ものを捨てられない性分である。でも、ものをとっておくのは、たいへんな贅沢だ。まず、スペースがない。だから、約百年後に、誰かが屋根裏部屋で、わたしの残したナゾの日記や手紙や仮装衣裳やカツラを発見する……なんてことは、おそらくありえないんだろうな。
ところが、いらないなら捨てなきゃという決意のわたしのたんすの中には、なぜか幼稚園のときに使っていた小さな定期入れがしぶとく生き残っている。これが捨てられないんだなあ。どういう感傷なんでしょう。
しげしげ観察してみると、もとは真紅のフェルト製、今はくすんでれんが色。表面には白と黄緑色のチューリップのアプリケ。で、「それいゆ」というブランドタグに気がついた。「それいゆ」は中原淳一らをオピニオンリーダーとする戦後少女文化の中心ブランドだった。ということは、太平洋戦争と小学校時代がみごとに重なってしまった母親が、失われた自らの少女時代への憧憬をこめて、娘のわたしに買いあたえたというのが真相ではないか。
先日、熊本での講演の帰路、菊陽町図書館を訪れ、明治・大正昭和期の少女雑誌の膨大なコレクションを見学させていただいたさいに、少女雑誌の付録も多数保存されているのに衝撃を受けた。本来ならさっさと捨てられてしまうはずなのにサバイバルした少女文化の片鱗だ。マイ定期入れに通じる感動だった。なつかしいというより、体の一部がもどってきた、そんな雰囲気に圧倒された。(SF評論家)
(朝日新聞夕刊 2004年 7月 12日第 14面に掲載)