2012/07/01

アメリカ文学の魂

アメリカ文学の魂―レイ・ブラッドベリを悼む
巽孝之


最初に読んだレイ・ブラッドベリは連作短編集「刺青の男 」 (原著1951年)だった。

60年代の末、中学時代のことである。主人公は、未来から来たという魔女のこどき彫物師により全身に超現実的な絵画18点を刻み込まれてしまった男。その刺青の絵画ひとつひとつが夜な夜な動きだし、恐ろしくも美しい未来の物語を語り始めるという枠組みに、わたしはたちまち魅了されてしまった。

折しもロッド・スタイガー主演で同作品が映画化されたので、同級生たちと語らい、東京・渋谷パンテオンに見に行った日の記憶が、昨日のことのようによみがえる。今日ではその作者もスタイガーも、そして渋谷パンテオンすら、もはやこの世のものでないとは!

ブラッドベリは20年8月22日に米国中部のイリノイ州に生まれた。41年に発表した短編でプロ作家デビュー。47年に第1短編集「黒いカーニバル」を出版したのち、50年代から60年代にかけ作家としての最盛期を迎える。

彼の先祖には17世紀植民地時代に東部のマサチューセッツ州セイラムの魔女狩りで魔女と名指しされたメアリ・ブラッドベリがいることを考えると、ブラッドベリがまさしく米ソ冷戦期、とりわけ共産主義者を弾圧する魔女狩りならぬ「赤狩り」の時代精神に伴う緊張と恐怖を根本に捉えて創作を続け、世界的人気を誇るに至ったのは、必ずしも偶然とは思われない。

宇宙植民とそのアイロニーを描く宇宙小説「火星年代記」(50年)や未来の全体主義国家における焚書令から始まる未来小説 「華氏451度」(53年)、永遠の生命をモチーフとするホラー小説「何かが道をやってくる」(62年)などは愛読者が多く、映像化もされた。

アメリカ短編小説の傑作に贈られるO・ヘンリー賞や全米芸術栄誉賞などに輝く一方、アメリカSF作家協会が彼の名を冠した年間最優秀脚本賞ブラッドベリ賞を設立。2008年からは学術誌「ニュー・レイ・ブラドベリ・レビュー」も創刊されて再評価が進んでいた。少年時代以降は一家が移り住んだロサンゼルスに長く暮らし、同地にて亡くなった。

ブラッドベリがSFおよび幻想小説という文学サブジャンルを超えて広くアメリカ文学史、いや世界文学史に名を残すとすれば、19世紀アメリカ作家ハーマン・メルビルの世界文学的名作「白鯨」(1851年)をジョン・ヒューストン監督が1956年に映画化したときの脚本家としてかもしれない。ブラッドベリ自身が豪語するように、彼による独創的な再解釈が銀幕に定着したからこそ、文豪メルビルの名はいまも長く語り継がれているのだろう。

多くのジャンルやメディアを横断しながらも、つまるところアメリカ文学そのものの魂と伝統を長く維持し力強く再活性化してきた作家、それがブラッドベリであった。