2000/02/22

Miscellaneous Works:エッセイ:NY1986

『女性学年報』第 22号
渡辺和子教授追悼特集号( 2001年 11月 25日)

ニューヨーク1986
巽孝之

渡辺和子先生のお顔とお名前が一致するまでには、ずいぶん時間がかかっている。慶応義塾大学の同僚のひとりである中道子先生と共編著『現代アメリカ女性作家の深層』(ミネルヴァ書房、1984年)を出していらっしゃるので、いうまでもなくそのご業績については当時より存じ上げていた。

「なぜこれまで女性作家は黙殺されてきたのだろうか」という鮮烈な問題意識で始まる同書序文は、ふりかえってみれば早くから渡辺先生が、ニーナ・ベイムやジュディス・フェッタリーらと新しいアメリカ女性文学史建設という目的意識を共有していたことを物語る。そのころ、バーバラ・ジョンソンやショシャナ・フェルマンを読み始め、現代文学理論の核心を射抜くフェミニズム批評の重要性を理解し始めていたわたしは大いに啓発されたものだったが、しかしなかなかにご挨拶も申し上げるチャンスに恵まれなかったのである。

いちばん鮮明に浮かび上がってくるのは、1986年 12月末にニューヨークで行われた MLA(近現代語学文学協会)年次大会で、お見かけしたときだ。わたしは 1984年 8月より、ニューヨーク州イサカに位置するコーネル大学大学院に在籍しており、ジョナサン・カラーやシンシア・チェイスらのもとで、博士号請求論文を執筆中だった。

このときわたしは、慶應義塾の若い同僚であり、のちに名著『女がうつる』(勁草書房)をものすことになる富字美子君(現・宇沢美子、東京都立大学助教授)と合流している。彼女も 85年より二年間、イェール大学とカリフォルニア大学アーヴァイン校で大学院生活を送り、この大会を境に帰国するところだった。だからこそ、わたしたちは、これがアメリカでのほとんど最後の「勉強」の機会になると思い、精力的に動き回ったのである。そして、マリオットで行われたパネルのひとつに読者反応批評から新歴史主義批評への展開を図っていたジェイン・トムキンズが出席しており、まったく同じ会場に来られていたのが、渡辺和子先生だった。いちばん前の席に陣取って、キラキラと瞳を輝かせ熱心にノートを取っておられたおすがたを、つい昨日のように思い出す。

1987年の帰国以後、こんどはわたし自身、学会のパネリストを務めることが多くなったが、やがてそういう機会があるごとに会場に渡辺和子先生のお顔をお見かけするようになったときの複雑な心境は、筆舌に尽くしがたい。ようやく直接お話できるようになったのは 96年に立命館大学で行われた京都アメリカ研究夏期セミナーにおいて、カルフォルニア大学リヴァーサイド校教授エモリー・エリオットと「アメリカ文学史」に関して討議したころからだっただろうか。このとき、わたしが発表の最中、アメリカ新鋭作家マイケル・キージングのアヴァン・ポルノ小説「赤毛のアンナちゃん」を紹介したとき、先生が心から面白そうに呵々大笑いしておられたのを、決して忘れることはできない。

決定的だったのは、98年 1月、わたしの同居人であるフェミニスト批評家・小谷真理が、翻訳家の山形浩生によるサブカルチャー事典『オルタカルチャー』(メディアワークス、1997年)での記述「小谷真理は巽孝之のペンネーム」をめぐって正式に訴訟を起こしたことである。以後足かけ三年間、多くのフェミニストの方々が支援してくださったが(詳細は小谷真理のエッセイを参照)、中でも渡辺先生はご自身の体験とも照らしてじつに深く関心をお持ちになり、九州で行われた国際会議でこの事件への言及を含む発表まで行い、ゲストだったポストコロニアル批評家ガヤトリ・スピヴァックの注目を浴びたという。もっとも、先生にしてみれば、事件自体が、『現代アメリカ女性作家の深層』のころより編み上げてきた理論にぴったり符合しすぎる、度し難い紋切型と映ったのかもしれないけれども。

しかし、この国際会議のことを聞いて、わたしはひとつの運命的ループが一巡するのを実感した。というのも、1985年当時、コーネル大学人文科学研究所に招かれて一学期間を過ごしたスピヴァックは、まぎれもなくわたしの恩師のひとりだったからである。彼女の授業を受けなければ、わたしはフーコー系性差理論を知ることもなく、のちに小谷真理とともにダナ・ハラウェイらの論文を中心にちた『サイボーグ・フェミニズム』(トレヴィル、1991年/増補再版・水声社、2001年)を編纂することもなかっただろう。そうした知的活動をめぐる運命の糸が、渡辺先生の声を経由して、再び恩師スピヴァックの方へ奇跡のフィードバックを遂げたことの戦慄は、アメリカ文学者としてのわたしの心を再び引き締めてやまなかった。

いまはもう、どの学会に行っても渡辺和子先生のおすがたを目撃することはない。だが、前述のごとく奇跡的な知的フィードバックを可能にした先生が、そう簡単に沈黙するはずもない。いまもどこからかそっと見守っておられることを、わたしは固く信じて疑わない。