2000/02/24

Miscellaneous Works:祝辞の達人:6


かつて1980年代のこと、高山宏さんは、富山太佳夫さんと並んで、我が国の英文学研究の最先端を切りひらく若手ナンバーワンでした。それに先立っては、昭和一桁世代の高橋康也、由良君美、小池滋という巨星が輝いていましたが、続く団塊世代の高山さん、富山さんの活躍は、以後四半世紀ものあいだやむことがなく、いまでは名実ともに我が国の英文学界における権威として君臨しておられる。昭和一桁世代が新批評以後の教えをまんべんなく摂取したとすると、団塊世代は構造主義批評以後の最良の成果を取り込み具体的な文学や文化の分析へ活かしていった点で、いまも絶大な影響力をふるっています。

わたしがおふたりのものを読み出したのは大学院に入った年あたり、1978年ごろにさかのぼるでしょうか。このころにはまだご両人ともご著書はありません。にもかかわらず、青土社が出している<ユリイカ>や<現代思想>といった批評誌や、中央公論社が出していた<海>のような尖端的文芸雑誌を定期的に読むようになると、海外文学や批評理論の最新思潮を紹介する論考やコラムではきまって、高山、富山という名前に行き当たる。北陸の高速道路をドライヴしますと高山と富山という町の名前が仲良く並んで記されている標識をよく見かけますが、いってみれば、英文学研究の極北に向かって高速で飛ばしていくと高山、富山の両巨頭の名前が道しるべになっているわけですね。1947年、48年といったお生まれですから、わたしよりちょうど7,8歳上なので、まだお会いする前から、なんだか頼りがいのある兄貴分のように思っていたものです。

初対面は、1991年11月に八王子セミナーハウスで開かれた高山さん主宰になる第156回大学共同セミナー「世紀末・甦るアリス」。以後、学会のシンポジウムや雑誌の対談などでご一緒することが増え、ご厚意に甘えて慶應義塾大学藝文学会から今回の久保田万太郎記念講座まで、何かにつけご登場いただきました。この十年あまりおつきあい願った一端に関しては、拙著『メタフィクションの思想』(ちくま学芸文庫、2001年)に高山さんご自身のご寄稿を賜った解説に詳しいので、どうぞご参照下さい。とにかくいちど話しはじめると、こんなに話題が豊富で楽しいかたは、まずいないのです。

それでは、いったい高山宏さんのご専門は何なのでしょうか。こういう問いの建て方をすると、ご本人は「専門」などという概念そのものに対して、鼻で笑ってすませるかもしれません。たしかに、最初のご著書である『アリス狩り』(青土社、1981年)には、タイトルどおりのルイス・キャロルやエドワード・リア、それに何とハーマン・メルヴィルについての卓見にみちた論考がぎっしり詰め込まれており、その背後にはマニエリスムの理論家グスタフ・ルネ・ホッケが見え隠れしますし、さらに高山さんが手を染めた翻訳だけに限っても観念史の大御所マージョリー・ニコルソンや博物学的想像力の怪物ユルギス・バルトルシャイティス、独身者の思想家ミシェル・カルージュ、精神分析批評と新歴史主義批評の交点レイチェル・ボウルビー、文化史研究の先覚者バーバラ・スタフォードなどなど、まさに珠玉の玉手箱といった様相を呈しています。かつてC・P・スノウ卿は科学と文学という「二つの文化」の架橋を説き、それはのちにトマス・ピンチョンのような巨大なるメタフィクション作家に受け継がれましたが、我が国でそのように圧倒的な知性はまさに高山宏さんに代表されるといっても過言ではないでしょう。したがって、これは現在、日本英文学会会長を務める高橋和久さんが用いた表現ですが、わたしたちはいまやこうご紹介するしかないのですー「高山宏の専門は高山宏そのものである」と。

奇妙な表現に聞こえるでしょうか。しかし、学問する主体がこちら側にあって、その対象があちら側にあるというような近代的二項対立の図式は、とうに過去のものになっています。読んでいると思ったら読まれているという認識論的可能性を度外視して、いまどのような知的活動もありえない。となると、主体としての知性が圧倒的であればあるほど、それは自らの読みのベクトルを知らず知らずのうちに自己自身の奥深くへと差し向けているものなのです。かつて高山さん本人が名付けたナルシス的な「リフレクトする病」とは、まさしく高山宏自身を解析するのに最もふさわしい病理学的体系ではなかったでしょうか。高山宏が何らかのジャンルを語るのではなく、高山宏本人がひとつのジャンルなのです。したがって、いま数多いご著書を律儀に並べ立ててもあんまり意味がない。ただし、目下いちばん手に取りやすい一冊として、創元ライブラリから出ている文庫『殺す・集める・読むー推理小説特殊講義』(2002年)だけは、たった1000円ですから、強くお薦めしておきましょう。 

本日はそのように巨大な知性を三田の山にお迎えし、21世紀にふさわしい美学を語っていただける幸福を、みなさんとともに噛みしめたいと思っています。
9/25/2003

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