2000/02/24

Miscellaneous Works:祝辞の達人:1


2005年9月17日(土曜日)正午より
 於・帝国ホテル・桜の間

木村家、根岸家ご両家、本日はほんとうにおめでとうございます。

いまご紹介にあずかりましたように、わたしがここにおりますのは、新婦の木村亜希子君を2001年から2003年まで、慶應義塾大学文学部英米文学専攻におけるアメリカ文学のゼミでご指導申し上げたことによっています。このように結婚式でご挨拶をするとなると、たいてい新郎新婦を褒めるものですが、それだけだとつまらないので、わたしは一応英語英米文学の研究をやっていますし、この原稿を書きますときにも、何とかヒネってみることはできないか、と思いました。しかし、さんざん考えた末に、やはり木村君については、とても性格がよくて学業も優秀であった、という結論しか出てきません。こういう、いわゆる優等生的な印象は、ふつうは印象の薄い学生に多いのですね。とにかくきちんきちんと点数を取って、何の問題も起こさないかわりに、卒業後にはどこに消えたのかわからなくなる、というタイプです。しかし木村君に限っては、決してそういうことはない。これはいったいなぜかと、この機会にじっくり考えてみました。

彼女はもともと、学部3年生のときにゼミに入ったときから重要なまとめ役のひとりでしたし、ほかのゼミ生たちの信任もあつくて、学部4年生のときには、英米文学専攻の各ゼミから代表をひとりずつ出して行う研究発表会でも、圧倒的多数の支持を得て、堂々わたしのゼミからの代表発表者に選ばれています。卒業後も、わたしのゼミは1999年より公式ホームページを運営しているのですが、そこのBBSにて、折にふれて近況を書き込んでくれています。今回も、「結婚のご挨拶に」ということで、わざわざ根岸君とわたしどものところへ足を運んでくれました。ふつうこういう場合、これから結婚するふたりがそろって挨拶に来てくれるというのは珍しいのですが、彼女はそういうところもしっかりしている。あれはこの7月7日、七夕の夜だったと思いますけれども、その日、ちょうどわれわれ夫婦は自分たちの行きたいコンサートと重なってしまい、どうしようかとあれこれ悩んだあげく、わたしのほうから「それじゃ一緒にコンサートに行こう」と木村君、根岸君に提案しました。わたしども夫婦は音楽が好きなのですが、ちょうど新郎新婦もごぞんじのように音楽サークル「ライトミュージック・ソサエティ」で知り合っているわけですから、どのようなたぐいの音楽でも受け入れてくれるだろう、と踏んだわけです。はたして、まったくこちらのわがままな申し出であったにもかかわらず、おふたりは六本木のライヴハウスである「スウィート・ベイジル」に現れ、たいへんたのしく歓談したものでした。ご参考のために、この日のライヴは、若手女性ピアニストの黒田亜樹さんと女性パーカッショニストの神田佳子さんのデュオで、プログレッシヴ・ロックの雄であるキース・エマーソンへのトリビュートだったことを付け加えておきましょう。以上、もろもろの条件を考え合わせるに、木村君は性格抜群、学業優秀であるにもかかわらず、たいへん印象が強烈なのです。

その理由を考えてみるに、やはり避けては通れないのが、彼女の卒論でしょう。テーマは20世紀アメリカ・ポストモダン文学で、タイトルは“Reconstructing Destiny: Circular Time and Space in Kurt Vonnegut's Fiction.”彼女はたいへん立派な英文で堂々たる議論を構築しました。カート・ヴォネガットというと、一時はいわゆる「心やさしいニヒリスト」というキャッチフレーズとともに一世を風靡し、その代表作である『猫のゆりかご』は1960年代にはアメリカの大学生たちのバイブルと呼ばれるほどのカルト・フィクションになったものですが、今日ですと、あまりおなじみではないかもしれません。しかし、ヴォネガットはごぞんじなくても、村上春樹ならばよく知っている、というかたは、きっとこの席にも多いのではないか、と愚考します。その村上春樹がいちばん影響を受けた作家のひとりが、このカート・ヴォネガットなのですね。彼はフィッツジェラルドやトルーマン・カポーティ、レイモンド・カーヴァーの翻訳で有名ですが、もとをたどれば、ラヴクラフトとスティーヴン・キングとカート・ヴォネガットに強い親近感を抱いているのはよく知られるところです。

もっとも、木村君の場合、ヴォネガットといっても、決して20世紀文学だけにこだわっていたわけではないところに、その最大の特色がありました。ヴォネガットにも大きな影響をおよぼしたアメリカ作家のひとりに、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したマーク・トウェインがいます。トウェインといえば、みなさん『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』の著者として、よくごぞんじでしょう。1935年にミズーリ州に生まれたマーク・トウェインは、期せずしてわが慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉とほぼ同年代にあたります。じっさいに福沢諭吉の自伝などを読んでいますと、小さい頃にはまさしくトウェインを思わせるような悪童(バッドボーイ)、いわゆる腕白小僧だったのが伝わってくるので、この両者は太平洋をはさんでまったく同じ空気を呼吸していたことがわかります。さて、このトウェインがアーネスト・ヘミングウェイに影響を与え、その系譜のうちにカート・ヴォネガットが続く、というのが今日のアメリカ文学史の常識なのですね。ところが、その常識をきちんと研究した論考は意外なほどに少なかったため、木村君は、このトウェインとヴォネガットとを徹底的に比較検証するという研究を進め、その成果は非常にオリジナリティの高い論文になりました。

マーク・トウェインがいわゆるバッドボーイ「腕白小僧」の典型でカート・ヴォネガットが「心やさしきニヒリスト」としますと、ずいぶん印象がちがうように思うかたも多いでしょう。ここで詳しいことは述べられませんが、現実にトウェイン文学の終わったところからヴォネガット文学が出発したのはたしかなことです。したがって、木村君はマーク・トウェイン晩年の代表的長編小説である『ミステリアス・ストレンジャー』(1916年)をカート・ヴォネガット初期の代表的長編小説である『タイタンの妖女』(1959年)と比較検討して、両者の類似と相違からたいへん興味深い結論を引き出しました。ここで木村君の論文の結論部分を引用してみましょう。

「トウェインはその晩年の作品において、人間の浅はかさを非難し、軽蔑さえしているようでもある。しかしヴォネガットにとっての人間は叱責の対象ではなく、その浅はかささえも人間らしさとして容認している。サタンとトラルファマドール星人という二つの超自然的キャラクターの視点から語られる人間は不完全で、自らの意志で何一つ決定できない機械であるかのように語られている。しかしヴォネガットは機械ではなく、人間であり続けようとする者たちが奮闘する姿を、同情と、同時に希望を持って描いているのである」
ヴォネガットという作家は、基本的に現代人があまりにも無駄なことを頭に詰め込んできたので、それらをいったんぜんぶゴミ箱に捨てて、頭の中をからっぽにしてみることこそ大事である、と真剣に考えている人です。もちろん、いまの現代人の知性をぜんぶ捨て去れば、現代文明は成り立たなくなるでしょう。しかし、そのようにしてこそ、「人間らしい調和」と「文化」が得られるのではないか、と構想しているところに、ヴォネガットが基本的に「ニヒリスト」でありながら、なぜか「心やさしい」といわれるゆえんがあります。いま引用した木村君の結論は、まさにそうしたヴォネガット的な寛大さを掬い取っている部分で、根岸君との結婚生活も必ず「人間らしい調和」と「文化」に満ちたものになるものと確信します。

さいごに、ヴォネガットの敬愛するマーク・トウェインの限りなく格言に近い言葉から引用して、祝辞に代えたいと思います。

“It is from our experiences... that we get our education of life. We string them into jewels or into tinware, as we may choose.”

「人間はさまざまな経験をくぐりぬけることによってのみ、人生というものを学ぶ。そうしたさまざまな経験を宝石に仕立て上げるか、それともブリキに終わらせるかは、個人の選択にかかっている」。

本日は、ほんとうにおめでとうございます。