2012/12/01

2010年度20期生:松宮静


Where is the Vagabonds’ Home?: Home as the Homeland


Jhumpa Lahiri
  • 1967年ロンドン生まれ。両親はともにカルカッタ出身のベンガル人。幼少時に渡米しアメリカ、ロードアイランド州で育つ。大学卒業後作家デビューし、99年 Interpreter of Maladies でO・ヘンリー賞、A Temporary Matter で PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞などを受賞。2001年に結婚し現在は夫と息子と共にブルックリンに在住。

Introduction
本論文では、ジュンパ・ラヒリの作品『その名にちなんで』(原題 The Namesake)において、登場人物のゴーゴリが距離を置き続けるものの、最終的には帰ることとなった両親の暮らす実家が、ゴーゴリと彼の両親、とりわけ、ゴーゴリについで焦点を当てられて描かれる、母アシマにとって、どのような存在であったのか、短篇「セン夫人の家」(原題“Mrs. Sen’s”)との比較を通し、分析する。

まずは、『その名にちなんで』と「セン夫人の家」のシノプシスを確認しよう。『その名にちなんで』は、インドで列車事故に遭った学生時代の父アショケの命を救うきっかけとなった小説『外套』( The Overcoat)の作者ニコライ・ゴーゴリにちなんで「ゴーゴリ(“Gogol”)」と名付けられた南アジア系 2世の青年と、その家族の人生を描いた物語である。主人公ゴーゴリを中心に、時折その母アシマや父アショケ、妻モウシュミに視点を移すことで様々な観点から移民の姿が描かれる。家族や親しい人たちの間でのみ使われる愛称(ダクナム)と正式名(バロナム)2つの名前を持つ両親の祖国インドの風習に倣って、主人公は父の思いつきにより「ゴーゴリ」という愛称を与えられるのだ。幼稚園入園を前にやっと正式名を与えられたゴーゴリは、 2つの名前を持つ風習のないアメリカ社会で育ったために、子供ながらに、成長してからの改名を嫌がり、2つ目の名前を拒否する。こうしてゴーゴリ・ガングリー(Gogol Ganguli)としてアメリカで生きていくことになるが、やがて思春期を迎えた彼は自分の変わった名前、そして名前の由来となったロシア人作家ニコライ・ゴーゴリの不運な一生を知り、自分の名前にコンプレックスを感じるようになる。大学入学を期に、予定されていた正式名「ニキル(“Nikhil”)」に改名するが、後に父がゴーゴリと名づけた本当の理由を知り、父の死をきっかけに自身のルーツと向き合い始める。

「セン夫人の家」は、アメリカに暮らす母子家庭の少年と、インドから移住してきてまだ日の浅い移民の夫婦セン夫妻の交流を描いた短編作品である。仕事のため子供の面倒を見ることのできない母の代わりとして何人ものベビーシッターに預けられてきた11歳の少年エリオットは、新しいベビーシッターとして母に雇われたカルカッタ出身の女性セン夫人の家で、放課後の数時間を過ごすようになる。エリオットの母はセン夫人に自宅に来て面倒を見てほしいと思っていたが、夫人は運転免許を持っておらず夫がいなくては自由に移動する事ができなかったのだ。セン夫人は夫の指導のもと免許取得に向けて特訓中であり、エリオットはしばしば彼女の運転練習に付き合う。物語はセン夫人がエリオットを助手席に乗せ、無免許にも関わらず一般道を走っていた際に起こした衝突事故が原因で、セン夫人が解雇され終結する。エリオットは共に過ごすうち移民ゆえの彼女の孤独や郷愁を知るようになり、やがて自分と母の生活もまた孤独なものであるという事に気付く。移民夫婦の孤独だけでなく、アメリカに暮らす現代家族の孤独をも描いた作品である。


1. Ashima’s Multiple Cultural Identity
「セン夫人の家」のセン夫人と『その名にちなんで』のゴーゴリの母アシマは共通点を持つ。共に、インドでは裕福な家庭に生まれたため恵まれて育ち、アメリカで大学教授をする夫に付き添うという消極的な理由から移住し、アメリカでは専業主婦として暮らす。したがって、セン夫人と比較することにより、アメリカ生活の中でのアシマの心情を推測していく。まずは、次の指摘を確認してみよう。

The material world of America seems to be a source of unhappiness to Ashima. Thus throughout the book, she struggles to recover the material and social selves of her life in India and yet somehow adapt herself to life in the country to which she has come.  (Caesar 103)

ここで指摘されているように、アメリカに移住してなお、アシマはサリーを来てインド料理を作り続ける。物語の前半部分では、アシマがインドで売っていた駄菓子をアメリカの食材で再現しようとする場面が何度も描かれるのだ。それは次の引用に表れている。

She is stunned that in this town there are no sidewalks to speak of, no streetlights, no public transportation, no stores for miles at a time. She has to interest in learning how to drive the new Toyota Corolla it is now necessary for them to own. Though no longer pregnant, she continues, at times, to mix Rice Krispies and peanuts and onions in a bowl. (Lahiri, The Namesake 49)

ここでアシマが作ろうとしている「ライスクリスピーにナッツと玉ねぎを混ぜたもの」こそ、彼女がアメリカの食材で再現しようとしているインドの味だ。妊娠中に食べたくて仕方なかったこの料理を、出産後にもまだ作り続けていることは示唆的だ。なぜなら、彼女のこの料理に対する執着が、妊娠によるものではなく、インドへの郷愁によるものだからだ。

また、この引用中で、料理と並んで書かれている「車の運転」は、短篇「セン夫人の家」の中でセン夫人が運転免許を取得しようと必死に運転練習をしていた次の場面を彷彿とさせる。

It seemed so simple when he [Eliot] sat beside his mother, gliding in the evenings back to the beach house. Then the road was just a road, the other cars merely part of the scenery. But when he sat with Mrs. Sen, under an autumn sun that glowed without warmth through the trees, he saw how that same stream of cars made her knuckles pale, her wrists tremble, and her English falter. (Lahiri, “Mrs.Sen’s” 121)

『その名にちなんで』のアシマは、インドの味を諦めきれずその再現に挑戦し続け、アメリカでの生活に必要であると分かっているにも関わらず、運転を習う気になれないアシマの姿が描かれ、「セン夫人の家」では運転に対する強い苦手意識が拭いきれないセン夫人の姿が描かれる。アメリカに移住して間もない二人に共通して描かれている「車」に対する拒否感や苦手意識は、そのまま二人が共にアメリカ社会に対して抱いている戸惑いや嫌悪を表しているだろう。

さきほど引用したアシマと車に関する場面以降、次に現れるアシマと車の場面までのあいだに、移住から 30年の歳月が流れている。そこでは、成長した子供たちの自立と夫の単身赴任によって一人暮らしとなったアシマが、パートの仕事を始める。それは彼女のアメリカ社会への順応を示唆する。苦手意識を持ちながらも車を運転しているからだ。

Three afternoons a week and two Saturdays a month, she works at the public library, . . . It is Ashima’s first job in America, the first since before she was married . . . .though she is willing to drive herself around their town, she is not willing to get on the highway and drive to Logan.(Lahiri, The Namesake 162)

このことからも、「車」がアメリカ社会への順応を示す道具として用いられていることが明らかになる。作品の殆どを占める息子ゴーゴリの視点から見た母アシマの姿は常に、インド料理を作り続け、家でベンガル人だけのパーティーを開き、サリーを着続けるという、非常にインド的でアメリカ社会に馴染まない存在だ。だからこそ、ゴーゴリは親のそうした異国性を自分から遠ざけようとする。だが、息子の極端なインド離れの動きとは別の形で、母アシマのアイデンティティもまた、インド離れとアメリカ寄りの姿勢に変化してきていたのだ。アメリカの食材で再現しようとするインド料理と下手な運転は、アシマのアイデンティティがインドとアメリカの混ざりあったものになっていることを象徴する。つまり、当初アメリカ社会の中のインドとしてアシマが閉じこもり、ゴーゴリが遠ざけた家は、この時点において、不器用ながらインドとアメリカの混在郷となるのだ。


2. Parental Home as the Homeland
続いてメニューの 2へ移ろう。ここでは、メニューの 1で述べた、インドとアメリカ両方の要素を持つ両親と実家が、その子供たちにとってどのような存在であったかということを分析する。

まずは、次の引用をみてみよう。

She [Ashima] passes over two pages filled only with the addresses of her daughter, and then her son. She has given birth to vagabonds. (Lahiri, The Namesake 167)

ここではアシマが子供たちの生き方を、「放浪者 “vagabonds”」という言葉で表現する。息子ゴーゴリが両親の生き方、そして実家に不安定さと落ち着きのなさを感じていた一方で、親の方でも子供たちに不安定さを感じているのだ。つまりゴーゴリが感じとっていた親たちの不安定感が 1世、2世、インド人、アメリカ人という枠にとらわれないものだということを示しているのではないだろうか。続いて次の引用をみてみよう。

He [Gogol] had spent years maintaining distance from his origins; his parents, in bridging that distance as best they could. And yet, for all his aloofness toward his family in the past, his years at college and then in New York, he has always hovered close to this quiet, ordinary town that had remained, for his mother and father, stubbornly exotic.(Lahiri, The Namesake 281)

これはゴーゴリが放浪者のように何度も住処を変えながらも、それが実家の周辺の範囲に限られていたという事を示している。このような実家とのつかず離れずの状態について、ナタリエ・フリードマンは以下のように指摘する。

For them [Gogol, his sister, and his wife], the return must be to their parental home in America, a place where India is re-created, albeit in a diluted form. These children do not see India as their country of origin or as a putative homeland, and they can only define home as the place where their two cultures merge-the literal and metaphysical location is in their parents’ house. (Friedman 113)

つまり、インドをルーツに持つアメリカ人(ゴーゴリの場合にはこの二国間に留まらないが)という混ざりあったアイデンティティを持つ彼ら移民2世にとって、ゴーゴリのアイデンティティ模索におけるインド離れ、インド回帰その両方の失敗という事にも示されている通り、インドもアメリカも、彼らにとっては完全な母国と言うべき場所ではないという事が明らかになる。インドとアメリカの混じりあった、あるいは中間にある場所である実家こそが、彼らにとっての母国なのだ。ゴーゴリの放浪が、実家からつかず離れずの場所に留まっていたということは、実家を厭いながらも彼がそこを心の基点としていたということの証に他ならない。


3. Extinction of the Homeland
しかしながら、ここに指摘されるような混ざりあったアイデンティティは、メニューの 1で指摘したアシマのアメリカ風インド料理やサリーで車を運転するといった場面に象徴される通り、2世だけのものではなく 1世である両親もまたこのような混じり合ったアイデンティティを持つと言えるのではないだろうか。たとえば、次の 2つの引用をみてみよう。

Ashima has decided to spend six months of her life in India, six months in the States . . . .In Calcutta, Ashima will live with her younger brother, Rana, . . . In spring and summer she will return to the Northeast, dividing her time among her son, her daughter, and her close Bengali friends. True to the meaning of her name, she will be without borders, without a home of her own, a resident everywhere and nowhere. (Lahiri, The Namesake 276) 
His room must be emptied, every last scrap either taken back with him to New York or tossed . . . .and then the house will be occupied by strangers, and there will be no trace that they were ever there, no house to enter, no name in the telephone directory. Nothing to signify the years his family has lived here, no evidence of effort, the achievement it had been. (Lahiri, The Namesake 281)

物語の最後、夫に先立たれ、娘ソニアの婚約を見届けたアシマは、親戚、知り合いの家を頼りながらインドとアメリカを半年ずつ往復する老後生活を送る事を決意する。これまでアメリカを放浪する子供たちの母国として自宅のある町に留まり続けていたアシマに、秘められた放浪のアイデンティティの存在が明らかにされるとともに、「家を持たない」という意味をもつアシマという名前によって定められた放浪のアイデンティティが、ゴーゴリのみならずアシマにも当てはまるのだと言う事が浮き彫りにされるのだ。また、このアシマの「家を持たない」という名前が示す通り、アメリカの自宅の一切を処分して旅立っていく事は、荷物を持たないといういかにも放浪者的な性質を示唆すると共に、アメリカに暮らす子供たちにとっては母国の完全なる消滅を示すものなのである。それは次の引用にも顕著である。

Though she [Ashima] still wears saris, still puts her long hair in a bun, she is not the same Ashima who had once lived in Calcutta. She will return to India with an American passport. In her wallet will remain her Massachusetts driver’s license, her social security card. (Lahiri, The Namesake 276)

メニューの 1で見たように、ここでも物質的なものにアイデンティティが投影される。外見の無変化とは対照的に、大きく変化したアシマのアイデンティティがパスポートや免許証といったものに表されているのだ。
最後に次の引用をみてみよう。

These people, these honorary aunts and uncles of a dozen different surnames, have seen Gogol grow, have surrounded him at his wedding, his father’s funeral. He promises to keep in touch with them now that his mother is leaving, not to forget them. (Lahiri, The Namesake 286) 

母の旅立ち、そして妹の婚約によって母国ともいうべき実家を完全に失ったゴーゴリは、これまで忌避してきたインド人の知人たちとの絆を守っていく事を決心する。彼のこのような心境の変化は、ゴーゴリが自身のルーツ、名前と向き合い始めたという事を示すばかりでなく、彼が失った母国の代わりを、インド人のコミュニティに求めている表れだと言えるのではないだろうか。

それでは結論に入ろう。今回は、主人公ゴーゴリと同じく放浪を示唆する名前を持つ母アシマを中心にゴーゴリのアイデンティティ模索が恋愛や建築に投影されていたのと同じく、彼女もまた物質的なものとの関わりの変化をくぐり抜けた過程を、とりわけ、インド人として安定していたアシマのアイデンティティが、ゴーゴリと比べると非常に静かに、目立たない形で放浪のアイデンティティに目覚めていく過程を追った。アメリカにもインドにも疎外感を感じるアシマの姿は、インド料理へのこだわりや、車の運転への忌避に見出せる。しかしながら、夫の死、娘の結婚を契機に、移民1世であるアシマも、2世であるゴーゴリ同様に、「放浪者」としてのアイデンティティを開花させていく。放浪者ゴーゴリのインド人コミュニティの絆への回帰と、インド人としてのアイデンティティに拘っていたアシマの旅立ちという交錯は、「母国としての実家」が、インドとアメリカの混ざりあったものとしか存在し得ないことを奇しくも露呈させているのだ。 


Glossary
◆Mrs.Sen
アメリカに移住してからまだ日が浅く、インド料理を作りながら自宅で大学教授の夫の帰りを待つ日々を送っている。インド料理にかかせない新鮮な魚を手に入れる事に執着しており、夫に頼んで海沿いの魚屋まで買いに行ってもらう事もしばしば。インドではお抱え運転手がいた為免許は必要なかったが、アメリカ移住後必要に迫られて、夫の指導のもと嫌々ながら運転の練習を始めた。

◆Ashima Ganguli
Gogolの母でカルカッタ出身のベンガル人。カルカッタの上流階級の家で育ち結婚後、アメリカに移住してからも常にサリーを身につけインド料理を作り、アメリカに住むベンガル人の同胞たちとのつながりを大切にしている。夫 Ashoke の死後、老後をアメリカとインドを数か月ずつ往復して生活することを決意し一人インドへと旅立って行く。Ashima はベンガル語で “she who is limitless, without borders” という意味を持つ。

◆Gogol Ganguli (Nikhil Ganguli)
南アジア系2世の主人公。大学入学を期に改名しNikhilとなる。Nikhil はベンガル語で “he who is entire, encompassing all” の意。

◆Ashoke Ganguli
Gogol の父。マサチューセッツ工科大の大学教授。学生時代、カルカッタから乗った列車が脱線事故に遭い、その時読んでいたロシアの作家 Gogol の The Overcoat のページを握りしめていたところを発見され、九死に一生を得る。単身赴任先にて心臓発作により突然死する。Ashoke は “he who transcends grief” という意味。


Bibliography
Primary Sources
  • Lahiri, Jhumpa. “A Conversation with Jhumpa Lahiri.” Bookbrowse.com. 3 August 2004.
  • ---. “Mrs.Sen’s.” Interpreter of Maladies. Boston: London: Flamingo,1999. 小川高義訳『停電の夜に』東京:新潮社、2000年。
  • ---. The Namesake. London: Harper, 2003. 小川高義訳『その名にちなんで』東京:新潮社、2007年。

Secondary Sources
  • Caesar, Judith. “Gogol’s Namesake: Identity and Relationship in Jhumpa Lahiri’s The Namesake.” Atenea 27.1  (June 2007):103. Literature Resource Center. 16 Oct. 2009.      <http://go.galegroup.com/ps/start.do?p=LitRC&u=jpkeio>
  • Friedman, Natalie. “From hybrids to tourists: children of immigrants in Jhumpa Lahiri’s The Namesake.”  Critique 50.1 (Fall 2008): 111-28. 
  • Mitra, Madhuparna. “Lahiri’s Mrs.Sen’s.” Explicator 64.3 (Spring 2006): 185-89.
  • 岩瀬悉有・鴨川卓博・須賀有加子編著『隠された意匠―英米作家のモチーフと創造』東京:壮光舎、1996年。
  • 杉浦悦子『アジア系アメリカ作家たち』東京:水声社、2007年。
  • 松本昇編『越境・周縁・ディアスポラ―三つのアメリカ文学』東京:南雲堂、2005年。
  • 森岡稔「The Namesake におけるエグザイル―流動する移民アイデンティティ」AALA第 84回例会 ( 2007.7.5 ) <http://www013.upp.so-net.ne.jp/aala/>


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