2015/12/06

2015/12/01:文学部特別講演会「メルヴィル『白鯨』リハーサルの試み」レポート

さる12月1日(火)に、三田キャンパスで文学部特別講演会「メルヴィル『白鯨』リハーサルの試み」が開催されました。一年を通じて『白鯨』を精読する巽先生ご担当の米文学演習を履修している学部生の方々による、本講演会レポートをお届けします!

CPA REPORTS
文学部特別講演会
「メルヴィル『白鯨』リハーサルの試み」
@三田キャンパス北館ホール
講師:小田島恒志(早稲田大学教授)、高橋正徳(文学座演出家)
小林勝也(文学座俳優)、采澤靖起(文学座俳優)
司会:巽孝之(本塾文学部教授)


“『白鯨』という文学作品は、新たな形で表現しようとする人を苦しめると同時に、多様な解釈/表現を可能にするのだと感じた。
脚本が日々変わるというお話があったが、それは、文学や映像とは異なり、演劇ならではの大変さ、生ものである良さだと思った。今まで授業で読んできた『白鯨』が、文学座によって一体どのような変化を遂げるのか、ぜひ自分の目で確認したい。
講演会の途中で見せて頂いた稽古風景では、椅子やロープや布を使っていたが、本番では一体どのように『白鯨』の舞台を作り上げるのか楽しみです。


講演会を聞き終えて最初に感じたのは、演劇の奥深さだった。文学は文字でしか読者に訴えられない。それは文学の良い点でもあるが、演劇は、舞台のセットやBGMなどを駆使することで、観る人の五感に、より強く訴えることができるのだと感じた。演出を担当する高橋正徳さんが「ロープや布などで『白鯨』の世界を再現している」とおっしゃていた。訳を担当する小田島恒志さんと連携しながら、原作を大切にしつつ、演劇でしか表現できない臨場感を作り出すために様々な工夫をめぐらせていることがわかった。
白鯨を見つけた場面について、「距離がどの程度離れていたのか」や「匂いがどれほど強烈だったのか」など、解釈の一つ一つに苦心されているお話が印象的だった。 
文学と演劇は、遠く離れている気がしていたが、“Call me Ishmael”の訳し方を悩む点など、共通部分もあることを学んだ。役者の方々も、作品を読み込んだ上でアウトプットしていかねばならない大変さを知ることができた。改めて、『白鯨』という作品の深さを理解した。一時間半、熱く楽しく語っていただき、普段は異なる場で活躍する方々が、『白鯨』という一つの作品に共感する姿が見られる面白い講演会であった。


今回の講演会では「小説の捉え方の多様性」を改めて実感することができ、有意義な時間を過ごせた。前期の演習でも“Call me Ishmael”の解釈の難しさを勉強したが、演劇の脚本においても同様であることが分かった。イシュメールがサインをする場面をどう演出するかで、“Call me Ishmael”の持つ意味が異なるものになってしまうというお話は興味深った。

『白鯨』とは一体何なのか。役者さんそれぞれが抱く白鯨像を意識しながら劇を見てみたい。それを通じて、自分自身も白鯨像を再考しながら作品を読み進めたい。
采澤さん(イシュメール役)が発せられた「イシュメールは何故生き残ったのか?」という問いは、とても考えさせられた。というのも、私は『白鯨』を読んでいる時、イシュメールよりもむしろ、一等航海士のスターバックが生き残りそうだと感じたからだ。これは答えのない永遠の問いのように思う。
小林さん(エイハブ役)が若い頃、ジョン・ヒューストンの映画版『白鯨』(1956年)を見た時代は、既成のものに対する若者の反発があったとおっしゃっていた。それは60年代安保闘争の時代でもあった。まさに我々が今、新しい安全保障体制に対する考えをふまえて白鯨を考えることで、新たに見えてくるものがあるのではないかと思った。



イシュメールの語りには2種類ある。お客さんに語りかける(うんちくなどを)語りと、小説的な語り、つまり自分の中で反芻し思い返す語り。これは、日本語で表現した場合、違いが出てくるというお話が興味深かった。
鯨学の場面では「です/ます」調、他の部分では「だ/である」調とした、という語りに関するお話が面白かった。役者と小道具のみでどのように『白鯨』の舞台を作り上げたのか、実際に自分の目で確かめてみたい。




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