2021/03/14

卒論講評:西山祥( 2020年度:第 30期生)


◆◆◆ 2020年度優秀卒論講評 ◆◆◆

1991年に巽ゼミ生一期生を送り出してから 30年間、指導した卒論は総計 321本にのぼる。1996年にゼミ年刊誌 Panic Americanaを創刊してからは、毎年の研究発表会代表による卒論は同誌の「誌上講義」という形で活字化しており、近くそのバックナンバー全巻が電子版として読めるようになるので是非ともご覧いただきたいが、必ずしも研究発表会代表によらないものでも優秀な卒論があった場合は迷うことなく、ここ CPAで公表してきた。

けれども、 2020年度の場合は、すでに昨年 11月に研究発表会代表に選ばれ、Panic Americana  25号(ハードコピー版最終号)に部分が掲載されている西山祥(にしやま・しょう)君の卒論 The Immortality of the Original Author in Adaptation: From Nathaniel Hawthorne to Steven Spielbergが、やはり CPAに選抜するに当たっても、文章、内容、形式全てにわたり抜群と思うので、ここにその全文を公開する。

西山君のコンセプトそのものは、極めて明快だ。卒論報告書の梗概に以下のように記されている通りである。「リンダ・ハッチオンの A Theory of Adaptation (2013) に基づき、近年のアダプテーション研究が原作者をアダプテーションの構造の外部に位置付けている点を指摘したうえで、原作者とは何者なのか考察する」。

これだけ読めば、西山君の中心的対象がアメリカ文学史上の作家でもなければ作品でもないことに驚く向きも多いだろう。彼女が一次文献に挙げているのは、ここ半世紀近く、構造主義以後の文学研究 / 文化研究を牽引してきたパロディ理論、メタフィクション理論やインターテクスチュアリティ理論の権威にしてトロント大学教授、かつ北米を代表する巨大学会 MLA(近現代語学文学会)会長をも務めたリンダ・ハッチオンの『アダプテーション理論』(ラウトリッジ、初版 2006年;新たな著者前書きとシオバーン・オフリンによる書き下ろしエピローグを含む増補第二版が 2013年)なのである。
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アダプテーションとは、昨今の我が国でも本塾大学院で博士号を取得した明治大学教授・波戸岡景太氏の『映画原作派のためのアダプテーション入門 :フィッツジェラルドからピンチョンまで 』(彩流社、 2017年)や『映画ノベライゼーションの世界: スクリーンから小説へ』(小鳥遊書房、 2020年)などで広く知られているだろう。ここ十年ほどの国際会議においても、数多いセッションの一割ほどは文学的名作のアダプテーション研究のセッションが占めるようになっている。一番馴染み深い訳語は演劇や映画のクレジットでは不可欠な「翻案」「脚色」。それは長く小説と演劇や映画を橋渡しする手法として、原作よりは劣るもの、副次的なものと捉えられてきた。翻訳家や脚本家はもてはやされることが多いが、翻案家、脚色家が一世を風靡したという噂は、寡聞にして知らない。しかし、ポストモダニズム思想を地で行くハッチオンは旧来周縁的にみなされてきたアダプテーションをそれ自体自律的なジャンルを成すものとして評価する。人気小説が何度もアダプテーションの対象になる現象をリチャード・ドーキンスの文化的遺伝子の理論を援用することで、文学史や文化史の進化に寄与するものと考えるのだ。
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西山君の卒論は、まさにハッチオン理論への挑戦である。もっとも、大急ぎで付け加えなければならないが、それでは、この卒論がガチガチの理論的研究なのかといえば、決してそんなことはない。目次を一瞥すればわかるように、彼女は第一章ではアメリカン・ルネッサンスを代表するナサニエル・ホーソーンの名作『緋文字』を熟読した上で、その最新のアダプテーションの一つであるエマ・ストーン主演映画 Easy A(邦題『小悪魔はなぜモテる?!』、 2010年)を読み解き、第二章ではアーネスト・クラインが洋の東西を問わず膨大なアニメやマンガ、ゲームの人気キャラクターを投入した オタク小説『ゲームウォーズ』(2010年)を、自身がオマージュの対象になっているスティーヴン・スピルバーグ自身がいかに映画『レディ・プレイヤー 1』( 2018年)として完成させたかを解析し、さらに第三章では、ディズニーランド・アトラクションの定番である「スプラッシュ・マウンテン」とそれを語るには欠かせないにも関わらず人種問題によって現在では公開が規制されているミュージカル映画「南部の唄」(1946年)の関連を絶妙に解きほぐしてみせる。「南部の唄」の基盤には、これもアメリカ文学史では定番のジョエル・チャンドラー・ハリスによる黒人民話集 Uncle Remus: His Songs and Sayings(邦題『リーマスじいやの物語――アメリカ黒人民話集』、1881年)があり、それは黒人英語の巧みな収集成果としても高く評価されているが、動物寓話の形式を採っているため、今日では人種差別の誹りを免れない。しかし、そんな文脈を踏まえてこの作品を再検討すれば、テーマパーク自体もアダプテーション研究の対象となりうること、 アダプテーションの自主規制は21世紀における Black Lives Matter運動とも無縁ではないことが明らかになるだろう。そして、一番肝心なのは、西山君は自身が選んだどの作品にも一人のファンとして入れ込んでおり、どの章でも実に楽しそうに語っていることである。

なるほど、ポストモダン理論においてはロラン・バルトの「作者の死」(1967年)以降、読者反応論が隆盛を極め、それこそが昨今のアダプテーション理論を準備した。けれども、「作者は本当に死んだのか?」と西山君はハッチオンに問いかけ、それによってアダプテーション研究に新たなる一ページを付け加えた。

文学研究に映画研究を接続する卒論は数多い。しかし、それが安易な動機によるものでない限り、今後はこの卒論で西山君が達成したアダプテーション理論の新境地が回避されることはないものと、私は確信する。

慶應義塾大学文学部教授
巽 孝之