2000/02/17

Kotani Mari Essays:読むサラダ4



「ダサイと思う」に逆らえず 買った服はタンスの肥やし

他人から、「自分はこう思う」なんて強く宣言されると、なにか意図する通りにしてあげなければいけない気持ちになる。そんなことって、ありませんか?

少女のころ、ワタシは、女の子らしい格好があまり好きではありませんでした。欲しいなと思う服は、たいてい動きやすく目立たない感じのモノばかり。女の子には女の子らしい格好をさせなくっちゃ、と夢見るウチの母は、よく言いました。

「お母さんは、そういうの、ダサイと思う」

いっけん、率直な感想を述べたことばです。でも、それは「そんな服着てないで、もっとお母さん好みの格好をしなさい」というニュアンスをふくんでいたのです。これにはさからえません。母は、目上だというだけではなく、機嫌をそこねると、非常にめんどくさいヒトですから。

そんなわけで、母の「おことば」が気になって、自然と派手なお洋服を購入することになったのです。でもーー買ったはいいけど、これが実に着たくないたぐいのものばかり。

かくして、こうしたお洋服はタンスのこやしになりました。「買ってあげても、着ないわね」と後で恨み言を言われても、生理的にダメなものはダメ。この問題点がどこにあるのか。はっきりしたのは、結婚したときです。

夫は趣味に邁進する性格でした。結婚前に心をこめてお選びしたネクタイは「趣味じゃないもーん」の一言で一蹴され、タンスのこやしになったのです。

あれ。この光景どこかで見たことが……。

そうです。オソロシイことに彼は、なんとわたしと同族だったのです。

思えば、親と子という、生まれたときから明らかに上下関係がある場合、目上の者の「こう思う」が「こうしろ」という強制力をともなうことがあることに、母も私も気がつかず、大人になってもその慣習が続いていたため、タンスのこやしは増える一方で、会話がまったくかみ合わなくなっていたのですね。

この一歩はとても小さいけれど、共同生活にとっては大きな一歩かも。

だって、気がついてみると、こういう話法は、実は趣味にとどまらず、生活全体を覆っているのですから。

先日も「のどかわいたよねえ」と夫が述べると、つい冷蔵庫に向かって歩いてしまうわが身を発見。それって、無意識に、「なにか飲むもの取ってきて」と命令形で言われたものと解釈し、妻のほうが取りに行くべきだという慣習に、ほとんど条件反射的にしたがっているわけですよね。夫は「なるほど」と納得しました。そして、ものごとは正確に述べなければ、と思ったのか、言い直してくれました。

「疲れたでしょう? じゃあ、お茶いれてよ」。


(読売新聞日曜版 2006年 6月 25日 18面に掲載)

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