2022/01/04

Book Reviews 『脱領域・脱構築・脱半球——二一世紀人文学のために』

『脱領域・脱構築・脱半球——二一世紀人文学のために』
Extraterritorial, Deconstructive, Trans-hemispheric: Humanities Unbound in the 21st Century
監修:巽孝之、編著:下河辺美知子、越智博美、後藤和彦、原田範行
A5判上製、554ページ
小鳥遊書房、2021年 10月 1日
本体 4,800円+税
ISBN: 978-4-909812-70-4

巽先生の退職記念論集第二弾として小鳥遊書房より刊行された『脱領域・脱構築・脱半球——二一世紀人文学のために』の書評をまとめました!今後も随時更新していきます。

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2022年 7月更新しました
しっとりとした独特な手触りの装丁。総勢50 名にも及ぷ執筆陣巻末に付された100 ページ超にも及ぶ欧米の批評家評、そして何よりも三つの「脱」が冠された印象的なタイトルーー2021 年3 月をもって慶應義塾大学を退職された巽孝之氏の二つ目の退職記念論集は、いわゆる「退職記念論集」の枠組みを大きく越え、「これまで」と「これから」の英米文学研究のありようを
照らし出す稀有な一冊である。(中略)日本を代表する英米両研究者が集い、環大西洋的でありつつ、日本という場において英米文学を考えることの意義と優位性を探究した本書は、人文学軽視という風潮がますます高まる昨今、過去を忘却することなく未来を見据え、これからの人文学研究の在り方を鋭く問いかける。(中略)特に批評的想像力について、ベケットの「ゴドーを待ちながら」をめぐるエピソードは興味深い。ローマン・カトリックの幼児洗礼を受け,聖書のことばを疑いなく受け入れていた巽氏が、四福音書の記述の相違に言及した「ゴドー」のとあるシーンに出会うことにより、批評的想像力が立ち上がったとする経験は、批評的想像力の核心をわれわれに教えてくれる。それは批評的想像力というものが、単に「藪の中」を読むことの困難さを意味するのではなく、むしろ「「読む」ことの果てに「藪の中」がありうる」(13) という逆説的な真理を内包しているということである。この卓見は本論集に通底するものであり、各所で響き合っているように思われる。——福島祥一郎『Forum』第 27号(2022年)

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2022年 2月 11日更新しました
巽孝之の批評活動は、常に新しく常に挑戦的であり、ヘテロドクシー(異説)としての魅力に溢れている。しかし本書の巻頭論文で、巽氏はそのようなイメージを見事に脱構築してみせる。このなかで氏は、自らの批評活動の原点を文芸批評家ジョージ・スタイナーの 1974年の来日と彼が提起した「脱領域」という理念に遡る。そこから浮かび上がる巽氏と彼の時代の批評は、ヘテロドクシーどころかカントやロマン主義にまで遡る伝統を継承するオーソドクシーであったことが明らかになる。そしてそのような革新的伝統の目覚が、巽氏を大学の自由を守るための戦いに向かわせるのである。(中略)本書が託したたすきを受けて 10年後に 21世紀を疾走する「若き」批評家たちが誕生することだろう。彼らが受け取ったたすきが果たして「アメリカ文学」や「人文学」であり続けるのか、また彼らが疾走する時空が果たして「二一世紀」であるのか「ポストパンデミック」であるのか、予測することはできない。そして、10年後の「若き」トップランナーのひとりが他ならぬ巽孝之氏本人であったとしても、私たちは驚くべきではない。——宮本陽一郎「人文学的伝統の未来のために」『英語教育』 2022年 3月号

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『脱領域・脱構築・脱半球』(小鳥遊書房)は、慶應義塾大学を定年退職された巽孝之名誉教授の退職記念論文集である。が、本書のような大部にして先鋭的、かつこれら批評理論を学ぶ人にとって格好のガイドブックにはお目にかかったことがない。総勢 19人の気鋭の研究者による刺激的な論文と著名な 30人の文学者たちが寄せた欧米の代表的な批評家たちに関するエッセイで構成されている。まさに副題にあるように、「二一世紀人文学のために」志の高い読者なら必携の一冊。——風間賢二「二〇二一年の収穫!!」『週刊読書人』2021年 12月 10日号(3419号)

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巽の「はじめに」は学問・研究の源泉であり基盤である「批判的想像力」を現代の困難な地平の中で再文脈化し、再定義していく宣言として訴えかけてくる。そして 500頁後の下河辺の「あとがき」には不意に、そして静かに心を打たれる。それらふたつのあいだの「多声的空間」(下河辺)に次々に立ちあがってくる論考と批評家解説は、テクストや理論を論じながら同時に、文学に生き今も言葉のなかに生き続けている不死のひとびとについての文章でもあることが海鳴りのように伝わってくる。——長岡真吾「2021年回顧」『週刊読書人』2021年 12月 17日号(3420号)

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しかし、やはり本書の一番の読みどころは、巽先生ご自身がお書きになっている「はじめに」という文章。高校生の時に見たベケットの不条理劇に批判的精神の何たるかを教わったという「原点」の話から始まり、その後先生ご自身が身を投じられた 70年代、80年代、そしてそれ以降の文学批評理論の動向をダイナミックに回顧しつつ、そうした様々な批評理論間の切磋琢磨は決して足の引っ張り合いではなく、更なる認識の高みへの飛躍の準備であったこと、またそうした思想の熟成にはそれに応じた時間が掛かるのであって、そのゆっくりとした時間の進行に耐えることが研究者と研究者を取り囲む環境の双方に必要なのだということを明示しつつ、人文学の未来への指針を示し、またそこに希望を託すというもので、さほど長い文章ではないのにこれだけの内容を盛り込むそのあまりにも華麗なレトリックに眩暈さえしてくるという。読んでいて、これこれ、これが巽先生の文章だよなという感を強くした次第。——尾崎俊介「巽孝之監修『脱領域・脱構築・脱半球』を読む」2021年 10月 11日

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こう考えると、本書は一方で「脱」を標榜しながらも、20世紀後半から今日にいたる約 50年の文学・文化批評の動向にしっかりと根を下ろした成果であることがわかる。そしてその源泉にあるのは、巽氏の「はじめに――人文学の未来と批評的想像力」で繰り返し言及される「知的自由」にほかならない。氏は、2018年に上智大学文学部英文学科創立 90年を記念した『上智英文 90年』(彩流社)によせた緒言「そこは何処にもない国」において、上智大学を「日本の首都の中心に位置しながらも、内部には日本を超えた時空間が拓けており、まさにそうしたどこにもない時空間だからこそ学問の自由が保障され、先端的な知識が研磨されてきた」と評している。巽氏によるアメリカ文学研究の実践と展開は、まさにそのようになされてきたのではないか。つまり、氏はアメリカ文学研究の中心に位置しながらも、その内部にアメリカ文学研究を超えた(=「脱」した)時空間を切り拓き、学問の自由を担保しつつ、最先端の知識を研磨してきたのではなかったか。そうだとすればこの『三脱本』こそ、そのまがうことなき成果にほかならない。 ——佐藤憲一「日本の文学研究・文学批評の現場を席巻した「理論とその時代」の幅と深み」『図書新聞』2022年 1月 29日号(3528号)

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まとめるなら「三脱」とは、アメリカにおける文学的想像力をいかに論じるかを主題とした、段階的かつ現在進行形の運動である。1970年代、スタイナーを代表的論者とする<脱領域>は、デリダ、ド・マン、カラーらによるポスト構造主義の<脱構築>によって乗り越えが測られ、二一世紀に入るとスピヴァクの提唱する惑星思考、<脱半球>がさらなる批評的想像力を発揮する。つまり本書所収の 19篇は「代表的思想家 30選」を案内役に、巽氏のモットーたる批評的想像力の実践として読まれるべきなのだ。この緊張感が本書を支えている。(中略)まったく同じ理屈で惑星思考は、極東という出自を持ちながら欧米文学を研究する者へのエールでもある。そもそも、この批評的想像力の体現者自身が思索のオーヴァードライブをやめてはいない。本書は第二期巽孝之に伴走しつつ、批評的想像力を駆使し、二一世紀の人文学を脱構築していくための必携書である。——新島進「批評的想像力の実践として」『週刊読書人』2021年 12月 10日号(3419号)