2000/02/24

Miscellaneous Works:祝辞の達人:4



3/21/2005
午後1時-3時
於・新阪急ホテル二階宴会場
星の間

わたしは今回の発起人のなかでもおそらくはいちばんの若輩者ですから、入子文子さんとも、決して長いおつきあいというわけではありません。せいぜい、ここ十年ばかりのことです。

最初にお会いしたのは、いまもよく覚えていますが、1995年秋に京都大学で行われました日本アメリカ文学会全国大会懇親会の席上で、たったいまスピーチされた八木敏雄先生にご紹介いただきました。この初対面のときには、すでに入子さんといえば保守的なことで知られる学術誌<英文学研究>に衝撃的なホーソーン論である「チリングワースのゆくえ」を発表したかたとして、わたしはしっかり認識しておりました。学会誌に載る論文をひとつひとつ熟読することはめったにありませんが、わたしの場合、この論文をじっくり読むことになったいきさつがあります。というのは、1995年の3月より、日本英文学会から任命されて、以後二期、丸四年間のあいだ、日本英文学会編集委員というのをつとめることになったからです。ただし、だからといってわたし自身が就任した時期に入子論文が回ってきたわけではありません。この論文「チリングワースのゆくえ」は、わたしの前任者の段階ですでに審査をパスして日の目を見ておりました。したがって、わたしは新米編集委員に就任したばかりであったからこそ、現在の<英文学研究>の水準をじっくりたしかめるために、その時点で最新号を飾っていた入子論文を熟読したというわけです。

その結果、いかにびっくりしたかは、すでにホーソーン協会のお歴々もここにはいらっしゃいますから、すでにくりかえす必要はありますまい。この論文は、17世紀ピューリタン植民地時代の法制史が構築していた言説空間に着目することで、ホーソーンの『緋文字』という小説で自明のものとなっていたヘスターとディムズデールとチリングワースの三角関係が一筋縄ではいかないのではないか、当時の歴史的制度を尊重する限りチリングワースの積極的かつ建設的な役割を再評価しないわけにはいかないのではないか、という驚くべきどんでん返しを用意しながらも、すべてが実証研究として首尾一貫しているという奇跡的な離れ業であります。ふつう学術的に画期的な論文というのは一定の驚きを伴っているものですが、わたしはこうしたホーソーン研究の伝統を根底からひっくりかえすような仮説が、徹底的に歴史的な論証を重ねたうえで支えられている論文に接して、これを掲載した<英文学研究>もなかなか捨てたものじゃないじゃないか、編集委員会もなかなかやるじゃないか、と一種の爽快感をおぼえたのを、はっきりと記憶しています。ここまで定説をひっくりかえすのだから、この著者はありとあらゆる論争が巻き起こった場合に、きっとすべての反論を打ち返してみせるんだろうな、という最も建設的な学術的論争への期待を、このときわたしは抱いたのです。案の定、伝統的なホーソーン研究の側からは、入子さんの仮説に真っ向から疑義を呈するかたも現れましたが、にもかかわらずこの論文のおもしろさは魅力を失うことがなく、ますます輝きを増すばかりです。真に画期的な論文というのは必ず学問的な論争を巻き起こすものだ、そしてそのあげく生き延びるものだということを、「チリングワースのゆくえ」は何よりも雄弁に解き明かしてくれました。

ではそのおもしろさとはいったい何かといえば、わかりやすく言うなら、わたしにとって、スティーヴン・グリーンブラットやピーター・ヒューム、キャシー・デイヴィッドソンといった批評家たちによる新歴史主義批評に通ずるおもしろさであるとともに、それと連動するかのごとく、当時、ウンベルト・エーコやキャサリン・ネヴィル、スティーヴ・エリクソンといった作家たちがしきりに発表していた歴史記述的メタフィクションのおもしろさだったのですね。歴史そのものをフィクションと考えながら、さらにそれに対して精密な論理で脱構築を仕掛けるようなフィクションについてのフィクション、いわゆるメタフィクションを展開するジャンルのおもしろさは、ひとえに創作に限らず、批評のかたちを採ってあらわれることもある。こうしたフィクションについてのフィクションの構造を、わたしたちは俗にチャイニーズ・ボックス、いわゆる「入子構造」(いれここうぞう)と申しますが、そんなこともあったために、失礼ながらわたしは入子先生と初対面のときに「何とおもしろい名前の人であることよ」と思ってしまいました。それは、たんにお名前が変わっている、ということではありません。新歴史主義批評のみならず歴史記述的メタフィクションとも連動するようなお仕事、すなわちフィクションの入子構造を前提にしたお仕事を進めておられる文学研究者ご本人のお名前が「入子文子」というのですから、これ以上おもしろい話はない、ということです。文学のおもしろさを伝える文学研究そのものもじゅうぶんにおもしろいものであるべきなのは当然ですが、かてて加えてお名前までがその構造を体現しているわけです。そんなわけで、わたしはずいぶん長いこと「入子先生」(いりこせんせい)を「入子先生」(いれこせんせい)と発音してきたような気がいたします。それが無理もないことだと思ったのは、今回のご著書を熟読していきますと、中にはディムズデールの部屋の内部の「タペストリー内タペストリー」に注目した考察、いわば物語内物語というテクストの入子構造に注目した考察が、入子という名前の著者によって一貫して繰り広げられている。これ以上に一冊の文学研究書が自己言及的であった実例を、わたしはほかに知りません。

ちなみに、わたしは学会の編集委員をずいぶん長く努めてきまして、1991年に日本アメリカ文学会を引き受けたのを皮切りに、1995年には日本英文学会、1998年にはアメリカ学会と歴任し、学術論文の数だけはたくさん読んできたつもりですが、入子論文ほど、その論文もさることながらそれが巻き起こした論争までがおもしろいという事態はめったにないので、これはわたしの前任者のかたは、学会誌編集委員冥利に尽きる英断を下された、ということになるでしょう。げんに、編集委員会で通りやすいのはあんまりオリジナリティがなくても伝統にのっとったお行儀のいい論文だったりすることがあり、オリジナリティがありすぎると「これは学術論文ではないのではないか」と批判する編集委員もおられたりします。わたしはこうしたきわめて保守的な批判によって、せっかくの学術的洞察が闇に葬られるのを恐れています。したがって、保守的な編集委員だったらネガティヴな意味で「おもしろすぎる」といわれたであろう入子論文が堂々と<英文学研究>を飾り、以後のホーソーン研究にも一石を投じ、トランスアトランティックな意味合いでも学界全体を活性化させてきた、ということは入子文子さんという卓越した英文学者を日本の英文学界がきわめて尊重してきた証として、大いに誇るべき事実だと思うのです。

ちなみに、この十年といいますのは、わたし自身もまた、アメリカ文学の言説空間を少しおもしろくしようと非力ながらも考えまして、個々の作家や作品のみならず、アメリカ文学思想史というものを少しは実質的に研究してみようと計画し、その姿勢で一貫して研究を深めてきた歳月でした。手前味噌で恐縮ですが、具体的には1995年に著書『ニュー・アメリカニズム』(青土社)を世に問い、それ以後、2001年にその続編として『アメリカン・ソドム』(研究社)、2002年に三部作完結編として『リンカーンの世紀』(青土社)を出版してまいりました。この三部作の最初の一冊である『ニュー・アメリカニズム』の最終章で、わたしはイギリスの作家クリストファー・ビグズビーが『緋文字』の前日譚ともいうべき物語を想像力豊かに綴って1994年に出版したばかりだった一種のメタフィクション『ヘスター』のことを詳しく紹介し、その作品がチリングワース再評価につながっているうえに、そこにはクイア・リーディングにもつながる新しい批評的再解釈の可能性があることを記しました。それは入子論文の「チリングワースのゆくえ」を読むか読まないか、いずれにしても自分の著書に反映するにはまったく同時期だったので、入子論文に言及しようと思ったときにはすでに拙著自体の刊行が迫っていたタイミングだったと思います。さてこのメタフィクションのタイトルをわたしは一応『若き日のヘスター』と訳しておいたのですが、ちょうどデミ・ムーア主演の映画化が話題になったため、この作品はわが国で訳されたときには、出版社の売らんかな作戦のためでしょう、あろうことか『スカーレット・レター』というタイトルになってしまいました。

ところが、今回、著書になった『ホーソーン・<緋文字>・タペストリー』のあとがきの411ページを見ますと、入子先生もクリストファー・ビグズビーの小説にふれて、何とわたしが仮題とした『若き日のヘスター』なる訳題のほうを採用なさっている。さきほどわたしは新歴史主義批評と歴史記述的メタフィクションが同時に相互影響を与えながら生成していったことをふりかえりましたが、この点に関する限り、わたしはビグズビーと入子先生が、1990年代なかばというほとんど同じ時期にホーソーンのテクストへ果敢に挑戦することで、文学と歴史の相互交渉という問題をともに解き明かそうとしていたのだという奇遇に、アメリカ文学を読み直すという行為自体のグローバルな同時多発現象を感じざるをえません。

もちろん、『ホーソーン・<緋文字>・タペストリー』全体を熟読しますと、かつての画期的論考「チリングワースのゆくえ」すらその一環でしかないような、壮大なるイギリス・ルネッサンスの背景が浮かび上がってくる。それは、もともとシェイクスピア学者であったF・O・マシーセンが「アメリカン・ルネッサンス」なるタイトルの本を著したのはなぜかという素朴な思いとも絡み合って、トランスパシフィックな学際研究に大きく貢献するものであることもわかってくる。入子さんが新歴史主義批評といった批評ファッションに必ずしもこだわらないゆえんも、この著書全体を読むと明らかになる仕掛けになっています。新歴史主義批評の東の雄であるサクヴァン・バーコヴィッチに批判的ながら、旧歴史主義批評の西の雄ともいえるマイケル・コラカチオを高く評価しているところなどは、さわやかな立場表明ですね。ちなみにコラカチオは、わたしのコーネル大学大学院時代の先生のひとりでした。

にもかかわらず、たとえばパールの解釈の鍵を握るマルガリータを論じたところで、このマルガリータを含むベラスケスの『侍女たち』といえばミシェル・フーコーの『言葉と物』で名分析が行われているのではなかったか、新しい歴史学を創造したフーコーの解釈に対しては本書ではいっさいふれられていないけれども、それは入子さんはたんにやりすごしただけなのか、それともこれから独自にして再び論争的なご意見を拝聴できるのか、ということは、ひとつの素朴な感想として表明しておきたいと思うところです。また、タペストリーの考察にはルネッサンス以来の記憶の宮殿の伝統を実感するところもありましたから、その点についても、いつかきっと考察をくりひろげていただけるだろうと期待してやみません。

この十年間は、入子先生と初めてお会いし、それ以後、さまざまな学会や共同研究でご一緒する機会を得ることになりました。ひとつの大学にとらわれず、学会ならではの知的交流を深める機会を得たことにつきまして、たいへんうれしく思っております。

入子先生、今回のご出版、まことにおめでとうございました。

3/21/2005

※入子文子先生のご出版をお祝いする会
(『ホーソーン・<緋文字>・タペストリー』出版記念会)
発起人:加勢田博、鴨川卓博、巽孝之、玉井あきら、藤田實、山下昇