2000/02/22

Miscellaneous Works:エッセイ:ワシントンの黄昏

Soundings Newsletter #38 (1998)
ワシントンの黄昏
―アメリカ大衆文化会議報告―
巽孝之

去る9月初旬、一本の電話によって急遽、この秋にはあらかじめ予定もしていなかった出張を敢行することになった。アメリカ大使館から10月8日から10日までのあいだワシントンDCはウッドロー・ウィルソン・センターで開かれる国際会議 “Popular Culture: America and the World” に日本代表で出席せよという依頼があったためである。このところの文化研究勃興のせいか、この手の会議に誘われることは決して少なくないし、現に 2年前、1996年 4月にはブラウン大学歴史学科主催のシンポジウム “The Impact of American Popular Culture on Postwar Japan, Italy, France & Germany” に招聘され、この時のペーパーは会議全体に立脚した論文集 Transactions, Transgressions, Transformations (Berghahn, 1999年刊行予定)に収録された。

したがって、今回も同種の催しかと思ったのだが、なにしろメロン財団と米国文化情報局 (USIA)がスポンサーになっている会議で、センターとも関わりの深いコーネル大学歴史学教授マイクル・カメンが指揮を取っているとなれば、尋常ではない。というのも、ここ数年間わたしが耳にしてきたのは、USIAが文化関係の予算を徹底的に切り詰めているという事実であり、まさにそのために、我が国のアメリカン・センターでもずいぶん講演会企画が政治経済中心に偏向してしまったからだ。ところがごく最近、本家の方でも再び方針が変更され、いよいよ本格的に文化研究を再容認するとなれば、これは事態が確実に好転し始めた兆しと考えるしかあるまい。何かが変わりつつあるのだ。しかも、今回筆者の基本的な仕事は、ペーパーではなくディスカッションの方に重きが置かれているにもかかわらず(USIAによれば「できるだけ茶々を入れて下さい」とのこと)、その点でも十二分の招聘予算が組まれていたのには驚きを禁じ得なかった。

具体的には、全体が「アメリカ文化の影響」「映画と文化」「博覧会、祝祭、祝日」「南北アメリカ文化の相互作用」「アジアとオーストラリア」「スポーツとダンス」のセクションに六分割されており、中でもスチュアート・ユーアンのメディア社会論やリチャード・シッケルの日米映画論、ニール・ハリスのスペクタル論、キャラル・マーリングのクリスマス文化史、それに南米系のロベルト・グマッタによる動物表象論、アフリカ系のジェラルド・アーリイによるボクシング論など、大いに刺激的な論文が聞かれる。中でもシッケルとわたしは日米映画の相互影響をめぐって長めのやりとりを行なったが、彼が黒沢明についてしきりにその異文化交流への貢献を再評価する時、わたしにはそれが異言語間のなかなか高級な洒落に聞こえてしかたがなかったことを、不謹慎かもしれないけれども告白する。そう、いまはクロスカルチュラル・クロサワこそ問われなくてはならない、というわけだ。

会議最大の目玉は、作家ゴア・ヴィダルによる講演「人権の現状」。これは初日の夜、会場を変えてヴォイス・オヴ・アメリカのホールで行なわれ、一般 聴衆も含んで会場は超満員。1998年 10月のワシントンという時節柄、もともと会議では例のクリントン―ルインスキー事件を引き合いに出す論調が強かったが、作家のほうも例外ではなく、ドラッグ問題や幼児虐待、ゲイ文化などにふれながら「わたしたちはいますべてを根本から考え直すべき時代に生きている」という主張のもとに「わたしが怖いのはスター独立検察官だ、クリントン大統領ではない」と強調して、満場の拍手をさらう。

なるほど同事件は、保守派のポルノ・ピューリタニズムが露呈した点では最悪の結果 に終わったかもしれないが、しかしまさにそのような事件の土壌を知るのに文化へのまなざしが再要請され、米国政府も大衆文化会議への積極的関心を抱くようになった点では、最良の効果 をもたらしたのかもしれないのだ。

いま何かが、ゆっくりと、変わりつつある。