2022/08/18

09/02: 世界文学・語圏横断ネットワーク第 15回研究集会のお知らせ

9月 2日(金)に、巽先生が発起人の一人としてたずさわっている世界文学・語圏横断ネットワーク第 15回研究集会が下記のとおりオンラインにて開催されます。今回のパネルは、「国外亡命と国内亡命:ドイツ語圏の作家に見る亡命の諸相」です。ご関心のある方は、ぜひふるってご来聴ください!

世界文学・語圏横断ネットワーク Cross-Lingual Network
第 15回研究集会
日時:2022年 9月 2日(金)14:00-18:00
※ Zoom使用オンライン開催
※どなたでも聴講頂けます。お申し込みにつきましては、世界文学・語圏横断ネットワーク公式 Facebookをご参照ください。

【プログラム】
第1部 個人発表 司会:早川敦子(津田塾大学)
① 個人発表1 14:10-14:40
栗山雄佑(立命館大学)「〈闘争〉を求められる檻の中で――又吉栄喜「カーニバル闘牛大会」、目取真俊「軍鶏」論」/コメンテーター:黒沢祐人(東京外国語大学)

② 個人発表2 14:40-15:10
邢 亜南(東京大学)「変身の視点から読む多和田葉子の『うろこもち』」/コメンテーター:岩川ありさ(法政大学)

③ 個人発表3 15:10-15:40
豊島美波(チェコ国立カレル大学)「ヴァーツラフ・ハヴェルの戯曲『集中困難』と『ラルゴ・デゾラート』におけるリズム」/コメンテーター:大橋洋一(東京大学名誉教授)

第2部 パネル 15:50-17:50
「国外亡命と国内亡命:ドイツ語圏の作家に見る亡命の諸相」
  • 司会:國重 裕
  • 発表者:杉山有紀子(慶應大学)「消された語り手——亡命者の物語としてのツヴァイク『チェス奇譚』とその映画化をめぐって」
  • 武田良材(京都大学ほか)「子連れの亡命生活——イルムガルト・コインの場合」
  • 國重 裕(龍谷大学)「アンナ・ゼーガースのメキシコ」
  • 討論者:杵渕博樹(東京女子大学)

【パネル要旨】
ドイツ語作家の亡命といえば、古くはスタール夫人やハイネ(そしてマルクス)の名前がすぐに思い浮かぶが、本シンポジウムでは「亡命」の意味合いがかなり変わった二十世紀の亡命に焦点を絞る。ドイツ語圏では、ナチスからの政治亡命を強いられた作家を多く輩出したことは周知のとおりである。同じドイツ語圏からの亡命といっても、ユダヤ人であるからという理由で心ならずも故郷を去ることを余儀なくされた者もいれば、政治的信条から生命の危機を感じ、故国を脱出した者もいた。また、国外へ逃亡することなくドイツにとどまり、可能な範囲で抵抗を試みた「内的亡命作家」も存在する。

本発表では、こうした多様なあり方をしたドイツ語圏の作家の亡命の諸相を、彼女らの作品から炙り出すことを目的としている。上に挙げた最初の区分にあたるのが、ユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイクであり、二番目に該当するのがユダヤ系で共産党員だったアンナ・ゼーガースであり、頽廃芸術の烙印を押されたイルムガルト・コインだった。

シュテファン・ツヴァイクの遺作となった『チェス奇譚』Schachnovelle (1942) は、ゲシュタポの精神的拷問を受けた人物とチェスをめぐる極限の心理を描き、彼の最高傑作のひとつとして知られる小説で、1960年と2021年の二度にわたって映画化もされている。その映画も含め、解釈の主眼は多くの場合ゲシュタポの拷問にまつわる心理ドラマとしての側面に置かれてきた。しかし主人公B博士、そしてその運命を聞き知ることになる一人称の語り手はオーストリアからの亡命者であり、さらにB博士と対照的なチェスの天才で、時にナチスの暗喩とも解釈されるチェントヴィッチも、旧オーストリア=ハンガリー帝国領の出身者に設定されている。特に、いずれの映画においても消去されている語り手は本来、『チェス奇譚』の亡命文学としての性質を評価するためにとりわけ重要であり、ヨーロッパを遠く離れた船上で繰り広げられる物語の全体に散りばめられた「故郷喪失」のモティーフを適切に解釈するための鍵となる存在である。杉山有紀子は、亡命以前にオーストリアあるいは旧帝国に対してさほどの執着を持っていなかったツヴァイクが、ナチスによるオーストリア併合後に初めてオーストリア人としての自覚を持ってその最期を書き残そうとした記録の一つが『チェス奇譚』であることを、チェスという「普遍的なゲーム」のモティーフの意味付けと共に論じる。

さて、亡命者たちの一部はオステンドに集ったが、そこでツヴァイクはヨーゼフ・ロートの服を仕立ててやったり、兄貴分として面倒を見る。ツヴァイクの去ったあとロートはイルムガルト・コインを連れて、親族がいて、大学に籍を置いたこともあるレンベルク(リヴィウ)へ金策に行く。そんなところをコインが子連れの亡命文士を主人公にして描いている。

武田良材は、オランダの出版社との契約を頼りにナチス・ドイツを出たイルムガルト・コインの『小さなコスモポリタン』Irmgard Keun “Kind aller Länder” (1938) に描かれた亡命生活を紹介する。無邪気な子供の視点から描かれたこの長篇は、亡命、リヴィウ、子連れでの放浪、父に放置される母娘、亡命下での妊娠出産を扱い、いまのウクライナの人たちに想いを馳せるのにもよい小説である。コインの元夫は東独で非ナチ化担当委員みたいなものになったことも申し添えておこう。

ゼーガースはナチスの政権奪取からまもなくフランスへと移住し(ここで傑作『第七の十字架』が書き上げられる)、さらに第二次世界大戦勃発後には、マルセイユからマルチニック、ドミニカ、アメリカを経てメキシコへと亡命した。この地で彼女は、祖国の動静、とくに独ソ戦の戦況を睨みながら、自身の体験に基づいた長篇『トランジット』Transit (1941) や短篇「死んだ少女たちの遠足」(1943) を書き上げる。これらの作品では、「反ナチ」が主要なテーマであり、亡命の地メキシコの影は薄い。しかし、戦争終結後ドイツへと帰還したゼーガースは、硬直した社会主義体制、そこで繰り広げられた権力闘争に失望し、女性といった「弱いものの持つ力」に焦点を当てた作品を書く。そのうちにメキシコを舞台とした短篇「クリサンタ」、中篇「ほんとうの青」がある。ここでのメキシコの描かれ方は、メキシコが前景に出ていることは言うに及ばず、『トランジット』や「死んだ少女たちの遠足」のメキシコ表象とはかなり異なる。ここにはDDRへの間接的な批判を読み取ることができる。公式にはゼーガースはDDRの作家同盟の代表を務め、ビーアマン事件の際も、反対署名を拒否したことが知られているが、息子ピエールの証言からそれが苦渋の決断だったことがわかる。国重裕の発表では、「ゼーガースのメキシコ」からドイツ語作家の国外亡命・国内亡命を論じる。