2000/02/17

Kotani Mari Essays:実録!別荘ライフ



 今年の夏は、暑い!
 まぁたいてい夏は暑いものだときまっているから、多少あきらめがつくといえば、それまでだけど、今年は、とくに猛暑と言ってもいいくらい。こないだNHKの「銀河オデッセイ」を見ていたら、今年は、太陽の活動が活発な年にあたっているとか。これって11年周期でやってくるんだそうな。そういえば、11年前、すっごく暑い年あったような、なかっような。
 余談になるけど、その昔、ペストがヨーロッパで流行った頃--世界的に飢饉が発生した時代--って太陽の活動が低下していた時期と一致するんだって。知らないうちに太陽ってずいぶん歴史に関与していたんだなぁとちょっとびっくり。知らないうちに支配されているって、なんだかポリティクスみたい。 ポリティクスといえば、今回の話題はまさにその知らないうちに支配されてしまったお嫁の話でありんす。
 ワタシの嫁いだ巽というウチは、父方も母方も、江戸末期から明治・大正・昭和戦前まではたいそうリッチな家だったんだそうです。もちろん、いまは一億総中流だもんネ、身分制度だってないし、だいたい結婚した当初キャリア・ウーマンだったワタシとくらべて巽孝之ときたら、貯金はゼロでパジャマも下着も買ってやったくらい。石高はフツーだけど消費量がめっちゃんこ多いヤツだったのだ。 しかし、こんな言い方もある。手塚真曰く「生まれながらのビンボー人は成り上がった後ビンボーに恐怖感を抱くけど、生まれながらのマルキンてたとえビンボーしても楽しんじゃうんだよね」
 まぁ、そうかもしれない。
 そのリッチな日々のなごりというんだろう。
 
 巽孝之のいささか度を越えた消費量も。
 で、結婚生活を質素なものにして、少しは耐乏生活(でもワタシにとってみりゃあフツーだよフツー)していたここ数年だったけど、たまには優雅にやってみない?というあまい誘いがあったのは、今年の初め。巽家の現当主(すなわち舅)が定年退職し、かつその令夫人(すなわち姑)心臓病全快を記念して、今年の夏熟年旅行でイギリスへ「いらっしゃる」ことになったのだ。そこで、若夫婦が父母の別荘をひと夏預かることになった……。 そしてこうした「あまい誘い」には当然憑きもののリスクへと話は進む。
 ありきたりの道筋だと「あっはぁ、さてはこれって怪談のイントロだな、その別荘呪われていたんだろ」てことになるだろけど、わたしはオーソン・スコット・カードじゃないモンね。そうそうメタ・ヒクションなんてやってられない(イミがわからなかったら『新潮』九月号を見てネ←とさりげなくCM)。
         
 さきへすすむゾ。長野県は諏訪郡富士見町の夕暮れ。突如として夕食の風景。
 窓辺にゆれるカーテン、高原の涼しい風。グラスには、ワイン。白いお皿に高原野菜。テーブルには向かい合う我々夫婦……のほかに巽孝之の母方の大叔母がふたり、祖母、それに従妹。計六名。
 そうなのだ。巽家はやたら家族が多い。しかもカトリック・マフィアなんかによくあるみたく、要するに、別荘ライフとは家族会のことだったのョ。どうもやたら広いウチだと思ったら。
 核家族と頑固な個人主義者の団体である小谷家には想像もつかない驚異の世界。しかもこの生き残った老嬢三姉妹ときたら、なんと明治うまれのお嬢様。トップが今年九十歳、続いて八七、八二。皆相当に元気で、しかも長女はその昔イギリスに留学していたとかで、英語はペラペラ。ヒマなときにはソファに座って気持ちよさそうにペイパーバックを読んでいて、「何をお読みになっていらっしゃるんですか?」(←しらずに敬語になってしまう)とお聞きしたところ、
 「シドニー・シェルダンよ、推理小説ではないの、そうね、スリラー小説ってところかしら。こんなにぶあついくせに読み始めたら、とまらないわ」
 へへーっ。こっちは汗水たらして、辞書ひきひきル・グィンのジュヴナイル読んでんだぜーー。ちなみに生涯独身で、威厳のあるこのお嬢サマは一族からはアンテなる敬称で呼ばれている。アンテとはすなわちauntieから来ているのだそうだ。ついでにご紹介しちゃうと、今年八七才になる巽孝之のじつのお刀自様はトシさまといって、若い頃、絶世の美女で、いまも当時の確執に悩まされることがあるという。エミさまこと八二才のお妹さまは、ガール・スカウトの全国会長だったらしい。そしてこの生まれながらの貴族階級は、毎日「退屈」し、朝から晩まで、洋書を片手にスクラブルちゅうゲームをやっているノダ。
         
 世のお嬢様方は、一般に「成金のお嬢様」とそうでない「モノホンのお嬢様」とに分類されるが、モノホンのお嬢様のすごさといったらただものじゃない。三人とも聖心女子学院ご卒業で、エミさまに至っては、男爵家に嫁がれたんだぜー。骨肉まで、ご身分が染み付いらっしゃるから、そばにいるだけでこっちはつい無意識のうちに働いてしまう。同じような顔がみっつ、いっせいにこっちを見ただけで瞬間的に「はい、アイス・ティーでございますね」と甘やかしたくなるのだ。ったくもう誰だよ、身分制度がないなんていったのは。(かようにして戦後民主主義は解体されていくのであった)
 あぁ。つくづくアタシって生まれながらのロードーシャよねー。そのロードーシャが、ブラック・フェミニズムかたてにオクテイヴィア・バトラー論なんて考えていると、エミさまが「黒ちゃんて本当に黒いのよ、あー、あたくしあんなふうに生まれなくて、本当によかったわぁ」などとズケズケおっしゃるのだった。もっともエミさまは優しくて、ご自分の経営する賃貸アパートを他でさんざ断られまくった黒人にながいこと貸してあげて「けっこう親切してあげた」らしい。「だって神父さまがそうおっしゃるんですもの」うくく。
 そうして、おさんどんに勤しむ我々を訓導アンテは生かさず殺さず励ますのであった。曰く「アナタたちだってあと六十年すれば、きっと若い人達に働いて貰えてョ」
 あと六十年。二〇五〇年ころかなぁ。
 地球がまだあればねー。
 幸いなことに「アナタたち」すなわち巽孝之、まり×2(巽孝之のいとこの名前はまりという。だから「まり」なる記号は侍女を指す、とはむろんワルい冗談を得意とする巽孝之のいいぐさ)にとってこのお嬢様たちは慈悲深くて、けして性格の悪いお嬢様ではなかったことだろう。
 そればかりか、いつはてるとも知れないお嬢サマの会話とは明治大正昭和のお偉いさんのウラ話やら当時のお嬢様ファッションやら、古い留学生活の話やらでなかなかよそじゃ聞けない話が多くて、ひそかに取材させてもらったりしているのでありました。それにしても巽孝之、どうもお嬢様っぽいヤツだとおもっていたら、こういうワケだったのね。
 というわけで、手加減しない太陽のせいでちっとも涼しくならない避暑地の侍女の活躍は、今日も続いている。

(8/7/90)
主婦友の会<かものはし通信>4号(1990年9月号)

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