■グローバル化の嘘をアメリカ文学が暴く! 人種もジェンダーも、自我さえも乗り越えて乱れ咲くロマンスの花園が、アメリカという「地方」の特殊性を垣間見せてくれる。痛快な人と作品を論じて筆さばきが小気味よい。
――荻野アンナ氏(同書 帯より)
■どれほど理性的な小説(ノヴェル)も、書き手の知らない密やかな欲望の支配を免れることはできない。まして読み手と書き手の秘められた欲望が交換される物語(ロマンス)という場では。アメリカ文化の底に潜む人種混淆と渾沌への降下に対する危険な憧れを大串尚代は明晰かつのびやかに読み解いている。
――佐藤亜紀氏(同書 帯より)
■現実と想像力という二人の主人に忠誠を誓ったはずのロマンス作家を論じる本書が、その想像力の飛翔を活写する過程で、作家本人が生きていたであろう「現実」をともすればフレームの外においやってしまう傾向がないとはいえない。が、それでも、アメリカ文学の中で紡がれた異種混淆への「想像力」へのゆくえを、チャイルドという作家に焦点を当てることで本書は見事に浮かび上がらせてくれる。幅広い先行研究をおさえた上での大胆な立論を展開する本書が、今もっとも新しい一つの文学研究の豊かな結実であるのは確かである。
――宇沢美子氏『週間読書人』2002年11月29日
■大串尚代氏の『ハイブリッド・ロマンス』は若い研究者の登場を明確に示す意欲作である。まず、タイトルがいい。アメリカ文学の一方の伝統であり、19世紀においては作者も読者もしっかり確保していた「ロマンス」を、現代アメリカ文化を解読するキーワードでもある「ハイブリディティ」と結びつけたところに著者のセンスのよさがうかがえる。(中略)読後の爽快さは、私たちが新しい世界を経験したことの何よりの証明といえよう。
――瀧田佳子氏『英語青年』148巻10号(2003年1月)
■アメリカ文学を「読み直す」としたら、一九世紀は研究の宝庫であることは間違いないが、本書で取り上げられているリディア・マリア・チャイルドという女性作家の、まあなんと面白いこと。この人物、異人種間恋愛小説を書いたかと思えば過程マニュアル本を出して大いに稼ぎ、奴隷解放運動には真正面から取り組む一方、都市ルポルタージュも大ヒット、という多面的な顔を持つ。(中略)本書では「捕囚」と「混淆」をキーワードにしてチャイルド作品を中心に読み解いていくが、そこに横たわるのは、アメリカがその成り立ちからして避けられなかった<他者性>の問題だろう。
――村上由見子氏『三田文学』74号(2003年夏)
■本書はアメリカン・ロマンスの本質を<異種混淆>と規定する。出発点は、いうまでもなく現実と想像との融合を謳ったホーソン『七破風の屋敷』の序章である。かくして本書はロマンス論の先行研究を概観したのち、さらに考察の幅を広げてアメリカン・ロマンスを人種、民族、性別、果ては国境や「自己」までも侵しつつ混淆させる過激な物語装置として定立し、それをハイブリッド・ロマンスと命名する。(中略)一つの時空でせめぎ合う、多様、多層かつダイナミックな諸権力の、けっして静的ではないはずの関係性への目配りは、今後、著者の思考のますますの深化とともに先鋭化されることと思う。最後になるが、チャイルド作品からの引用の翻訳がじつに心憎い。
――栩木玲子氏『アメリカ学会会報』150号(2003年7月)
※作家・佐藤哲也氏による書評「大串尚代『ハイブリッド・ロマンス』を推す」はこちらをご覧下さい。