アメリカを出国した作家はたくさんいる。けれどもその大半の作家はアメリカに帰って活動を続けた。そういった作家はもちろん、アメリカの作家と呼ばれてなんの不思議もないだろう。ポール・ボウルズは、しかし、アメリカ作家と呼ばれるにはあまりにも長い間アメリカを離れすぎていた。それでもなお、彼は多国籍作家と呼ばれることをいやがり、英語で作品を発表し、タンジール作家の作品を英訳し続けてきた。また、彼の四編ある長編小説のうち三編は異国におけるアメリカ人を描いている。ボウルズのCollected Stories, 1939-1976の序文において、ゴア・ヴィダルはボウルズがなぜそれほどアメリカで有名でないかという理由を次のように述べている。
Great American writers are supposed not only to live in the greatest country in the world (the United States, for those who came in late), but to write about that greatest of all human themes: The American Experience. . . . For American Academic, Bowles is still odd man out; he writes as if Moby Dick had never been written. (5-6)
ここでヴィダルは、ボウルズがアメリカ的な体験を書いていないから有名ではないと述べているのだが、果 たしてそうであろうか。ボウルズの作品にはその “The American Experience” が欠如しているのだろうか? この問いに答えるべく、今回は捕囚体験記というジャンルを通 して、ボウルズの The Sheltering Sky におけるアメリカネスについて考察を加えてみようと思う。
1.インディアン捕囚体験記
まずは捕囚体験記についての理解をここで深めたいと思う。Captivity narrative についてThe Columbia History of the American Novelには次のような説明がなされている。In their historical and cultural context, from the late seventeenth through the middle of the eighteenth century, Indian captivity narratives occupied religious, propagandistic, and sentimental spaces in early American autobiography. (31)
17世紀にイギリス人がアメリカ大陸に移住した頃、原住民であるインディアンと争いが起こったのは周知の事実であろう。その際に、インディアンが白人を捕囚するということがおこった。白人たちが自らの捕囚体験を自伝的にまとめたものが捕囚体験記である。これはただ単に捕囚の日々を書き留めているだけでなく、宗教的な色合いも濃いものであった。たとえば、つらく苦しいインディアン社会での生活も聖書からの引用を心の支えに耐え抜いたとか、捕囚から解放されたことを神に感謝するとか、一種の宗教精神的告白の自叙伝でもあったのである。
この捕囚体験記に代表としては、メアリ・ホワイト・ローランドソンのThe Narrative of the Captivity and Restoration of Mrs. Rowlandson があげられる。これはマサチューセッツ州ランカスターにすむメアリ・ローランドソンという牧師の妻が、1676年 2月 10日にインディアンの襲撃を受けた際にインディアンの捕虜になり、同じ年の 5月に解放されるまでの体験記である。エモリー・エリオット編の Prentice Hall Anthology of American Literature の説明によると、ローランドソンは自分の体験と聖書の中に言葉との一致をみつけようとしており、聖書からの引用は実に 65回以上に上っているという(168)。彼女がインディアン社会から助け出された後に、宗教的、精神的に成長していることが窺われる記述からは、initiation storyとしての要素も見られる。
ただしこの捕囚体験記はまだ確立されたジャンルとはみなされてはいない。これについて巽孝之氏は「マリアの消えた荒野」において、次のように述べている。
もちろん、これ(捕囚体験記)を文学ジャンルと見做す文学史は、いまなお多くはない。だが、文学ジャンルと見做されていこなかったからこそ、捕囚体験記はアメリカ的無意識の奥深くを構造化してきたとは考えられないだろうか。むしろアメリカ的無意識に沈潜して、生息しつづける捕囚体験記の物語学が、時としてアメリカ的現実の行く末を大きく左右しているとは考えられないだろうか。(196)
捕囚体験記がアメリカの伝統的な文学ジャンルであり、アメリカ人の無意識に根付いているものだとしたら、この捕囚体験記はアメリカ的なナラティヴの形式だといえるのではないか。
これから扱うThe Sheltering Sky もこの伝統の流れを汲んでいるのではないかというのが、私の考えである。ただし、若干の違いは見られよう。もしも捕囚体験記を精神的、宗教的なナラティヴというのなら、厳密な意味では The Sheltering Sky は捕囚体験記ではないからだ。しかし、確実に捕囚体験記的な要素は入っていると考えても差し支えはないと思う。イギリス本国を追われた人々が異国アメリカ大陸に宗教的自由を求めてやって来たように、The Sheltering Sky の登場人物キットとポートはまさに tourist ではなく traveller としてself をもとめて、あるいは失われつつある愛を求めて異国アフリカ大陸にやって来たのである。そして、アメリカに来たイギリス人たちが原住民であったインディアンに捕らわれるように、キットはキャラバンに捕らわれてしまう。キットの場合は自分からキャラバンに入ってしまうので、そのきっかけこそ違うものの、最終的にはキャラバンの隊長であるベルカシムの家に監禁されることとなるので、白人の異民族による捕囚は描かれている。以上のことから、ボウルズはアメリカ的な捕囚体験記を異国の地で再現したと考えられるだろう。
ここで The Sheltering Sky がかかれた当時のアメリカの状況について説明することにしよう。1940年代という時代は、第二次世界大戦があったほかにはさほど目立ったこともないように見えてしまうのだが、政治的、社会的にアメリカが保守かを辿る発端となる重要な時代である。
1947年 3月に当時のトルーマン大統領は、ギリシアとトルコに戦後の復興のための援助を決め、トルーマン・ドクトリンを発表した。6月にはジョージ・マーシャル国務長官がソ連を含めたヨーロッパ諸国に対して復興計画の援助を発表し、いわゆるマーシャル・プランが発動された。これらの政策の根本に西ヨーロッパ諸国をソ連の驚異から守ろうという大義名分があったことは言うまでもないだろう。これが「封じ込め政策」と呼ばれるものであり、つまりは共産主義を囲い込もうとする資本主義アメリカの対策であったのだ。
これらの政策によりアメリカでは体制化(conformity)が始まり、これがすなわち反共思想(マッカーシイズム)となっていった。これによって戦後から50年代にかけて反共主義が全米を覆い、House of Un-American Activity Committee なるものが組織され、非アメリカ的なものを排除する時代となっていく。これにかんして The Columbia History of the American Novel では次のように説明している。
The climate of betrayal and recrimination that characterized the HUAC (House of Un-American Activities Committee) hearings, and more covertly discriminatory practice like blacklisting, reinforced the general paranoia of the Cold War and the age's retreat into a politics of naive pro-Americanism. (486 emphasis added)
この時代は、アメリカ的なもの、Americanism そのものが必要とされていた時代であったといえるだろう。
それと同時に、社会の組織化、巨大化がおこるようになり、人々が疎外感を感じるようになるのもこの時代であった。一言でこの時代の特徴を言い表すには「断片化(fragmentation)」という表現が有用だろう。これは自分が自分であるという確固たるidentityがなくなってしまったことを示す。全体的な役割ではなく、小さく細分化された役割しか与えられないことからくる没個性に人々は悩み始めていた。こういった背景もあって、このころのアメリカ文学ではselfに関する主題が散見されるようになる。Literary History of the United State ではこの時代の文学は次のように説明されている。
The Response of American literature to postwar reality took bitter account of cultural determinism or repression;it drew its power from the inner turbulence of the individual. This is why it is proper to say that the new literature was primarily a literature of the Self. (1413)
社会の組織化によって、文学にも個人の不安が反映されるようになったことは 1940年代から 50年代にかけてのアメリカ文学のひとつの特徴であることがわかる。
ボウルズの The Sheltering Sky は 1949年発表となっており、ちょうどこのころのアメリカ社会を反映しているところが見受けられる。確かにボウルズは 1967年以降はアメリカには長期滞在しておらず、アメリカ社会からは無関係と思われがちであるが、The Sheltering Sky が執筆された当時はまだアメリカと他国を行き来していた頃であった。四方田犬彦氏作成による年譜を参考にすれば、ボウルズが The Sheltering Sky の着想を得たのは 1947年にニューヨークの五番街にいたときであったという。ここからもわかるとおり、この作品においてアメリカの社会的な背景を無視することはできないと思う。そしてこうした見地に立つならば、The Sheltering Sky はアメリカ社会が求める Americaness を反映した小説として読み直すことができる。
The Sheltering Skyに出てくる二人の登場人物、キットとポートはそれぞれ作家と作曲家という設定になっている。この二人は結婚してから10年になるが、彼らの間にはすれ違いがあり関係は冷え切っている。おそらくこの二人はそうした状況を打開するべくアフリカに来たのであるが、とくに “he did not think of himself as a tourist; he was a traveller” (13) というさりげないポートの描写 は、このたびがかなりの覚悟の上できたものであることを暗示する。ポートは自らを “traveller”、つまりこの場合旅行者というよりも放浪者に近い意味で定義しており、この旅がただの観光旅行ではないということがわかる。お互いの絆を求めるために異国へと旅をするふたりは、逆説的に Americaness を求める当時のアメリカの文学的主題を反映しており、キットとポートにとってこの旅は Self を求めるため、つまり自分を理解するための旅となるのである。前述したように Self の探求は当時のアメリカ文学でも主流だったテーマであり、アメリカニズムへの希求がキットとポートのモロッコ訪問に現れているといえよう。
心がすれ違っているキットとポートだが、作品中このふたりは共通 して人生を「生きる」ことに対して恐怖心を持っていることがポートの次のようなセリフに表れている。
"I think we're afraid of the same thing. And for the same reason. We've never managed, either one of us, to get all the way into life. We're hanging on to the outside for all we're worth, convinced we're going to fall off at the next bump. Isn't that true?" (89)
ここでキットとポートが抱く不安とは、やはり Self の喪失、つまり identity の喪失ということではないだろうか。キットとポートは互いを理解することによって互いの identity を確立させるはずだった。お互いが同じものをおそれているからこそ、他者から自らの identity を保証されることによって、自分の Self を定義しようということである。だが果 たして彼らは自らの identity を見つけだせたのであろうか。
物語を追うならば、ポートはキットとの心の交流をはかれないままチフスにかかり、そのうえパスポートをなくしてしまうという災難にみまわれる。このパスポートの紛失は決定的な打撃をポートに与えることになる。異国の地で自分が自分であるという証明を求めるときに、他者からの保証が必要となる。キットがその保証を与えてくれないいま、その証明を象徴するのがアメリカ政府が発行するパスポートであった。そのパスポートをなくすことがSelfの探求に大きな打撃を与えるであろうことは想像に難くない。失われたパスポートを見つけた彼らの旅行仲間のターナーが、ポートの元にそれを届けてくれることになっていたのだが、キットと浮気をしたターナーを避けたいがためにポートはパスポートを受け取らないまま旅行を続け、自らSelfを失う道を選んでしまうのである。アメリカ人であることを捨てざるをえなくなったポートは、アフリカ大陸を奥へ奥へと進んでいき、次第にアメリカ人としての identity を喪失してしまう。
移動を重ねるポートはキットとの関係も結局は修復しないままである。ついにポートが病の床についたとき、キットは未だポートの言葉を信用しようとはしないのだ。
"Kit, Kit. I'm afraid, but it's not only that. Kit! All these years I've been living for you. I didn't know, and now I do. I do know it! But now you're going away." He [Port] tried to roll over and lie on the top of her arm; he clutched her hand always tighter. . . . [Kit thought] "He says it's more that just being afraid. But it isn't. He never lived for me. Never. Never." (193-94 emphasis added)
ポートはキットとの心の交流もはかれず、アメリカ人としての identity をも失ったまま死んでいくが、ここでポートはサハラ砂漠にとらえられてしまったと考えることができるだろう。砂嵐によって要塞に閉じこめられ、また死によってサハラ砂漠に取り残されることになったポートは、パスポートもなく identity を失ったまま、サハラ砂漠に永遠に捕らわれてしまったのである。
ポートの死後、小説の焦点はキット一人になっていくが、キットはキャラバンを見かけて自ら一緒に連れて行ってくれるように頼んでしまう。このキャラバンではキットは言葉も通 じず、英語という母国語をなくすのだが、作家であったはずのキットが母国語をうしなうこともまた、アメリカ人としての identity を失うことにつながっていく。映画で印象的だったのが、キャラバン隊長のベルカシムの家になかば軟禁されているあいだに、自分が書きためたものを切り刻み、部屋の飾りにしてしまうというシーンであった。自己を映す作品を自らの手で壊していく姿は、その後狂気の淵をさまようキットの姿と重なるものがある。
また彼女はベルカシムの愛人となるのだが、キャラバンの移動中、ベルカシムとの性交が終わるとつねにもう一人男がやってきて、彼女と性交をする。どうやらベルカシムとその男との間になにかしら協定があるようなのであるが、ここからわかるのは、キットが一人の人間ではなくキャラバンが運ぶ交換可能な商品としかみられていないということである。つまりここでキットは女として、人間として、そしてなによりアメリカ人としての尊厳が失われてしまったということなのである。さらに彼女はベルカシムに男装を強要されるのだが、ここでは彼女のジェンダーが崩壊していくことを物語っているのではないだろうか。
キットはベルカシムの家の一室に閉じこめられ、次第に正気を失っていく。やっとのことで脱走した彼女は、文字通 りなにもかも失ってしまったのである。
"I have no luggage" said Mrs. Moresby [Kit], looking at her [Ms. Ferry].
"You haven't?" she did not what else to say.
"Everything's lost," said Mrs. Moresby in a low voice. (282 emphases original)
これはキットが救出された後、キットが身元引受人となったアメリカ領事館のフェリーという女性と交わす会話である。キットが低い声でつぶやく「すべて失ってしまった」というセリフは、荷物や鞄だけでなく、精神やジェンダー、自己などをもすべて失ったという意味にも取れる。
こでまで、ポートは砂漠に、キットはキャラバン(とそれを統率するベルカシム)にそれぞれ捕らわれたのだが、二人とももっと大きな存在に捕らわれている。それが空ではないだろうか。この小説の The Sheltering Sky というタイトルからすると本来、空は何かから守ってくれるものという意味だが、この作品中に出てくる空に関する文章からは、protect すると同時にふたりを捕囚するものという印象を受ける。“The entire sky was metal dome grown white with heat” (247); “But how long could he stay there like that, suspended between sky and sea?” (269); “Before her eyes was the violent blue sky ? nothing else” (280) といった記述に留意するならば、空はふたりを守る存在であるというよりも、捕囚という行為をも表しているのではないだろうか。タンジールに戻ったキットが、フェリーが目を離したすきに逃げだし、ふたたび異国の街の奥に消えていってしまうラストシーンからも、彼女がまだアフリカの空から逃れていないことがわかるのである。アフリカの空の下、彼らは取り戻すべき Americaness を失ったばかりか、二度と祖国には戻れない traveller へと変貌を遂げる。
17-18世紀の捕囚体験記では、アメリカン・ピューリタン特有の自己の宗教的、精神的発見をするが、その補修体験記の伝統に位 置づけられる The Sheltering Sky ではポートとキットはアメリカ人としての喪失を描いているというパラドックスが存在する。しかしながら、ここで描かれる Americaness はただ崩壊してなくなってしまうというほどの脆弱なものではない。というのも、この物語の舞台がアフリカであり、いいかえるならばアメリカ以外の場所でアメリカ人が苦悩し、アメリカ人以外の人々に苦しめられている様を描いている。つまりアメリカ人の identity の問題や Americaness を求める問題はすでに本国におさまっておらず、アフリカにまで進出してきたといえるのである。しかも、アメリカ文学特有の捕囚体験記というジャンルを利用している。これはアメリカネスのアフリカ進出と呼べるものではないだろうか。
第二次世界大戦後のアメリカの状況はすでに述べたとおりだが、「封じ込め政策」は新たな帝国主義ともいわれた。それはまさにソ連を捕囚してしまう作戦だった。そしてこの政策は結局 60年代のケネディの時代まで続く。そのような「封じ込め政策」と時代背景を共有した The Sheltering Sky は、アメリカネスの崩壊と見せかけて、実はアメリカの文化的・政治的進出を、紙の上という合法の場で再現した現代の捕囚体験記であったのである。
( 1992年 10月頃作成)
参考文献
- Bowles, Paul. The Sheltering Sky. 1949. London: Paladin, 1990.
- Elliot, Emory, et al., eds. Columbia Literary History of the United States. New York: Columbia UP, 1988.
- ---, eds. American Literatture: A Prentice Hall Anthology. Englewood Cliffs: Prentice Hall, 1991.
- McKay, Nellie. "Autobiography and the Early Novel." The Columbia History of the American Novel. Ed. Emory Elliot, et al. New York: Columbia UP, 1991.
- Olson, Steven E. "Alien Terrain: Paul Bowles's Filial Landscapes." Twentieth Century Literature. 32.3-4 (1986): 335-49.
- Vidal, Gore. Introduction. Collected Stories, 1939-1976. By Paul Bowles. Santa Rosa: Black Sparrow, 1991.
- 関西アメリカ史研究会編著『アメリカの歴史(下)−−統合を求めて』京都:柳原書店、1982年。
- 清水博『アメリカ史(増補改訂版)』東京:山川出版、1987年。
- 巽孝之「マリアの消えた荒野−−メアリ・ホワイト・ローランドソンの捕囚体験記を読む」『ユリイカ』1992年3月号、195-215頁。
- --- 「ニュー・アメリカニズム序説」『現代思想』1992年 10月号、291-305頁。
- 四方田犬彦監修『特装版 ポール・ボウルズ』東京:思潮社、1990年。
■1992年当時の巽先生のコメント
大変面白い着眼点であるが、細部においてもっと徹底的な傍証が必要。Captivity Narrative が植民地時代以来の各時代のアメリカ的無意識へ継承されていったことについて、なんらかの文学史的裏付けが欲しいと思う。っていうか、恥ずかしいですね。文章も稚拙なら論の構成も稚拙です。でもまあ、アイディアは悪くないかな、なんて。
これは私が巽ゼミに入ってから一番最初に出したエッセイです。夏合宿の発表の後でした。私は 1991年の夏から 1992年の夏までアメリカに留学していたので、帰国後に本格的にゼミに参加した感じがありました。アメリカに巽先生が「マリアが消えた荒野」の掲載された『ユリイカ』を送って下さり、またタイムリーに留学先でも捕囚体験記について勉強したところだったので、このような発想になったのだと思います。面白いトピックがいくつか出ていますが、それがうまく絡み合っていないのが問題ですね。結論も弱いし。若書き~って感じですけど、あえてあんまり書き直しませんでした。しっかし、このレポートの一部は後に(このあいだの 3月に提出した)博士論文の一部に組み込まれることになるわけですから、わりと息が長い論旨と言えるのかな?
ボウルズは惜しくも昨年なくなってしまいましたが、そのとき『現代詩手帖』( 2000年 1月号)に追悼文を書かせていただく機会をあたえてもらいました。私のボウルズ研究もこの稚拙なエッセイから始まったかと思うと、ちょっと感慨深いです。な~んて。
<大串尚代(おおぐし ひさよ)>慶應義塾大学博士課程を経て、現在本塾文学部英米文学専攻助手。巽ゼミには 2期生として 91年 4月~ 94年 3月まで在籍。