2000/02/23

Miscellaneous Works:解説・評論・講義:BM

『週刊ポスト』2/12/1999
井上一馬著『ブラック・ムービー』
(講談社現代新書、1998年)
巽孝之

数年前、人気TVドラマ『踊る大捜査線』がはじまった時、いちばん印象的だったのは、主人公の新米刑事を演じる織田裕二が、いかりや長介の演じる定年間際のベテラン刑事を尊敬をこめて「日本のモーガン・フリーマン」と呼ぶ場面であった。これはうまい!とわたしは膝をたたいたものである。折しも九五年には猟奇映画『セブン』が封切られ、ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの白人・黒人刑事コンビが評判になっていたからだ。

ところが本書では、この『セブン』が猟奇映画どころかずばりブラック・ムービーの文脈で再定位されており、目からウロコが落ちた。黒人映画の起源は一九一〇年前後、ウィリアム・フォスターというインディペンデント系の監督によって製作された最初のオール黒人キャストの映画である。以後、一九一〇年代すなわちニッケルオデオン(五セント映画館)時代に、黒人向けの小屋も作られ、一九年にはオスカー・ミショー監督の手に成る最初の長編黒人映画『ホームステッダー』が公開されている。だが広義のブラック・ムービーは、いまや黒人観客のための黒人キャストによる映画には限定されない。そこで著者は以下の再定義を採用する――「黒人がその映画の中で重要な役割を果たしている映画」。かくして、『セブン』は黒人・白人コンビの活躍する『48時間』(一九八二)や『リーサル・ウェポン』(八七)に連なるサブジャンルの系譜から生まれたことが判明していく。

ここで見逃せないのは、このサブジャンルの起源がアメリカ映画界初の黒人スター、シドニー・ポワチエの主演する『踊る~』ならぬ『夜の大捜査線』(六七)であった事実だ。やがて「白人の望む優等生的黒人」を演じ切ったポワチエは、六五年に黒人が白人に対して起こしたワッツ大暴動以後、対抗文化の時代に追い越され、脇役に甘んじなくてはならなくなる。ところが九〇年代多文化主義の今日においてはさらに、前掲『メン・イン・ブラック』ほかのSF映画において、むしろ黒人こそは地球の危機を救う役割を担っている変化を、著者は鋭く指摘してみせる。ブラック・ムービーを介して、本書はもうひとつの二〇世紀を生き生きと描き出した。