1992/02/17

短編 "1955" とアリス・ウォーカーにおける白人観:第一章


第一章

短編"Nineteen Fifty-Five"---物語分析
ウォーカーの短編集You Can't Keep a Good Woman Downに収められた作品"Nineteen Fifty-Five"の中にはウォーカー作品特有の"whole"の概念そして、好きな男性と同棲しているものの、男性的な体格も大きく、強い意志の持ち主であり、"androgynous"(Winchell)のあてはまる登場人物が存在する。彼女の名前はGracie Mae Still。Gracieはウォーカーの多くの作品に登場する主人公のように黒人女性であり、ウォーカーの理想とする「多くの苦しみを乗り越え、成長、変化をした黒人女性」の伝統を受け継いだ歌を歌う歌手である。
 まず、粗筋を述べたい。Gracie Maeは貧乏だがJ.Tと幸福に生きている。(あたかも、The Color Purpleで和解したセリ-とアルバートが互いを尊重しあいながら暮らしていたように。)Gracie MaeはWinchellにいわせると、"...with Gracie Mae, it is the health and wholeness that come with being an artist whose works are outpourings of honest emotion."(Winchell,p.82)と描写され、序論で示した「完全体、統一体」、"whole"を備えた人物であり、ウォーカーに言わせるとBessie Smithにまで羨ましがられる歌を書いている。そんなある日、Traynorという名の白人の若者と、もうひとりの白人が彼女の前に現れ、彼女の持ち歌をレコード化する許可をもらいたいといい、Gracie Maeは、500ドルと交換にそれを許可する。Gracie Maeは、作曲者であることはすっかり忘れられたのに対して、Traynorは、その歌によって人気が出て、1日4万ドル稼ぐ程になる。にもかかわらず、Traynorは、不幸せであり、Gracie Maeは、幸せなのだ。Traynorは、その素晴らしい歌をつくったGracie Maeに敬意と感謝をこめて山のように贈り物を贈る。これらの行為に対してGracie Maeは以前の生活で十分に満足し幸福なのでそれらを必要としていないことを繰り返し言う。Traynorは、どうしてもGracie程の歌を作りだすことも、幸福な結婚も出来ずに、物語のクライマックスである"Johnny Carson Show"に二人は出演し、別々に歌う。Gracieは観客にどう思われようと始めから楽しんで歌い、満足する。しかし、Traynorは、Gracie Maeそっくりにその歌を歌うのだが、最後まで歌の意味を理解することができず、そして最後の二・三行を歌い忘れ、しかもキャーキャー騒ぐファンの声で忘れたことも気付かれずに失望と共に、打ちのめされる。Gracie MaeはそのTraynorを暖かく"mama"のように見守りそして、最後にTraynorは死んでしまう。Gracie Maeの物語最後の言葉は"One day this is going to be a pitiful country. I thought."だった。
 この簡単な粗筋をつきとめて考えていくと、一見して何の秩序もないかのようなこの短篇は、粗筋を簡略化することによって明らかに一つのルールが組み込まれていることを示す。そしてそのことを次の二つのポイントに要約できる。それは、(1)Gracie Mae Stillは幸福である。(2)Traynorは不幸である。その事は物語のGracie Maeに関する全ての要素が幸福(ポジティブ)に表されているのに対してTraynorに関する全ての要素が不幸(ネガティブ)に表されているということで判る。これらの2点の解釈を可能にするために、最初に作品中から台詞、言葉、文章などを取り出して分析してみたい。それによってGracie Mae=幸福、Traynor=不幸だと考えた論拠を示す。
 この"Nineteen Fifty-Five"の冒頭で、Gracie Maeは決して経済的には恵まれていないが好きな人と幸福に暮らしていることがそこに書かれている描写でわかる。
We had been watching the ballgame on TV. I wasn't actually watching, I was sort of daydreaming, with my foots up in J.T's lap. (emphasis mine; GW,p.3)
Gracie Maeの生活は幸福なものだということは、この"daydreaming"という「空想にふける」という言葉から判ると私は考える。なぜなら、空想にふけるというのんびりした行為は幸福であることから生まれる「ゆとり」なのだからだ。また、Gracie Mae Stillは多少のお金には興味を示すが、それは生活に必要なだけあればよかった。その為、Traynorからの贈り物の"gold grilled white Cadillac"までは喜んで受け取るが、その後の"the mink"、"the new self-cleaning oven"、"stuff to eat"、"the house"、"the farm"などを必要としていないと言い切る。
But if you send anymore stuff to eat from Germany I'm going to have to open up a store in the neighborhood just to get rid of it. Really, we have more than enough of everything. The Lord is good to us and we don't know Want. (emphasis mine; W,p.10)
つまり、この引用文のアンダーラインされた部分「本当だよ。あたしらは何もかも十分すぎるほど持っているんだよ。神様はあたしらによくしてくれたし、それに、あたしらは欲しがるって事をしらないから。」(柳沢訳)は、十分に満たされた、幸福なGracie Maeを示してくれる台詞なのである。
また、興味深いことにGracie Maeは愛するJ.Tが死んだことについて、それほど動じないでその死を受けとめる強さを文中で示している。"His good friend Horace helped me put him away, and then about a year later Horace and me started going together."(p.11) このようにJ.Tの死後一年後にJ.Tの葬式を出すことを手伝ってくれたJ.Tの親友、Horaceと暮らし出す。その他に彼女は実はJ.T以前に三人の人と結婚していることも文中からわかる。その結婚は全て、"Your first one died in the Texas electric chair. …Your third one beat you up, stole your touring costumes and your car and retired with a chorine to Tuskegee."などのように決して幸せそうに見えない。にもかかわらず、このことはGracie Maeの幸せに通じている点がおもしろい。なぜなら、Traynorに言わせると"You gave up on marrying and seem happier for it ." (emphasis mine)(p.13)なのだからだ。つまり、このことは「あんたはもう結婚にはコリゴリなんだ、それに今のほうがずっと幸せそうだね」と訳せ、Gracie Maeはこれまで様々な苦労をへて、世の中の苦しみ、喜びを知る人間であることを示すと同時に、これらのGracie Maeの力強い生き方は明らかに肯定的なものであり、POSITIVE(+)な要素であるといえるからだ。そして、なによりも今現在Gracie Maeが幸せであることがはっきりする。
 このGracie Maeの好きな人との幸福な暮らしぶりとは対照的にTraynorは、"You gave up on marrying and seem happier for it. …I married but it never went like it was supposed to. I never could squeeze any of my own life either into it or out of it. It was like singing somebodyelse' record. I copied the way it was sposed to be exactly but I never had a clue what marriage meant."(emphasis mine)(p.13)のように「好きな人との暮らし」がうまくいっていないことを上のように述べる。引用したTraynorの台詞にはおもしろい対比が見られる。それは明らかにTraynorが不幸で、Gracie Maeが幸福であることを示す。それは、上の引用においてTraynorがGracie Maeについて話すときはPOSITIVE(+)な語、"happier"を使い、自分自身について話すときは、"never"というNEGATIVE(-)な語を三度も繰り返し使うからだ。ここでもTraynor=不幸、Gracie=幸福の形ができあがる。
 Traynorは、この他にもいくつかの不幸を暗示させる。上で指摘したGracie Maeについての幸福の特徴はTraynorによって発言されているが、逆にTraynorの不幸な特徴は、Gracie Maeによって発言されている場合が多い。この点は二人の対照的な面を強調する。Gracie Maeは"But then again, Traynor seemed to be aging by the minute."(emphasis mine)(p.8)と「トレイノーはまるで一秒ごとに年取っていくみたいな顔をしていた。」と言い、この描写はTraynorの不幸を示す。また、"I looked out the window in time to see another white man come up and get in the car with him and then two more cars full of white mens start out behind him. They was all in long black cars that looked like a funeral procession"(emphasis mine) (p.9)の中のアンダーラインされた部分、「どれも黒くて長い車で、まるで葬式の行列のようだった。」は、Traynorの実際の物語最後の死を暗示させながら彼のNEGATIVE(-)面を強調する。そしてTraynorの「笑い」についても同様なことがいえる。
He laughs. The first time I ever heard him laugh. It don't sound much like a laugh and I can't swear that it 's better than no laugh a 'tall. (GW,p.12)

上に書かれたTraynorの悲しげな、笑いらしくない「笑い」は、文章に頻繁にでてきている。本来、楽しいものであるべき笑いが対照的に悲しいものを表現することはTraynorの不幸をより一層、表してくれる。
 ところで、一番最初にTraynorの不幸を示すものとして指摘したTraynorの不幸な「結婚」のために引用した文章は、この作品全体に流れる「歌」のテーマに結びつく。ここでその点を明らかにするために再びその引用を示す。
You gave up on marrying and seem happier for it. He laughed again. I married but it never went like it was supposed to. I never could squeeze any of my own life either into it or out of it. It was like singing somebody else's record. I copied the way it was sposed to be exactly but I never had a clue what marriage meant. (GW,p.13)

この上の「結婚」に関する引用文は対照的なGracie MaeとTraynorの幸福度を示す要素であるが、この引用文にはTraynorがGracie Maeと同じように「歌うことをできない苦しみ」が不幸せな「結婚」を描写することによって表現されているのだ。具体的に言うと、Traynorはこの引用文で自分が他人とそっくりに結婚しても(つまり、他人のレコード=歌をその他人が歌うようにそっくりに歌っても)結婚の意味(つまり、歌の意味)がさっぱり判らなかった、といっているのだ。この証拠にこの大意を持つTraynorの台詞が2度程、文中に現れている。
(a) I've sung it and sung it, and you know what, I don't have the faintest notion what that song means. …I just come by to tell you I think you are a great singer. (GW,p.8)
(b) I've been thinking about writing songs of my own but every time I finish one it don't seem to be about nothing I've actually lived myself. …Everybody still loves that song of yours. They ask me all the time what do I think it means, really. I mean, they want to know just what I want to know. Where out of your life did it come from?  (emphases mine; GW,p.11)
つまり、(a)のアンダーラインの文、「俺には唄の意味が全くわかんないんだよ。」と、(b)の「あの唄が本当はどういう意味なんだと、俺はいつも聞かれる。つまり、みんな、俺と同じことを知りたいんだ。」との間に一つの共通な要素がみられるのだ。それは、他人と同じように「結婚」することができない苦しみの中にウォーカーが隠した、「歌えない者の苦しみ」、「歌を理解できない者の悲しさ」だ。これは、Gracie Maeは「歌う」ことできるのに Traynorは「歌う」ことができないという意味でずっと上で示してきたGracie Mae=幸福、Traynor=不幸の一つの証拠ではあるが、注目すべき点は「歌」が、この作品を一貫して流れるテーマであると思われる点だ。物語最初でTraynorらがGracie Maeの「歌」を買い取りたいと言い出してからずっと「歌」に関する出来事が頻繁に出てきていることから「歌」をウォーカーは意識していることは間違いない。また、歌に関係のある「ファン」についての描写も何度かでてくる。おべんちゃらばかり言うファンばかりでまともな聞き手が欲しいTraynorはGracie Maeに次のようにいわれる。
Yeah, I say, it was small compared to yours, but I had one. It would have been worth my life to try to sing'em somebody else' s stuff that I didn't know nothing about. (GW,p.17)
つまり、「あんたのファンにくらべりゃ少なかったがね、あたしには昔そういうのがいたよ。あたしがその人たちの前で、もし他の人の唄を意味もわからずにうたったりしたら、殺されちまったかもしれないよ」(訳,p.31)という意味だが、真のファンがいる、いないという点でもTraynor=不幸、Gracie Mae=幸福の要素になるがそれと同時にこれもまた、この作品のテーマが「歌」である証拠になる。「歌」は、上のような台詞だけではなく、登場人物(Traynor, Gracie Mae)の行為によっても、表現されている。それは、この物語のクライマックスの場面である、"Johnny Carson show"で二人が別々にその「歌」を歌った時のことだ。Gracie Maeは気持ち良く歌うことができるが、Traynorは失敗する。このGracie Maeの気持ちをウォーカーは次のように示している。
I commence to sing. And I sound ―― wonderful. Being able to sing good ain't all about having a good singing voice a'tall. A good singing voice helps. But when you come up in the Hard Shell Baptist church like I did you understand early that the fellow that sings is the singer. … So there I am singing my own song, my own way. And I give it all I got and enjoy every minute of it. (GW,p.18)
Gracie Maeは小さい時から「カチカチのバプティスト教会」に通い、歌手になるにはまず歌うことが大事だと力説し、気持ち良くその「歌」を歌い終わる。これに対して、Traynorそっくりその歌を歌おうとするが、失敗する。
And he sings it just the way he always did. My voice, my tone, my inflection, everything. But he fogets a couple of lines. Even before he's finished the matronly squeals begin. (GW,pp.18-19)

ついに、TraynorはGracie Maeのように歌うこともできず、打ちのめされる。最終的には、Gracie Maeの見たTraynor自身が語るTraynorの死を暗示する夢"One night I dreamed Traynor had split up with his fifteenth wife. He said: You meet'em for no reason. You date'em for no reason. You marry'em for no reason. I do it all but I swear it's just like somebody else doing it. I feel like I can't remember life." (emphasis mine) (GW,p.19)のアンダーラインの部分「生きているってことがどういうことなのか、思い出せないような気がする。」、そして、Horaceの言った"You always said he looked asleep. You can't sleep through life if you wants to live it"のいつも眠っているように見えるという指摘どうりに次の日になって死んだことがわかる。生きているGracie Mae、死んでいるTraynorは、幸福と不幸の構図を明らかに表している。以上の点からこのGracie Mae=幸福、Traynor=不幸の構図、そして物語に一貫して流れるテーマ、「歌」の存在を説明できたと思われるのでこれらは一体、何を表しているのかを次からもう一歩踏み込んで見てみたい。そこでまず、Traynorに注目してみたい。

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