2000/02/22

Miscellaneous Works:エッセイ:ウィーン


ぎょうせい月刊<悠>2002年5月号
「想い出のワンシーン」

誰でも好みの物語展開というのがあるはずだ。わたしの場合、アメリカ1920年代ジャズ・エイジの代表的作家スコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』やルネ・クレマン監督による1960年作品『太陽がいっぱい』のように、ひとりの英雄が栄光の頂点で一気に転落していく「落ちた偶像物語」に心惹かれてやまない。だが、この系譜のなかでも最高の名場面を含む一作品といったら、イギリス作家グレアム・グリーンがキャロル・リード監督の映画『第三の男』(1949年)のために書き下ろした同題の長編小説(50年発表)にとどめをさす。

これは、四半世紀ほども前の20代前半、大学院の読書会で原書の一文一文をこねくりまわすように熟読した一冊。ひとりだけで読んだとしたら、ストーリーばかりを追って見のがしていたであろう細部についても多角的に分析することができ、この時初めて「英語の名文」を、じっくり味わった記憶がある。

設定はきわめてサスペンスに富む。主人公であり、バック・デクスターという筆名で西部劇小説を中心に活躍する三文作家ロロ・マーティンズは、かつて20年ほど前にともに学校生活を楽しんだ親友ハリー・ライムから招待を受け、第二次世界大戦終結後の退廃をきわめるウィーンにやってくるのだが、到着するやいなや目撃するのは、誰あろう当の親友の葬儀であった。しかし、交通事故死というには不審な点が多く、いろいろ調べていくと、ハリーは何と戦後闇社会の帝王になりおおせており、その死体を運び込んだ現場には、正体不明の「第三の男」が介在していたことまで判明する。ハリーは恋人を裏切るばかりか、自らの身代わりの死体まで調達したらしい。やがてマーティンズは、ほうほうのていで彼との再会を遂げる。ふたりは戦火を生き残った大観覧車の中で語り合うが、そこで露呈したのは、互いがすでに、あの甘美な友情を交わした少年時代から、あまりにも遠く離れてしまったという絶望だった。

映画では、オーソン・ウェルズの名演とアントン・カラスの物哀しいツィターの音色が、鮮烈な印象を放つ。そして観覧車を舞台とする名場面は、のちに無数のサスペンス映画に受け継がれていく。最近、とり・みき脚本による機動警察パトレイバーの劇場版『WXIII』の中に、その最も洗練された応用を見い出した時、わたしは知らず知らずのうちに書棚に手を伸ばし、『第三の男』を読み直していたものである。
4/1/2002



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