2000/02/22

Miscellaneous Works:エッセイ:夏


工作舎<土星紀>第136号
(1998年4月号)・標本箱

1997年の7月、金沢市で行なわれた国際ポピュラー音楽会議のために、ロック評論家として知られる畏友ポール・ウィリアムズが来日した。60年代対抗文化に親しいかたには、この名は神格化されているだろう。しかし彼にはもうひとつ、文芸評論家としての顔があり、わたし自身が知り合ったのも、82年にSF作家フィリップ・K・ディックが亡くなった直後、彼がその遺著管理人を勤めるようになって以来のことだ。昨年8月には東京の拙宅に泊る機会もあったので、せっかくだからと八ヶ岳の 別荘へも車を駆り、数日間、夏の高原をともに楽しんだ。

最も衝撃的な「事件」が起こったのは、その時である。

日曜日の朝、付近唯一の商店街がある富士見町のコープを訪れたところ、やはり同地の別荘に避暑に来ておられた土居健郎氏御夫妻とばったり再会したので、わたしは即座に一緒にいたポールをご紹介申し上げた。するといきなりポールの表情が一変し、おずおずとこう告げるではないか。「こんなところでお会いできるなんて、ほんとうに光栄です。『「甘え」の構造』は昔からぼくの聖書、土居先生は長い間ぼくの英雄でした」。

たしかに土居教授のベストセラー『甘えの構造』(弘文堂、1971年)は、73年にはもう“The Anatomy of Dependence”のタイトルで英訳版が出版されている。そもそも原著自体に、スポック博士の育児書とヒッピー文化との関連が詳細に分析されている。だが、じっさい同書に影響を受けて思想形成したフラワー・チルドレンの典型がこんな身近にいるとは意外だった。わたしはさっそく書庫の奥から、大学時代に線を引きまくった『「甘え」の構造』を取り出し、ポールのディック研究をも取り出した。

一夏の高原における奇跡的な遭遇が核爆発を起こし、ふたりの文筆家の著作を根本的に読み返す機会を与えてくれた。こんな経験は、いまどき滅多にない。

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