2000/02/22

Miscellaneous Works:エッセイ:読書目録(中)

週刊読書人( 1992年 7月 20日)
テクストを「視る」ために 
―読書日録<中>―
巽孝之

トレヴィルからウィリアム・レッシュの写真集『EXPANSIONS』が届く。全編を幻惑的に彩る虹色のスペクトルがあまりにも美しい写真群の舞台はアリゾナ州ツーソン。昨秋会議で訪れたとき、夕陽の中を砂漠博物館へドライヴしながら「砂漠」という概念がまるっきり変わってしまったのを思い出す。そこは、あまりにも無数の、あまりにも多様な「光」が乱舞する世界だった。それまでは砂漠を「知って」はいても「視て」はいなかったのだろう。そしてまさにそのような問題こそが、レッシュの撮った「瞬間」の一群に凝縮されている。

ところで同書は日本側独自の編集、プロデューサーはトレヴィルをになう編集者・川合健一氏。昨年、わたしの編訳した『サイボーグ・フェミニズム』を手がけた人物で、活字表現に「絵」を与えさせたら、彼ほど絶妙なテイストを発揮する人物はいない。

たとえば、やはり昨年、トレヴィルから日本独自の編集で出した英国新人作家リチャード・コールダーの短編集『アルーア 蠱惑』の場合。この作家はナノテクノロジーによって性差さえ着脱自在の近未来を流麗な耽美的文体で描く。彼自身はフーコーもハラウェイも読んではいないが、川合氏は彼の背景にはむしろロンドンのフェティッシュ・カルチャー「スキン2」と通底する部分を、ハウス・ミュージックとも匹敵すべき新境地を見出し、その路線でみごとなデザインを施した。それに接して、わたしはいかにテクストを「読んで」はいながら「視て」はいなかったかを、つくづく思い知ったものだ。

ちなみに、コールダーが敬愛してやまないのが『血染めの部屋』(筑摩書房)の出たアンジェラ・カーター。かつて英国版で表題作を読んだ時にはフェミニズム的「読み」ばかりが浮かんできたのだが、今回、富士川義之氏の名訳で再読し、たちまちコールダーをも彷彿とさせるピグマリオン美学を「視た」気がする。