2000/02/17

Kotani Mari Essays:実録!マンションライフ



 都市生活者になって、三年余り。バブルもはじけて、マンション賃貸料金がだいぶ下降してきたので、思い切って、昨年(1993年)の11月には仕事場と住居を兼ねたところを探して、引越した。ちょうど、もとの仕事場から、約五百メートルくらい離れたところ。
 ここいらへんは、港区の三田という地名で、坂とお寺がたいへん多い。ちょっと小さな路地に入ると、シーンとしていて、突然墓地が出現し、アケビが繁茂し、モズがキイキイ言いながら飛び去る、そんな場所だ。
 郷土話にはあんまり興味はなかったが、たまたまある時、荒俣宏氏の『日本妖怪巡礼団』(集英社文庫)を読んでいたら、貍 囃で有名な天現寺は目と鼻の先、横溝正史『病院坂首括りの家』の病院坂(魚籃坂)はすぐそことあって、案外由緒正しい(?)怪異名所らしい。都市といっても開けてからずいぶん「歴史」があるから、案外ハイテク都市の裏側には、時折、こんな時間に取り残されたようなブラインドスポットが存在する。それが「トーキョー」のおもしろさなのだろう。
 さて、引越しも終わって、殺風景なオフィスの窓に「緑なんていいもんだよねえ」と、サボテンやら観葉植物やら飼いだし、「箱庭エコなワタシ」という幻想に浸っていたら、なんとある日、野バトがベランダに巣を作り、卵まで産んでいるではありませんか!
 もちろん、これまで(とくに朝など)ベランダをドスドスと何者かが歩きまわっている風情。物怪の存在を感じはしていたものの、わが家のベランダが野バトのデート場だったとはまるで気が付かなかった。
 冬場で、しかも乾燥機を利用する拙宅ではベランダは普段だれも使用していない。前の持ち主も留守がちだったと聞いていたからそのころから、ここいらは野バトの不法居住地だったのかもしれない。
 たまたま植物用ハイポネックスをとりに出たところ、「なんだか小枝がいっぱいおちとるのう」と、上を見上げたら、はたして冷房用の換気装置の網棚にぎっしり木の枝がつまっている。「あれっ」と思っておそるおそる除き込んだら、ドスドスドスと音がして、野バトがあわてて飛びだったのだった。後には白い大きな卵が二個。いつのまに産んだのだろう。
 この事態に動転したワタシはさっそく同居しているパートナーに通達。彼が飛んできたころには、またもやメス野バトがどっしり座り込みを再開し、巣の外に尻尾がはみだしている。
「いかがいたしましょうか」とわたしが尋ねると、「卵は目玉焼きにして、親はパイにでもしましょう」と相方。
「エーっ、中絶するんですかあ」
「優生保護法(註:1999年現在、これは「母体保護法」というけったいな名前で呼ばれている。まあ、前の呼び名もすごいものだが)の国だし…」
 野バトに人間の法律が通じるわけはないし、そうそう殺生に及ぶわけにもいかず、さりとて「フン害」は目に見えている。ちょっと考えあぐねて、翻訳家で歌人の井辻朱美さんに相談してみた。それほど遠くない過去、井辻さんが野バトの話をエッセイに書いてらしたのを覚えていたのである。
 案の定彼女は、野バトを得意としており、野バト繁殖に関して実に適格な情報をご教授くだされた。浅草にある彼女のマンションでも野バトが巣づくりし、これまで何度となく巣立っていたとのこと。驚いたのは、ハトが繁殖に関して、セキセイインコやら文鳥といったような甘やかされた家庭鳥みたいではなく「ぜんぜんナイーブじゃない」ことだ。そう、ハトは追い払っても、何度でも返って来る。しかもハトの卵は、二週間で孵り、巣立つのは一ヶ月、年に何回か生むのである。
 すべてが見たことも聞いたこともない世界なのだった。彼女の話によると、都内の公園では、現在カラス族によるハト急襲が増えており、とりわけカラスの繁殖期には、ハトの子がカラスの子のエサになったりするという。「マンション」のベランダに到来したのも、そのような危機が作用しているのであろうか。ちょうど我々が巣を調査している時、「当番」野バトがうろうろそばまできてじとっと見詰めていたけど、その向こう側、お向かいのビルにはその他の二羽野バトがこっちの様子を注視している。この「巣」にはハト族の命運がかかっているやもしれぬ。
「うーむ、できてしまったものは仕方ない」と今回はあきらめ、この都会野バトのヒナが無事育つ日を指折り数えて待っているのだが、いっぽう、目玉焼きを食べ損なったパートナーは現在、この野バトの教育に意欲を燃やしている。FAXもコンピュータ・ネットも使えないほど重要な書類を届けるのに「伝書バト」ほどいい手はないではないか。
 こんな訳で、今日も我々は、フン撤去作業の段取りを案じつつ、高度情報化社会における「伝書バト」、もとい「フロッピー鳩」の行末を真剣に見守っている。

月刊<OH! PC>掲載

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