Panic Americana Annex
Ver. CPA #2
Kurt Vonnegut,
God Bless You, Mr Rosewater
歩く生活補助金
4年 栗原美貴(くりはらみき)
現在の日が抱える問題にニート問題がある。少子高齢化に伴い生産人口が減少している中で、ニートらを労働に従事させることは彼(女)らにとっても、また日本国にとっても非常に重要な事の一つである。なぜニートは近年増加傾向にあるのか。賛否両論あるが、一つには、働かなければ生活補助金が貰えるからだ。ここで私はああそうなのか、と妙に納得した。本作の文庫版の裏には「その限りない愛〜を恵まれぬ人々のために分け与えようとしたとき」とある。そうか、彼にとってお金そのものも愛の一部なのかもしれない。困っている人々を助けるために無償でお金を分け与える、それは彼にとって立派な愛の分配行為だったのではないだろうか。
しかしまあなんと素晴らしい愛の形かと思う。私が彼のようにお金持ちであったら、同じ事をしただろうか。答えは明白すぎて言うまでもない。これが彼と私の違いなのかもしれない。
愛しさと切なさと心強さと
4年 上田裕太郎(うえだゆうたろう)
そんな愛らしいエリオットも含め、この作品には、大金持ちの悲哀と貧乏人の悲哀が並列して登場する。そして作者ヴォネガットは、そのいずれに対しても、批判的な眼で見るようなことはしない。ヴォネガットは、彼らがいかに外道だとしても、いかに善人だとしても、小説の中では愛をこめてキャラクターたちに命を吹き込んでいるのである。それが表紙の「愛らしさ」につながる。これこそヴォネガット自身の、作者つまり物語を創造する「神のお恵み」なのであろう。
エリオット・ローズウォーターが行う慈善行為について、思うべきところはたくさんある。
例えば、大学生で進路を決断する局面にあるとしよう。就職するのか?自分の理想を追い求めるのか?決断を先延ばしにするか?そこで迷うときに、ローズウォーター氏の助けの存在を知ったらどうする?これらに即答できる人はおそらくとても幸せなのだろう。
だが、常に心の中で葛藤を繰り返しているのが、この作品の「愛らしい」キャラクター達なのである。この本はもしかしたら、我々日本人にとってはとてもなじみやすく、そして心強い支えにすら、なり得るのかもしれない。
富豪の「異常」な愛情
3年 池谷有紗(いけがやありさ)
主人公のエリオット・ローズウォーターは「億万長者にして浮浪者、財団総裁にしてユートピア夢想家、慈善事業家にしてアル中」という特異な性質を持つ男性。『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』には、主人公の他に、主人公の妻、父、法律事務所なども登場するが、作品の中で特に注目したいのは、上流階級に属さない、貧しくて慈愛を求めている人々と主人公の交流である。
歪んだアメリカン・ドリーム
3年 藤塚大輔(ふじつかだいすけ)
キじるしの境界とは一体何なのか。東日本大震災を経験した僕たち日本人にとって、エリオットはキじるしではないだろう。異常と正常がせめぎあう作品、それが『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』である。
1965年にこの作品が出版されるわけであるが、好景気に湧く1950年代、つまり資本主義優勢への反撃としての要素が随所に散りばめられている。1950年代のシンボルとして挙げられるのは、主人公の父ローズウォーター上院議員であろう。物質主義の典型として自らの利益のみを追求するからだ。また若き弁護士ノーマン・ムシャリーが一攫千金を狙おうとする様子は、いわゆるアメリカン・ドリームが歪んでしまった印象を抱かせる。
奇しくも、1960年代と言えばカウンター・カルチャーの時代である。ヴォネガットがその潮流に乗り、世の中に問いかけたと推測するのはあながち誤りではないだろう。マルクス主義の史観に基づけば、資本主義はその根本的矛盾から崩壊し、ユートピア社会を志向するようになっているという。この作品の世界では、今まさに資本主義が崩壊し、エリオットによる富の再分配が始まる。
ヴォネガットが独創的だと感じるのは、通常資本主義の対抗馬として挙げられるマルクス主義的な視点で作品を書いているにも関わらず、マルクス主義文学において好まれるプロレタリア文学、つまり労働者階級から描かれる視点とは真逆の視点、富裕層から描かれている点にある。
ここから考えてみると、当時、時代を席巻していた赤狩りから逃れるために、わざと金持ち視点を採用したのではないかと疑ってみたくもなる。するとヴォネガットの赤い思惑がおぼろげにも見えてくるような気がするばかりか、エリオットが正常と思う僕たちの影も赤くなっていると気付くのである。
隣人愛再び
3年 轉法輪右(てんぽうりんゆう)
作品を通してエリオットは、アメリカ建国の父達や有志消防団といった熱狂的で献身的な愛他行為にその身を捧げている。この作品が出版された一九八二年、世界は隣人愛とは真逆へと突き進み始めていた。人権外交を標榜していたカーター民主党はソ連のアフガン侵攻によって下野し、政権を得たレーガン共和党は「強いアメリカ」をスローガンに対ソ連強硬路線・軍備拡張へとその政策を転換していく。パレスチナ、イラン、フォークランド等の世界各地で紛争が頻発し、デタントから一転、第二次冷戦と称されるこの時代、アメリカは建国以来の孤立主義を完全に捨て去り強大な軍事力を有する世界の警察としての地位を確固たるものにする。このようにして国家としてのアイデンティティの根幹が大きく揺らいでいた八十年代、国内では減税による収入減と軍拡による財政赤字が深刻化し八七年の株価大暴落を引き起こす。アメリカの失業率は上昇し、経済的な派遣をも失う。キルゴア・トラウトは法廷において現代社会が抱える不気味な恐怖、オートメーション化によって社会から役立たずとされた者たちをいかに愛するかという問題を指摘する。社会から必要とされず愛されもしない人々が、人知れず抹殺されていく社会へアメリカが近づいていることをヴォネガットは予見し、継承を鳴らしていたのではないか。