2000/02/19

常山菜穂子『アメリカン・シェイクスピア』書評集



  …まず、本書最大の魅力とは、その時代的な横断性である。「初期アメリカ演劇の文化史」という副題が示す通り、著者は、従来オニール以降の20世紀に限定されてきたアメリカ演劇研究を、17世紀の植民地時代にまで遡って再定義する。一般に演劇を抑圧したとされるピューリタンたちが、説教師とその聴衆との間に、実はきわめて劇場的な空間を生み出していたのである。世界を導く聖書的な「丘の上の町」に繰り広げられた宗教的パフォーマンズは、いわば「地球座」を現出させ、アメリカ的シェイクスピアが花開く土壌を準備したのだと著者は説く。(中略)加えて、強調されるべき本書の攪乱的な新しさは、その文学/批評ジャンル横断性にある。著者は、紙上のテクスト研究に安住せず、かと言ってパフォーマンス原理主義にも陥らない。シェイクスピアを意識したメルヴィルやトウェインへの目配り(序論)、フレデリック・ダグラス論(三章)など、小説や自伝をも議論の射程におさめつつ、「男装のロミオ」論(六章)では、19世紀半ばのシェイクスピア上演史を丹念に掘り起こす。もっとも、文化的無意識とは本来、暗喩として機能するものであり、シェイクスピアとは知らずにシェイクスピアが反復されるとき、最も根深い心理/真理の層が見えてくる。
──舌津智之氏『週刊読書人』2004年1月30日付 

…初期演劇の見直しを行い、アメリカ演劇史再構築をはかる試みが盛んになってきたのは、ここ十数年来のことである。本書はその流れのなかで、シェイクスピアをキーワードとしてオニール以前のアメリカ演劇を捉え直そうという意欲的な取り組みである。常山氏の狙いは、埋もれた初期の戯曲群を掘り起こし、再評価を試みるところにはない。氏は、この時代の演劇の基盤が文学作品としての戯曲にあったのではなく、舞台上演にあったという事実を踏まえて、さまざまな形態の興行を取り上げ、アメリカの社会文化の形成過程と照らし合わせながらその展開を考察している。(中略)植民地であったアメリカが、宗主国イギリスの文化をどのように自国の社会と観客の嗜好に合わせて大胆に改変して取り込み、異種混交化したアメリカ独自のシェイクスピアを作り上げていったかを検証している。ただし、ここで扱われるのは、シェイクスピアの作品そのものに限定されず、その上演法、さらにまた、たとえば、支配者としてのプロスペロと被支配者キャリバンの関係が意味するもの、白人社会対黒人オセロの構図など、シェイクスピア劇が内包する思想をも射程に入れた広義のシェイクスピアである。
──桑原文子氏『図書新聞』2004年1月31日付 

…イングランド演劇の受容が主流であった「初期アメリカ演劇」を対象として、その受容のアメリカ的な特徴を文化史的に分析する意欲的な一書である。また、受容の中心はやはりシェイクスピア劇であったようで、その点、日本人研究者がアメリカのシェイクスピア受容史研究を試みていることも大変意義深いと思う。さらに言えば、著者のスケールの大きな関心(と才能)は、副題の範囲では収まってなさそうなところがじつに魅力的である。(中略)やはりどの章でも読みどころは、19世紀アメリカ社会における社会的・文化的弱者たちが直面するジレンマを、シェイクスピアの登場人物たちが直面したそれと重ね合わせて読み解いていくところにある。個人的に言えば、とくに第5章「闘うジュリエット」が興味深く、役者という職業を持つことで自立を図りながら、男性社会への従属を演じざるをえない女優の苦悩が、ジュリエットのそれと合わせ鏡のように解き明かされているところは鮮やかだったと思う。
──中野春夫氏『英語青年』2004年4月号 


常山菜穂子 
『アメリカン・シェイクスピア
─初期アメリカ演劇の文化史 』
(国書刊行会、2003年、3,360円)
シェイクスピアはいかにして新大陸=アメリカの演劇伝統に移入されていったのか。政治的・社会的・文化的側面から精緻に読み解く画期的論考。

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