニーチェはキリストとキリスト教を区別したが、フランシスコも以後のフランシスコ派最初の哲学者ボナヴェントゥーラに代表される旧スコラ哲学系フランシスコ学者とは峻別されなくてはならない(下村寅太郎『アッシシの聖フランシス』、南窓社、1965年)。何しろ、誰よりもフランシスコ本人が、書物や知識をも含むいっさいの所有概念を葬り去り、理論よりは実例を、言葉よりは実践を重んじた聖人なのだ。G・K・チェスタトンも言及しているように、フランシスコが死の床にあってすら裸の大地に裸で横たわらんとしたのは「彼がもつものであることと彼が無であることを証ししようとした」結果である。フランシスコを知るには、いっさいのフランシスコ学を知らないままに向き合うことこそが最もフランシスコ的な姿勢なのである。だからこそ、フランシスコを根本から現代的に読み替える作業にも、大きな可能性がひそむ。

たとえば、20世紀を席巻する精神分析理論の祖ジークムント・フロイトが、現代的視点に立ち、フランシスコは愛の表現を極限まで追求し、まったく未知なものにも自分の意思を伝えることのできる人間だった、いわばロゴスに対するエロスの優位を主張することのできる人間だったと示唆していることは重要だろう(レオナルド・ボフ『アシジの貧者・解放の神学』(原著1981年、邦訳・エンデルレ書店、1985年)。あるいは、M・V・ガリーもいうように、フランシスコが20世紀であればガンジーやマーティン・ルサー・キングのように、非暴力を信条としながら世界変革を企てる者、具体的には聖職者と教会制度を塗り替える革命家とも呼びうることは、見逃せない(『現代に生きるアシジの聖フランシスコ』、原著1971年、邦訳・フランシスコ会連合本部、1976年)。さらにチャールズ・カミングズは、フランシスコが小鳥や草花ばかりか蜜蜂や蠅までをも、つまりは--本書の著者ヨルゲンセンも強調する「兄弟太陽の賛歌」に集約されるように--すべての自然界における神の被造物をすべて自分の兄弟姉妹と見なしていたことを重視し、そこにいわばエコロジーやネイチャー・ライティングの先駆者の肖像を想定しようとする(『エコロジーと霊性』、原著1991年、邦訳・聖母の騎士社、1993年)。 

ふりかえってみれば、遠藤周作が転び伴転蓮を主役に据えて『沈黙』(1966年)を発表した時、それは転向問題を抱える左翼的心情に広く訴えたものだったが、ゼフィレッリが七二年に『ブラザー・サン、シスター・ムーン』を製作したのも、いっさいの物質的所有を、そして知的所有すらも否定するフランシスコの姿勢が、たとえば五月革命やヴェトナム反戦運動、ウォーターゲート・スキャンダルへと連なっていく激動の1970年前後の対抗文化精神と連動するのを、あらかじめ喝破したからではあるまいか。1980年代にピークを迎えるバブル経済がはじけてリストラがさかんに行なわれホームレスが増大するようになったたあとの日本にとっても、事情はおそらく同じことで、中野孝次一九九二年のベストセラー『清貧の思想』においては、聖フランシスコが吉田兼好や本阿弥光悦と並列されている。昨今隆盛をきわめるフォレスト・ガンプ的な白痴賢者(イディオサヴァン)的キャラクター、すなわち特殊な能力にひとつだけ秀でた社会的逸脱者たちの物語なども、ポストモダン・フランシスコのありかたとして注目すべきかもしれない。

だが、イエンス・ヨハンネス・ヨルゲンセンが1907年に出版した本書『アシジの聖フランシスコ』を改めて読み直して気づいたのは、当時のローマ教皇が権勢をふるういっぽう内面に深い悩みを抱えていたという視角を提供し、右に概説した現代的フランシスコ像を導き出す皮切りを成したという点ばかりではなかった。何より魅力的なのは、全編に漂うヨルゲンセンならではのユーモラスな文体である。とりわけ第二章第四節、フランシスコが、彼の聴罪司祭と秘書を兼任するアシジの兄弟レオーネと、あらかじめ打ち合わせをしたうえで神への祈りを捧げながらも、なぜか何度やっても打ち合わせどおりにいかない部分などは、本書の白眉を成す。会話部分だけを抜き出してみるとー

  • フランシスコ「天の神である主よ、わたしはあなたにたくさんの不正をなし、たくさんの罪を犯しましたから、あなたに地獄に突き落とされるにふさわしい者です」
  • 兄弟レオーネ「おお、兄弟フランシスコよ、神は、お前が最大の祝福を受けるようになさるだろう」
  • フランシスコ「なぜいったとおりに答えないのか。服従の名において命じる が、これから教えるように答えなさい。おお、悪人フランシスコよ、神に同情していただけると思っているのか、お前はいつくしみと慰めの父に多くの罪を犯し、いつくしみをいただくのにふさわしくないのに。わたしがこういったら、兄弟レオーネよ、神の小羊よ、お前はいつくしみをいただくのにふさわしくない、と答えなさい」 
  • (中略)
  • 兄弟レオーネ「父よ、命じられたとおりに、いつも答えようとしました。でも、神がおぼしめしのままにわたしに話させ、わたしの考え通りになりません」

この手のやりとりが、以後、両者のあいだでえんえんと続く。わたしは改めてこのくだりを再読し、思わず吹き出してしまった。あたかも良くできたヴォードヴィルの一幕をのぞいたかのような心持ちになり、おかしくておかしくて、しばらく笑いが止まらなかった。ひとつの会話に接してこんなに笑ったのは、サミュエル・ベケット1952年の不条理演劇『ゴドーを待ちながら』におけるウラジーミルとエストラゴンの掛合い以来だろうか。 

もちろん、神聖なる宗教的書物を読みながら笑い出すのは、あまりに冒涜的にして非常識かつ不謹慎な反応かもしれない。しかし、聖書的発想を最初から洒落のめす意図で書かれたポストモダン文学がいくらでも氾濫している今日、ほかならぬフランシスコ伝自体の内部に、そうした現代的感覚といささかも齟齬をきたさぬ文脈があるのを、本書の著者は再認識させてくれる。ゼフィレッリとはまた別の文脈において、本書はもうひとりのフランシスコに出会わせてくれる。たぶんヨルゲンセン自身が、このフランシスコ伝をじゅうぶんに楽しんで書いたのではあるまいか。そして、いっさいの所有から免れて聖貧の騎士道を貫いたフランシスコとその仲間たちもまた、おそらくは中世ヨーロッパの荒野の中で、たえず声をあげ陽気に笑いつづけていたにちがいない。

6/28/1997

——2002年度付記——
本書の翻訳者である永野藤夫氏は 1918年 2月 8日福島生まれのドイツ文学者。横浜国立大学名誉教授。主著に『世界の演劇文化史』(原書房、2001年)、訳書にゲスタ・ローマノールム『ローマ人物語』(東峰書房、1996年)など多数。2002年 6月 6日(木)、肺炎のため鎌倉にて逝去。享年 83。本書の解説は、たまたま訳者が筆者の叔父にあたるため依頼を受けた結果であり、これが最初で最後の共同作業となってしまった。
(6/12/2002)

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