2000/02/24

Miscellaneous Works:祝辞の達人:5


2004年1月23日(金)午後6時30分より
ホテルオークラ別館メイフェアの間にて

常山君、本日は出版ほんとうにおめでとう。
たったいま、山本晶先生、楠原偕子先生といったそうそうたる名誉教授のかたがたがご挨拶なさったあとに不肖わたくしが呼び出されましたのは、かつて山本先生が慎重に成文化された博士号請求論文の規定どおりに、常山菜穂子君を筆頭とする当時の博士課程在籍者を指導した、ということによっております。

常山君はわたしが慶應義塾の文学部英米文学専攻における大学院のクラスを担当し始めて3年目、つまり1992年に入学してきましたので、大学院巽ゼミの2期生ですね。以後、彼女は博士課程へ進み本塾に就職し、西暦2000年3月には博士号請求論文 "The Globe upon a Hill: Reception and Transfiguration of Shakespeare in the Early American Theater" を提出しました。審査委員は、わたしと英文学専攻の松田隆美教授、それにウェスト・オヴ・イングランド(ブリストル)大学人文学部ピーター・ローリングス(Peter Rawlings)教授の三名。草稿段階にてすでに5回以上もの全面加筆改稿を経ていますので、2時間近くにおよぶ厳格な口頭試問をも常山君は堂々とこなし、事実上、三田の英米文学専攻初の課程博士号を射止めています。大学院入学から本書出版までのあいだには、足かけ12年もの歳月が流れている計算になります。

この歳月を強調したいのは、みなさん今回の記念すべき第一著書『アメリカン・シェイクスピア』のタイトルだけを耳にすると、彼女がひょっとしたら本書をとてつもない天才的閃きによって何の迷いもなく一気にすらすらと書き上げたかのような印象を抱かれるかもしれないからです。じっさいのところ、常山君があとがきで述べているとおり、このアイデアへ到達するまでには、たいへんな苦労がありました。というのも、彼女が修士課程に入ってきたときには20世紀アメリカを代表する劇作家ユージン・オニールを専門的に研究しており、修士論文もオニールのメタドラマ的想像力を中核に据えたものだったのですが、我が国にはオニール研究者はひしめいているし、残念ながらこの段階では、博士論文らしい独創的な主題が練り上げられていなかった。むしろわたしが修士課程在学中の彼女の手になる文章でいちばん感銘を受けたのは、中国系アメリカ人劇作家デイヴィッド・ヘンリー・ウォンのクイアかつポストコロニアルな戯曲「M.バタフライ」を扱った短いターム・ペーパーのほうでした。この時のことはよく覚えています。わたしが大幅な朱を入れたうえで肯定的な評価とともに返却したレポートを持参した彼女が、秋学期が終わったあとの研究室へ、ふらりと現れたのでした。1993年初めの、寒い冬の夕方でしたね。それまでは授業だけのつきあいで個人的な話をしたことはなかったのですが、ともあれ面白いペーパーでしたから、それをタタキ台に研究室で小一時間ほど話し込みました。そこには今日に通ずるシャープな分析のセンスが閃いていたので、こうした切り口を何とか伸ばせないものかと、ひそかに考えたものです。

1995年に博士課程へ進んだあとも、必ずしも彼女の道は平坦ではありません。どうにもテーマがまとまらないので、それならいまいちばん関心がある研究上のパースペクティヴだけに限定してみたらどうか、と示唆したことがあります。この時の常山君は「自伝や伝記に関心がある」という回答だったので、ならばその方面の代表的研究書を読み込み理論的なペーパーをまとめてみたらどうか、と。彼女はまだ文学批評理論全般に不慣れのようでしたが、こちらとしては少々手荒に、どんなに泣こうがわめこうがポール・ド・マンやウィリアム・スペンジマンらの先端的論考をむりやり詰め込んだわけで、その結果コンパクトにまとめられた論文は<藝文研究>69号(1995年)に掲載されました。

このとき自伝や伝記をめぐる物語学の理論の大枠をつかんだことが、のちに彼女が事実と虚構の脱構築転じては相互交渉を前提とする新歴史主義理論を吸収するのに、大いに役立っています。折も折、著書のあとがきにもあるとおり、サクヴァン・バーコヴィッチ編による『ケンブリッジ版アメリカ文学史』が刊行され始めたので、さっそく大学院のゼミで一年間に一巻ずつ読んでいくことにしたところ、その第一巻に収録されたマイケル・ギルモアの論考こそは最大のヒントになったというのですから、まったく教科書も侮れません。

じつをいいますと、わたし自身は以前よりエドガー・アラン・ポウの研究をしてきたため、シェイクスピア役者の両親をもつこの作家の演劇的想像力については、ノースロップ・フライやブリリオン・フェイギンやバートン・ポーリンらの分析に啓発されつつ、大学院時代に『テンペスト』と「赤き死の仮面」を比較した脱構築的読解を試み、かれこれ20年前の<アメリカ文学研究>20号(1984年)に載り、事実上のデビュー作となっています(『E.A.ポウを読む』[岩波書店、1995年]第三章に再録)。しかし1990年代には、ピーター・ヒュームらポストコロニアリズム系批評家の勃興により、むしろ英文学者のほうから、同じ『テンペスト』をテコにしてアメリカ植民地時代の言説分析に迫ろうとする向きが目立つ。中には、アーデン・ヴォーンのように、シェイクスピアにもアメリカ植民地時代のインディアン捕囚体験記にも両方詳しいという学者批評家もいる。だとすれば、アメリカをめざすフロンティア的想像力とアメリカが受容し変容させたシェイクスピア的想像力とが交錯する前人未踏の舞台が用意されているわけで、それこそは演劇専門家である常山君の出番ではないか。そう考えた時、まさに複合的な意味で「アメリカン・シェイクスピア」と題されるべき本を、誰よりもわたし個人が心から「読んでみたい」と感じたのです。自分自身にはもはや「書きえない」けれども誰よりも先に「読んでみたい」本を、常山君に「書いてもらう」こと。それまでは、博士論文指導ほどたいへんな仕事はない、と思っていましたが、常山君がテーマをつかんでからというものは、博士論文指導ほど「ぜいたくな楽しみはない」という気分に切り替わったのです。案の定、この独創的なテーマは学界から好評をもって迎えられ、彼女はまだ博士課程在学中の段階で、本邦を代表する学術誌<英文学研究>75巻2号(1998年)や月刊誌<英語青年>1999年4月号にぞくぞくと論文が掲載されることになりました。この冒険的な主題を当初より評価し続けた読者のかたがたこそは、真の批評眼の持ち主でしょう。

もちろん博士号請求論文をそのまま出版するには多くの困難が伴いますから、学位取得後も彼女は加筆改稿を続け、構想新たな章も書き加え、さらなる創意と精度に富む一冊に仕上げました。かくして本書『アメリカン・シェイクスピア──初期アメリカ演劇の文化史』がアメリカ文学とアメリカ文化双方の研究に関する未踏の大地を果敢に開拓したことを、わたしは心から喜んでいます。

しかしまったく同時に、この10年以上の歩みをじっくり観察してきた者としては、修士課程の時、まだ批評理論の何たるかも知らないまま「M.バタフライ」論を書き、緊張した面持ちで研究室を訪れた彼女のすがたがしきりに思い出されます。ふりかえってみれば、あのポストモダン・ブロードウェイ演劇こそは、人種・性差・階級すべての言説を根本から脱構築している点で『アメリカン・シェイクスピア』の理論的基盤を与えていたのかもしれない。常山君は知らず知らずのうちに「M.バタフライ」によってシェイクスピアを、そしてアメリカ全般を読み替えていたのかもしれない。しかし、まさにそうしたダイナミックな批評的想像力あふれるテクストこそは、わたしがいちばん「読んでみたい本」だったのもまた、たしかなことです。
1/23/2004

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