2000/02/21

Book Reviews『リンカーンの世紀』


巽孝之『リンカーンの世紀―アメリカ大統領たちの文学思想史』
青土社、2002年

...ここに描かれているのは現実の世界である。決して架空のものではない。そして、このリンカーンの物語はメルヴィルの「白鯨」を経て、最後には2001年9月11日のニューヨークへとつながっていく。(中略)この小説(『白鯨』)はいまや世界文学のなかの名著に数えられる一点だが、決して容易に読み解ける作品ではない。しかしここで提示される読みのもつ説得力は、見事としか言いようがない。文学研究のあり方が問われる昨今、この点特に大きな拍手喝采を送らずにはいられない内容となっている。
演劇的想像力から政治へ、大統領の身体への攻撃からアメリカ、そして世界の危機へと発展していった経緯を、南北戦争を基点として、文学史と文化史の観点から再考する本書は、アメリカ文学者ならではの視点で書かれた他に類を見ないアメリカ史となっている。
---宮脇俊文 北海道新聞 2002/3/24

...リンカーンの暗殺を、アメリカという国家を「巨大な見世物劇場」へと変容させた決定的瞬間として位置づける。大統領暗殺はもちろん政治的な事件ではあるが、著者はそこに「演劇的なもの」を見いだしていく。(中略)そして2001年9月11日の事件についての著者の意見を見逃してはならない。19世紀ならば「大統領個人の脳髄を狙ったであろう凶器」が、政治・経済・軍事を司る構造(デュメジルの三機能論が想起される)へと向けられたのだと著者は考える。ブッシュは「これは戦争だ」といったが、著者はそれを「これこそ暗殺だ」と言い換える。ここにリンカーンをモーゼとして、かつまたマクベスとして捉え直そうとする著者の演劇的想像力のクライマックスがあるといえよう。
---宇波彰 bk1 2002/3-26

聖書の物語を現実のアメリカの運命と重ねる予表論と呼ばれる宗教的レトリックがゲティスバーグ演説に細かく析出されていく。リンカーンの名が神のために息子を供犠にささげようとした旧約聖書中の族長アブラハムに「予表」されていたとする。誰もが思いつきそうなことだが、そういう思いつきを打って一丸としてひとつの批評空間につくり上げていくフットワークと博識では、今や巽氏はぶっちぎりの先行者となった。(中略)小さな分析から大きな歴史観改変まで、多彩な批評の方法とびっくりするような材料を組み合わせ、ふと気付けば一冊の歴史改変小説の趣さえある。タツミは別の新しい風に乗った。
---高山宏 週刊文春 2002/3/28

著者が最重要視するのは、どうやら事件そのものよりも、それを劇的に虚構化する国民意識の展開にあるらしい。(中略)時には強引と思える解釈もなされ、歴史家はあっけにとられるかもしれない。しかしここには目くるめくような批評の魔術がくりひろげられ、本書自体が、リンカーンの暗殺をめぐる一世紀の想像力豊かなドラマになっている。
---亀井俊介 日本経済新聞 2002/3/31
昨年の9月11日の同時多発テロ以後の今日においてこの書を読むと、リンカーン像を思い浮かべながらアメリカ史の意味を読み解こうとする作業が、戦慄を伴うものと感じられてくる。「暗殺」と「テロリズム」をキーワードとしてアメリカ史を読み、21世紀の運命を考えねばならないのか。本書を読んで、私にはウォルト・ケリーの漫画「ポゴ」の有名な言葉「われわれは敵を発見した。それはわれわれだった」が思い出された。
---本間長世 共同配信 2002.3

本書では、リンカーン(の暗殺)は、見事に曖昧なメタファと化し、メルヴィルの物語の方法に拠って、まるで絵馬すんのたたえた詩神さながらに「最も遠くに離れているものを結び付ける」ことを可能ならしめているといえるだろう。さればこそ、ディクソンは『クランズマン』でポスト-リンカーン=ローズベルト像を構想・提示することにより仮想言説空間におけるリンカーン暗殺を成し遂げたようなものであるという指摘からすすんで、白鯨の表象する「絶対の白さ」の支持者たちは難破船で白鯨を釣り上げようとすることによって救済を齎すのか、それとも却ってテロ=新たな暗殺を呼び込んで、致命的な国家の難破を齎してしまうのかという問いかけへ向かって、本書は志の高いクレッシエンドを築いている。
---笹田直人 週刊読書人 2002/4/12

『リンカーンの世紀』と題した本書はリンカーンを機軸に、さらに言えば、このリンカーン暗殺の瞬間を核に、放射線状に拡散していく街路に点在する出来事を、ときには裂きの台詞のごとき微細な事実にこだわり、一方、時代そのものを大局的にとらえながら、最終的には現在の「アメリカの世紀」を照射しようとするものである。(中略)多文化・多民族国家であることを自認する一方で、国際的にはグローバリゼーション化とはアメリカ化であるという二つのベクトルをもつアメリカが、巽氏が予告する内向的な内なる民族闘争へと向かうかどうか、氏の警鐘は読者ひとりひとりが検討すべき課題として判断を委ねられる。
---今村楯夫 図書新聞 2002/4/13

...これは日本人はおろか、本国人の手になるものと較べてみても、リンカーンについての凡庸の書ではない。われわれは、ここで駆使されている信じられないくらいに膨大な情報量に驚嘆し、これでもかと言わんばかりの語り口に圧倒されるだけでなく、何よりも「本書が目論んだのは、断じてリンカーンに関する評伝を最新の知見のものとに更新することでなく」、何度も繰り返されるように「巨大な演劇的想像力が大統領暗殺を契機にアメリカ全体を巨大な見世物劇場へ変容させてしまった最も演劇的な瞬間、しかもまさにそれによってアメリカが来るべき世紀に超大国へ政治的進展を遂げるための、もっとも決定的な瞬間」(「巨大」、「最も」、「超大」といった形容辞の羅列を見よ!)を論じた誠に壮大な書であることを納得するのだ。
---中村紘一 英語青年 2002.7

 ...こうして人類の進歩も、確定的な歴史像も、そしてアメリカ流民主主義も、疑わしくなってくる。テロの被害者と加害者も互換的だ。あらゆるものの不確かさを、徹底的に暴き出す知的作業は、しかし決して虚しくはない。実際、われわれは既成の歴史像が無効となったパラレル・ワールドに住んでいる。そんな危うさがわれわれの起点である。
---長山靖生 論座 2002.6

リンカーン暗殺がわれわれの記憶に深く刻みつけられているのは「最も有名な政治家を最も著名な俳優が射殺して、フォード劇場のみならずアメリカという舞台そのものを劇場へ変容させ、暗殺自体をみごとなスペクタクルへ仕立てあげてしまったからである」と喝破したのは『リンカーンの世紀』(青土社)の著者巽孝之だ。(中略)自由・平等の祭壇にその身を捧げた大統領という死の記憶に、アメリカそのものがみずからの自画像を重ね合わせていくのである。
---和泉雅人 言語 2002.8

...本書の圧倒的な魅力は、演技者としてのリンカーンを描くことではなく、むしろ、リンカーンの政治的演技が、人気俳優ジョン・ウィルクス・ブースをして大統領暗殺へと駆り立てたテロリスト・メンタリティーの温床として、新たな分裂と対立の構造を生産してしまうアイロニーを凝視することにある。南北戦争以後のアメリカの歴史が「リンカーンの世紀」を原テクストに展開する宿命を負っているのであれば、その歴史とは、17世紀以降紡ぎ継がれてきたアメリカン・ナラティヴのパラダイムの反復に他ならない。グローバリズムの時代におけるアメリカの行方を予兆するのはメルヴィルの『白鯨』であるという。巽氏のこのような視座が、今後どのようなアメリカン・ナラティヴの展開を見据えることになるのか、期待が膨らむ。
---若林麻希子 アメリカ学会会報 2002.10

巽孝之著『リンカーンの世紀』はまぎれもなく本年度最大の収穫である。...巽の『リンカーンの世紀』を読んで、アメリカの国民的無意識には「暗殺」の神話的妄想も眠っていて、ときおりそれが目を覚まし「神話」を実現してしまうことにも明確に気付かされた。そして、この本を読んでしまったわたし(たち)が、これらの「無意識」が複雑に共謀して実現してしまったもののひとつが 9.11の「事件」であると考えたり、...膨張する他者がアメリカを内部から崩壊していく壮大なパノラマだと勘違いしたとしても、それはなにもわたし(たち)の想像力のことさらなゆたかさのせいでも感性のするどさのせいでもなく、「事態」そのものの「壮大さ」のせいであり、巽孝之の想像力のゆたかさと感性の特異性のせいである。この巽本は読者にそれぞれの想像力と感性の資質にしたがってアメリカについての夢なり悪夢なり引喩なりを見たり抱いたりするように当初から仕組まれているのである。
---八木敏雄「アメリカ小説の研究」
『英語年鑑2003』(研究社、2003年)

巽孝之の『リンカーンの世紀』は、シェイクスピアを愛したアメリカ大統領の暗殺を、ドラマティックな演劇としてスペクタクル仕立てで見せてくれる。この暗殺劇を中心に、いくつかのドラマが重ね合わされていくが、その背後に見え隠れするのは、電報、汽車、そして一九世紀アメリカの視覚を演出した写真という技術である。アメリカ政治とメディア、テクノロジーの織り成すドラマとしても読むことのできる興味深い一冊である。
---柿沼敏江『みすず』no.502 2003.3 

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