2000/02/17

Kotani Mari Essays:SFを愛する結婚




最近、男と暮らしはじめた。といっても、別にオスネコを拾ってきたわけではない。 

この秋( 1987年 10月 4日)、結婚したのだ。

相手は今年の三月、アメリカ留学を終えて帰国した新進気鋭の、SFを愛する男である。結婚前には、彼と暮らしたがっている人が男女を問わず大勢いたそうだから、私は大変運がよいと聞かされていた(彼が自分でそう言っていた)。でも事の成り行きを考えると運というよりはほとんどタイミングが問題だったみたい。彼とのつきあいは、それほど長いものではなかったのだ。むろんお互いファンダムにはずいぶん長いこと棲息してきたわけだから、名前と専門分野が一致する程度には知っていた。しかし、ハードコア嗜好かつ評論家肌の彼と、ヒロイック・ファンタジー&ハードSF好きの私とはなかなか接点がなく、当時ファン連中が「金曜会」と称してたむろっていた渋谷の喫茶店「カスミ」やら「ウェスト」やらでも顔をあわせはするものの、一言も口をきかずガンを飛ばしあうことすらなかった。せいぜい年一回のSF大会のファンジン売場で『科学魔界』を売る彼と、『ローラリアス』を売りつける私のテーブルがたまたまとなり同士だったくらい。

 「そういや年に一回しか会いませんねー」
 「そうですね」

と必要最小限のファンダムあいさつことばのあと、慌てて気がついたように「あ、じゃあおたくのとこっちのと交換しましょうか」と古いしきたりを守って当時 700 円くらいする立派なタイプオフの『科学魔界』と、いまでも 400 円の手書きオフの『ローラリアス』を物々交換するのがせいぜいであった。

それが 1984年LACONでひょっこり出会い、それがもとで文通が始まり、2年後のワールドコンの、出会った時と同じ月の同じ日にプロポーズ。帰国後はすぐ結婚式の準備というのだから、出来事の間をつなぐあのおびただしい書簡と超超超長電話というエピソードを除けば、タイミングということば以外に到底この関係を説明できるものはない。こんな半ば成り行きで、私は非言語的彼(つまり、生身のこと。なんといっても実際にはあんまり会ったコトがなかったの)を知らぬままオヨメになることになってしまったのだ。

これまでの私の人生において、大事なものは1がSFで2がプリンス、3が家族と大きく三つに分類されている。私のおそまつな頭脳では、これ以上の項目増加は受け付けられない。従って彼は、この内どこかの領域で先住者と共存するしかない運命であった。とはいえ、これは意外に簡単なことだった。彼はSFと関係した男だし、SF批評界のプリンスといわれているし、だいたいあのプリンスを想像させるほど、音楽的感性と批評的体系が密接に結びついていて、口髭の濃さもだいたい一緒だし、夫となれば何といっても家族の一員だ。しかし、本人の意見も少しは尊重せねばとためしに訊いてみたところ、なんでもトップでなければ気がすまない彼は、その中で一番はなんだと訊き返してくる。私が「SF!」と答えると、彼はジロリと私を見てこう言った。

 「それじゃ訊くけど、俺とSFとどっちが大事なんだ!」

              **

結婚式とそれにともなう通過儀礼に加え、記念出版物など出そうという企みで、まるでSF大会前夜のような忙しさが続いた後、まったく唐突に、雑務から解放された一週間がやってきた。ニューヨーク--ワシントン--テキサスをペーパーバックとファンダムとコンヴェンションでつなぎとめ、情報という名の糸で結んでいくのである。アルマジロコンではサイバーパンク運動が最初の一段落を迎えた印象を受け、『SFアイ』誌が第二の筆禍事件にエキサイトするようすを目撃する。旅行三日目に訪れたワシントンのスティーヴ・ブラウン宅では、居並ぶアイ関係者の目の前で、副編集長のダン・ステファンが、ちょうどその夕方届いたばかりのルーシャス・シェパード激怒の手紙を滔々と朗読しているところだった。一行読まれるごとに喚声があがり、あまりの騒ぎに上の階で眠っていたスティーヴの同居人デイヴィッド・ビショフまで降りてきたほど。

 「やあ、一体何の騒ぎだい?」
 「ケッセル(ジョン・ケッセル)の『ヒューマニスト宣言』(アイ創刊号掲載)に、ロブ(ロブ・ハーディン、彼はむかしスティーヴやジョン・シャーリイと共同生活を送っていたことがあるロック・キーボーディスト)が批判を書いたじゃない。それをまたシェパードが野次ったのョ」スティーヴの恋人ジョアンが説明する。

 「へえ、すげえな」
 「アイは出るたんびに大騒ぎになるわね」

スティーヴが肩をすくめた。その時、私たちは『SFアイ・ジャパン』を創刊したいのだけど、と切り出した。ぱっと彼の顔が輝く。 
 「そいつは素敵だ」
 「巻頭にメッセージもらえる?」
 「もちろんさ」

かくして、どうせ一緒に暮らすんなら何かファンジン出したいね、そうすりゃうちにたまる一方の資料も整理できるし、と話し合っていた我々の夢が、そのとき現実の姿をとってあらわれだしたのだった。    
              
              ***

そのあと日常生活が知らないうちにやってきて、ふとある日、自分たちもその一部になっていることに気づいたりする。私の仕事の都合上、彼は都内から私の実家の離れに引っ越し、当初予測されていたような「未知の生命体との接近遭遇に付随する地球人的恐慌状態」は、いまでは単なる取り越し苦労という言葉に代替されつつある。なにしろ我家は、企業戦士で長期出張を日常生活とする不在の父以外は母と私と妹という、女ばかりの人物構成だったのだ。おんなばっかりの家、そこにある日、見知らぬ若い男が同居することになる。しかも、この男はSFファン--!常日頃の私の言動を知る母と妹が恐怖(?)におののいたのも無理からぬことであった。

でも、家庭内逆噴射は起こらなかった。SF部分を除いた彼は、70%くらいがカトリック信者であとはおぼっちゃまという組成になっていたからだ。だから「しゅねがくばれらをしゅくしまあおんめみいよりてわえらのしょくせんとするこおもおをしゅくしたまえあめめん」というわけのわからん食前の祈りに加えて毎週の教会通いを欠かさず実行しており、そんな礼儀正しさときゃわゆいおぼっちゃまぶりが我家のPTAにバカうけしてしまったのであった(そのぶん娘の地位は失墜した)。で、ちょっと悔しかったので、ある日しぶしぶついて行った教会で、 

「でも、私どっちかっていうと仏教徒なのよねー」と異議を申し立てたところ、「だぁってさァー君だって宇宙塵とローラリアスと両方入会してるんだろ、それと同じだよ、今更もうひとつぐらい増えたってかまわないでしょ」と、こともなげに言うのであった。くやしい。              

それでもそう、たとえばある日のこと、さしむかいで朝食をとっている男女を想像していただきたい。その日がもし 10月 31日だったとすると、朝からぐずついている天気のこと、友人のお母様がなくなられたこと、11月 1日から平塚市にサーカスの興行が始まること、前日(すなわちその日)にはテントを張るのではないかということ、夕方にはバンガローに灯がともされるのではないかということなどなど、さりげなく触れた後、どちらからともなく、

 「ブラッドベリね」
 「ブラッドベリだろ」

とお互い呟いたりする--そんな時、男は相手が手間の省ける女であることに満足し、女は共通項を通して相手の姿を再確認し、ほっとしたりするらしい。

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最近SFカップルが増えてきて、いつかのように女性の絶対数が少なくまるで一つの卵子に数千万の精子が群がるような、そんな哀愁にみちた暗黒時代はもう過去のものとなりつつあるようだ。相手を知った時初めて自分を認識できるというのは、男女に限らずSFにもあてはまることだろう。これは、よい批評あるところよい文学が育つというのに似ている。ファンダム内部で個からユニットへ少しずつ移行していったとき、長いこと自閉症的であった日本のSFも自らの淵を抜け出して、豊かで大人の感性を持ち得るようになるのかもしれない。合間にそんなことを考えたりして、内心こんなSFのあふれかえった同居生活を楽しんだりしているのである。

(1987年11月)

喫茶ソラリス<FAR SIGHT>42号(1987年12月号)掲載