2025/04/04

巽先生と宇沢先生編集による『<21世紀版>身体批評大全』が新曜社より刊行されました!

巽先生と宇沢先生編集による『<21世紀版>身体批評大全』が新曜社より刊行されました!本書は、 2017年〜2018年に開講された慶應義塾大学文学部設置総合講座「メディアとしての身体」を基盤とし、八つのセクション(国家・セクシュアリティ・演劇・場所・人間科学・祝祭・エスニシティ・人文学)に分類された総勢 42本の論考により、身体批評のフロンティアが探究されています。

一つ目の「国家」セクションに収録された巽先生による「帝国の身体——ストラダヌス、ガスト、バルトルディ」は、人が動かされるのはナラティブのみによってではなく、それに伴うメディア的身体が与えられたときであることを、ストラダヌス、ガスト、バルトルディによって生成されたアメリカという女性の身体を通じて浮彫にし、ナショナリズムの「蠱惑と陥穽」を照射します。次の「セクシュアリティ」セクションに収録された小谷先生の「コスプレする身体」は、「コスプレ」の本国上陸およびその受容の流れを概観しながら、そこに孕まれる(理想と相容れない現実としての)「肉体」の問題を指摘しつつ、コスプレが「見る」ものから「演じる」もの、近年では「撮影し加工する」ものへと変容してきたことを浮彫にされます。

続く「演劇」セクションに収録されている千木良悠子さんによる「居る身体、居ない身体」は、幼少期のエピソードから筆を起こしつつ、「形式」としての身体表現(挨拶や演技)の重要性を詳細に明らかにしていきます。「エスニシティ」セクションに収録された有光道生先生の「ディス・イズ・アメリカ——「黒い身体」というメディアの可視性と不可視性について」は、DA PUMPの「U.S.A.」が描く素朴な「アメリカ」の問題点と、チャイルディッシュ・ガンビーノの「ディス・イズ・アメリカ」の描く批判的な「アメリカ」を検討し、歴史的に多様に生成されてきたメディアとしての「黒い身体」をあらためて正当に理解する必要があることを指摘されます。

最後の「人文学」セクションには、加藤有佳織先生による「錯綜するカッパの子——『カッパの飼い方』と西脇順三郎」と宇沢美子先生による「幻想か告発か——一八世紀拷問機械 The Air Loomの謎」が収録されています。前者では、加藤先生がライフワークにされているカッパをめぐり、現代の漫画『カッパの飼い方』に出てくるどこか人に近しい存在としてのカッパと、西脇順三郎の詩作品にふと登場するカッパを参照し、それが人の時間を人外の時間(忘却されつつある過去やまだ来ていない時間)に接続させていることを明らかにされます。最後の宇沢先生の論考は、英国最古の王立精神病院・通称ベドラムで働いていたジョン・ハスラムの『狂気の実例』で取り上げられた、英国の精神医学史上初の個人症例であるマシューズの妄想世界の「狂気」とそこで語られた拷問機械(空気織機 the Air Loom)を詳述することで、啓蒙の時代である一八世紀が「抱え込む闇の寓意、百科事典という体系妄想の戯画」を浮彫にされます。

ご関心のある方は、ぜひご一読ください!




『<21世紀版>身体批評大全』
巽孝之、宇沢先生編集
四六、616頁
新曜社、2025年 3月 3日
定価:3,960円(本体3,600円+税)
ISBN: 9784788518667

【目次】
はじめに 『〈二一世紀版〉身体批評大全』への招待(巽孝之+宇沢美子)

序・二一世紀身体批評事始(巽孝之)

I: 国家
法における身体――身体は何を媒介するのか?(大村敦志)
帝政末期ロシアのスポーツと身体(巽 由樹子)
近世イスタンブルにおける「王の祝祭」(藤木健二)
最後の会津藩主・松平容保の晩年(松平保久)
集団的示威行動と民主主義(渡邉 太)
帝国の身体 ――ストラダヌス、ガスト、バルトルディ(巽孝之)

II: セクシャリティ
モードと政治的身体 ――色彩とファシズムと計測をめぐって(長澤均)
新・独身者機械論序説(新島進)
連合赤軍事件と女性の身体 ――桐野夏生『夜の谷を行く』を読む(小平麻衣子)
トランスジェンダー学生のアドミッションと女子大学のミッション――日米の事例を中心に(高橋裕子)
コスプレする身体(小谷真理)
Pan-Exoticaのエロティック・アート――拡張するメディアとしての身体(川合健一)

III: 演劇
居る身体、居ない身体(千木良悠子)
舞台芸術活動における私のヴィジョン(宇吹萌)
インタラクティブに創造する身体――応用演劇の立場から(佐木英子)
メディアとしての受容身体――主体のずれた(自己)認識と取り残された身体について(平田栄一朗)

IV: 場所
身体に聞く(島地保武)
〈舞台〉は、時空を超えた待ち合わせの場所 ――作品『ありか』をめぐって(島地保武×環ROY)

V: 人間科学
ライフサイクルの精神医療化と脳神経科学的自己――認知症の人類学(北中淳子)
剰余としての身体 ――インドにおける代理出産から(松尾瑞穂)
メディアとしての身体的な障害――すべての人に起こりうる未来(上山健司)
加齢による身体変化と意識変化(今井浩)
美男美女論は、摂理か、差別か、羨望か?(川畑秀明)
チンパンジーに学ぶ眠りの身体(座馬耕一郎)

VI: 祝祭
感情というメディアで、知は祝祭化する(岡原正幸)
ロック、そのメディアにおける身体性の歴史(サエキけんぞう)
サンタナの甘い音と彼女の面影(三室毅彦)
スポーツは人生に役立つか?(ジョー小泉)
舞踏という身体言語 ――からだとことばの詩学(林浩平)
踊りとアール・ブリュットについての断章 ――身体・自己・狂いのイメージ(宮坂敬造)

VII: エスニシティ
戦争と平和をもたらす三つの胃 ――東アフリカ牧畜社会の身体、他者、家畜(佐川徹)
メディアとしての芸能の身体――バリ島の仮面舞踊劇を例に(吉田ゆか子)
牧畜民サンブルのモランのメディアとしての身体(中村香子)
信仰と装い――イスラームにおける身体と服装(野中葉)
神をめぐる体験――現代イスラーム運動と宗教的な意識、知識、身体感覚(後藤絵美)
 ディス・イズ・アメリカ――「黒い身体」というメディアの可視性と不可視性について(有光道生)

VIII: 人文学
 世界と私たちとを媒介する身体(柏端達也)
 『ガリヴァー旅行記』の身体性と言語表現(原田範行)
ゲーテ形態学と整体(粂川麻里生)
姿を隠す兼好法師(小川剛生)
錯綜するカッパの子 ――『カッパの飼い方』と西脇順三郎(加藤有佳織)
幻想か告発か――一八世紀拷問機械 The Air Loomの謎(宇沢美子)

おわりに(巽 孝之+宇沢美子)

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