by 碓氷早矢手
CONTENTS
- 緒言
- 第一章−−8つの足跡、あるいは火星人前史
- 第二章−−マーシャン・ヒーローの系譜~火星文学論序説および私的火星文学史~
- 第三章−−開拓者魂(フロンティア・スピリッツ)はロケットに乗って~火星植民物語分析~
- 第四章−−オールド・フロンティアの遺産
- 結語
- 参考文献
- あとがき
【特別掲載】巽先生による講評
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緒言
ファンタジーという文学の領域が、それ自体、実は「地球照(アース・シャイン)」にすぎない、ということを自覚し始めてからどれくらい経つのだろう。ファンタジーが格段に進歩した科学という味方を得て、SFという分野を派生させても、「照りかえし」としての異世界の存在は極めて堅固なままであるように見える。
ほんのつい最近まで、地球の人々の想像力を一身に集めていたのは月だった。
月は、地球を照らし、写し出す鏡として、時には太陽よりも輝いていた。
アポロ11号が着陸したからといって、月がもつロマンティックな詩情がすべて失われたというわけではないけれど、別世界のシンボルとしての「月」は打ち砕かれたと言っていい。
それにひきかえ火星はといえば、そのリアリスティックな特質ゆえに、21世紀も近い現在に至ろうとも、別世界の舞台としての魅力には陰りもない。
舞台を火星に移すと同時に、物語の類型を変えることによって、新世界物語はひとつの新しい局面を迎えたのである。
月世界では、主に、竹取物語的とでもいうべきファンタジー風の叙情に包まれた物語が主流であったのに対して、火星上では、いわゆる宇宙版西部劇(スペース・オペラ)と近未来植民物語が圧倒的に幅を利かせている。火星の土壌には、多かれ少なかれ、化学的養土ならぬ化学的要素を含んだ物語がお似合いのようだ。
アポロ11号の着陸によって、月世界文学がほぼ絶滅したのに対して、バイキングが荒涼たる火星の赤い砂漠の映像を届けてきても、火星文学はビクともしなかった。むしろ新しいデータを新たな発想源として、さらに世界を広げていくたくましさが火星文学にはあった。
月が、未知なるがゆえに、人々の想像力を掻きたてたとすれば、火星は科学によって神話的な虚飾を剥ぎ取られることでこそ、その存在価値を確立したと言えるだろう(注1)。
SFまたは文学における、月(ルナ)から火星(マルス)へという流れは、神話から科学へ、あるいは地球から宇宙へ、といった流れとも並行しているように思われる。
そんな流れの中で、火星と火星人が、どのような形態をとり、どのように機能していったのか、それを見ていくことがこの論文の目的である。
第一章では、火星文学が誕生する以前の歴史を概観する。
第二章では、火星文学が誕生し、根付くまでの過程を振り返るとともに、何の定義付けもない火星文学に多少なりともまとまりをつけるべく、文学史の作成を試みる。
第三章では、火星文学の中から、火星への植民を描く作品を抜き出して、かつてのアメリカン・フロンティアを追想するかたちで、ニュー・フロンティアとしての火星が描き出されていった様を読む。
そして第四章では、アメリカのかつての西漸運動が残した精神的遺産のひとつ---"フロンティア・ナラティヴ"とでもいうべき語りの形態---に関して考察する。
論文全体を貫くのは、尽きることのないフロンティア・スピリットへの敬意と、他者を極めて効率的に支配してきた西洋的支配戦略への驚異である。
火星文学をまとめあげることによって、遥か遠い星の物語が、実はひどく身近なもので、近未来のいかつい風景も、実はそれほど新しくないということ、そして、それらの物語のなかに、気づかぬうちに取り込まれてしまっていた自分たちの姿を少しでも描きたかったのだ。
(注1)
荒俣宏氏は、『別世界通信』の中で、月においても同じような事象——「ガリレオのパラドックスともいうべき皮肉な現象」——が過去に存在したことに言及している。
ガリレオが神界としての月の虚飾を剥ぎとり、その正体を明らかにすることによって、月は初めて「別世界」としての機能をもつに至ったからだ。すなわち、「到達と居住が可能なもうひとつの大地」として人間に再接近した月は、真の意味で人間に、宇宙へ歩を踏み出す勇気を与えてくれた。 (荒俣宏『別世界通信』 15-16頁)
だが、現時点において振り返るのならば、このことは火星において一層よくあてはまるように思われる。
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第一章
8つの足跡、あるいは火星人前史
「・・・わたしにわかっているのは、じつはこれこそ初期の終わりだ、ということだけさ。石器時代、青銅器時代、鉄器時代と、今後はこういういくつかの時代を一つの大きい名でひとまとめに扱い、この時代に人間は地球上を歩行し、朝は小鳥達の声を聞き、羨望の念から大声をあげた、というようになるだろう。将来はおそらくこの時代を『地上時代』とか、またことによったら『引力時代』と呼ぶようになるかもしれない。何百年もわれわれ人間は引力と戦ってきた。われわれがアミーバや魚だったころは、引力に体を圧しつぶされずに海から出ようとして苦心をした。いったん無事に陸にあがると、今度は、新発明になる脊柱を引力に折られずに直立しようとがんばり、よろめかずに歩き、倒れずに走ろうと努めたものだ。何十億年も引力はわれわれを生息地に押しとどめ、風雲、キャベツ蛾や蝉でわれわれをからかった。だからこそ、今夜は真に偉大なのさ。・・・今夜こそはあの『引力』老人と、その老人という名を聞けばすぐに思い出される時代とが、これを限りに永久に終わるのだ。・・・」(レイ・ブラッドベリ「初期の終わり」『ウは宇宙のウ』48頁)
a) 火星と地球人類の関係史概略
火星、東洋では「燃える火の星」、西洋ではギリシャ神話から「戦いの神・マルス」と呼ばれる、この惑星は古来から観察の対象として、物語の舞台として、人類の興味をひきつけて離さない星だった。
人類にとって、地球、月、太陽に次いで親しみのある星、火星。どこのどんな宇宙人よりも有名な火星人。
なぜ、火星人なのだろうか? 水星や木星、金星、土星ではなく、なぜ火星なのか?
当然、浮かぶであろう疑問を解くためには、火星と地球人類の歴史的関係を概観すればいい。文献に残っているはるか以前から、星々は人々の観察の対象として見つめ続けられてきたのだろうが、火星が近代から現代にいたる地位、つまり火星人の存在を期待される有名な惑星としての地位を築くきっかけは1877年のことだった。
この年、火星は地球と太陽に大接近し、天文学者にとっては絶好の火星観察期を迎えることとなる。イタリア人天文学者ジョバンニ・スキャパレリは火星の表面の数多くの筋模様を観測。彼はその筋模様を「Canali」(「カナリ」)、とイタリア語で"溝"を意味することばで呼んだ。これがのち、英語の「canal」("運河")と混同され、火星には運河があると言う説を生み出していくのである。
ちなみに、火星の二つの小さな衛星、フォボスとダイモスが発見されるのもこの年だった。
その17年後の1894年、アメリカはボストンのビジネスマン、パーシヴァル・ローウェルは私財を投じて天文台を建設。火星の観察に没頭し、当時、世界最高の性能を誇ったという口径45.7センチの大きな屈折望遠鏡を用いてスキャパレリと同じく火星表面の黒い縞模様を観測する。ローウェルは、これを火星人が砂漠地帯に水を運ぶために作った運河であると、その名も『火星』と題する著書の中で主張し、さらに、運河が交わる場所にはオアシスがあり、そのオアシスが火星人の都市であるとかなり大胆に推測した。
ローウェルの『火星』が発表されたのは、1896年。それと時をほぼ同じくして、H.G.ウェルズによる『宇宙戦争』が発表された。
スキャパレリやローウェルが見た筋模様が何であったかというと、火星の単なる地形であるだとか、水が通った水路の跡だなどと言われている。ただ、自然に出来た水路と運河とでは大きな違いがあるわけで、この筋模様のとらえ方によって、火星人生存説が強い説得力を持つに至ったのであった。
この他、大気構成だとか有機物の存在、比較的地球に近い温度変化などといったものもあるのだが、これらは、もっと後々に発見され、火星人生存説の補強剤として、あるいは、生存説を否定するための武器として利用されていくのであった。
19世紀から20世紀にかけて、地球上では巨大な運河の建設が相次いでいた。1869年にはイエズス運河が、1893年にはギリシャのコリント運河が開通、そして1914年には、10年にも及ぶ大工事の末、パナマ運河が完成する。
この時代、人類にとって運河は科学技術文明の偉大なるシンボルだった。したがって、もし、火星全体を縦横に走るような壮大なスケールの運河網があるとすれば、火星には、人間のような、あるいははるかに進んだ文明を持つ、知的高等生物がいるはずだ、と考えられた。
火星観測の第一人者、ローウェルが唱えた運河説は、時代背景とマッチし、人々の好奇心と想像力を刺激して、雪ダルマ式に膨れ上がっていったのだった。
以来、火星と地球人類の関係は、深まっていくばかりだ。バイキングやマリナーといった惑星探査機によって、火星の素顔は次々に明らかになっていき、有人飛行はおろか、寺フォーミングの計画も立てられつつある。日本の大手建設会社、大林組には、宇宙開発プロジェクトの一環として、2057年に火星上に自給自足の居住地"マース・ハビテーション1"を完成させるという構想もあるという。
そして、科学の世界における活躍と並行して、文学の世界においても火星は急激にその登場の回数を増加させていくのである。
b) Mars in America
・・・ぼくは思うのだが、キングコングがこうしてマンハッタン島を暴れまわる場面は、おそらくアメリカが最初に体験した<外敵の侵略>、あるいはもっと日本的な言い方を用いて<本土決戦>そのものの遠いイメージではあるまいか。白人文化がアメリカに根をはって以来、南北戦争を初めとする多数の戦争がアメリカ大陸を血に染めたけれど、これらはみな内戦か、あるいは国家独立のための聖戦に限られていた。その意味からすれば、アメリカは、ある日突然外的に本土を侵略され、手ひどい破壊を受けたという体験を一度も持たなかったのである。おそらく、真珠湾攻撃という唯一の例外を除いては。(荒俣宏『理科系の文学誌』260頁)
荒俣宏氏は、日本におけるゴジラの脅威が本土空襲という現実の追体験という意味を持つのに対して、アメリカにおけるキングコングの脅威が予兆・アポカリプス・黙示録的なものとして成立していると説明する。確かに、侵略することによって成立した白人支配のアメリカは、侵略されたことがない。一度も体験することがなかったことであれば、その危険が迫ってきたときの不安や恐怖が、いっそう大きなものとなるのも当然であろう。
1938年、ハロウィンを翌日に控えた日曜日の夜8時、そのドラマは始まった。
「これはラジオドラマです」という前置きはあったものの、臨時ニュースの形態をとった、火星人による地球襲撃の物語は、噂からデマへ、デマからパニックへと短時間のうちに多くの人々を混乱の渦へ陥れ、ラジオ放送の歴史においても最もショッキングな番組として歴史に残っている。
番組放送中にCBSが、これは単なる芝居であるという断りを4回も入れたにもかかわらず、多くの聴取者はそれをまるで聞いていないか、すでに度を失ってあわてふためき断りの文句を理解できないかで、ラジオ局や警察当局には、問い合わせの電話が殺到、中には「いつごろ世界は終わるのか」という問い合わせもあったという。
ドラマは火星人がバクテリアによって絶滅することによって、パニックはオーソン・ウェルズが謝罪することによって、それぞれ幕を閉じることになる。
このパニック劇は、社会心理学的考察やメディア研究の格好の題材として、これまで繰り返し論じられてきたが、もう一度簡単にまとめなおしておきたい。
どうして社会心理学的考察の格好の題材になり得たかといえば、論ずるにおあつらえむきの社会背景があったからである。
当時のアメリカを覆っていたのは、大恐慌の余波と第二次世界大戦への恐怖だった。この年の3月、ナチス・ドイツがオーストリアを併合。同じく10月1日にはチェコスロバキアへ侵入する。人々の頭には、世界恐慌の残像とナチスによる侵略、破壊、死、そして世界の破滅というイメージが漂っていた。そんな脅威の一象徴がナチス・ヒトラーであり、あるときには火星人であったのだろう。
火星人が世界の破滅をもたらすような脅威の象徴として機能するためには、火星がある程度未知で不思議な存在でなければならない。世界初の人工衛星打ち上げをおよそ20年後に控えた時代は、そんな条件も満たしていた。
時代は変わる。50年の歳月を経て、科学技術は驚異的な進歩を見せ、火星とアメリカの関係を形づくるものは確実に変わった。
1989年7月22日、アポロ11号による人類初の月面着陸の20周年を祝う記念式典で、当時のブッシュ大統領はアポロ宇宙船に乗り込んだ3人の宇宙飛行士を前に高らかに呼びかけた。
「我々は再び、あの『夢』にもどろう。未来に向かって旅立とう。人類を乗せて『火星』へ。」
月面着陸から20年、アメリカは新たな挑戦を宣言したのである。SEI(率先した宇宙開発構想)と名づけられたこの提案は、21世紀初頭までのアメリカ宇宙政策の方針を宣言したものだ。90年代の残り10年間に総力を結集して最初の重要なステップとなる宇宙ステーション"フリーダム"を建設し、次なる21世紀初頭には再び月にもどり、長期滞在可能の月面基地を造る。そして、2010年には火星有人宇宙船を飛ばそうとする計画である。
ブッシュ大統領はさらに1990年5月、テキサス農工大学で講演をし、
「アポロ月面着陸の50周年にあたる2019年までに、火星に星条旗を立てる」
と、宣言した。この期間指定の宣言に、アメリカの宇宙関連企業、研究者はもちろん、世界中の関係者が奮い立ち、ここ4~5年あまりの間に具体的な火星探査のシナリオ、火星宇宙船の設計、画期的なロケットエンジンの開発、と多種多様な分野で火星有人飛行の実現に向けての研究開発熱が一気に高まった。政権が変わり、経済的・政治的諸問題から宇宙開発予算削減の声もないわけではない。が、もはや火星を目指す流れを止めることはできそうもない。
人類を火星へと駆り立てるものは、いったい何か?
主語を人類ではなく、アメリカとすれば、わかりやすい図式が見えてくるかもしれない。
26年前、人類史上最大のプロジェクトとされた"アポロ計画"の目的は国家威信の高揚だったと言われている。アポロ計画より大衆にアピールし、国民の士気を高めるものであったならば、高速大陸横断鉄道の建設でも、核融合計画の推進でも、ガン特効薬の開発でも、エイズの撲滅でもよかった、というような言葉も聞く。
ともあれ、結果として、当時のケネディ政府の思惑は見事に実を結び、250億ドルという莫大な予算をつぎ込んだアポロ計画の成功により、アメリカは名実ともに世界一であることを世界に認識させた。
また、巨額の投資の見返りは名声だけではなかった。ロケットに関する研究は工業技術に、宇宙での省エネルギー対策はソーラーシステムに、無重力状態での生命体の研究は医学に、というように様々な分野に大きな発展をもたらしたのだ。
その上、ある計量経済学試算によれば、アポロにおける1ドルの支出は、アメリカの他の経済分野にたいし、5ドルないし7ドル分の利益をもたらすことになったともいう。
国家の名声を高めるとともに、科学技術を発展させ、さらに経済効果とくれば、こんなにオイシイ事業はない。しかも、火星なら将来的な人口の飽和だとか、資源の枯渇といった問題も、もしかしたら和らげてくれるかもしれない。当面の"ニュー・フロンティア"として、火星はうってつけの場所だった。
といよりも、現時点において物質的な意味で、ニュー・フロンティアたりえるものは、深海底や惑星くらいしか残っておらず、技術的に可能な中で、水星や金星が地表温度が高すぎて着陸できないとくれば、火星しかないのだ。
新しいフロンティアを持つことが、精神的に必要だというのであれば、そこに香辛料や黄金がないとしても、火星にいかなければならないのだ。
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第二章
マーシャン・ヒーローの系譜~火星文学論序説および私的火星文学史~
部隊が動きはじめた時、火星人類は、すでに三田付近を蹂躙し去ったあとだった。高輪の御用邸は、たった一条の光熱光線で焼け落ち、さらに前進した戦闘機械は慶應義塾を粉砕した。(横田順彌『火星人類の逆襲』203頁)
a) 火星文学論序説および私的火星文学史
月世界文学が、情緒溢れるロマンティック・ストーリーの歴史を携えるのに対し、火星文学の歴史は、恐怖と、現実的なサイエンティック・ストーリーに彩られてきた。その特徴ゆえに、月世界文学 はその灯を消したが、火星文学は、形を変えて生き残ってきた。
火星文学の場合、なにはともあれ、始めに『宇宙戦争』ありきのように思われるが、おおまかなところはそれでいい。火星は、神話の時代に闘いの神として宿命づけられて以来、月がその文学上におおいなる足跡を残してきたのと対照的に、長い間沈黙を守り続けてきた。が、1877年の火星大接近をひとつ目の足掛かりとし、1898年の『宇宙戦争』によって、火星文学は一気に檜舞台へと踊り出るのである。
20世紀になり、火星についての天文学的な知識が少しずつ積み重ねられ、火星人の存在が科学的問題としても真剣に考えられた。アメリカでの『火星人襲来』騒動は、そのころの一般的な天文学のレヴェルを克明に物語るものだし、日本で、ハレー彗星の大接近にともない、酸素がなくなるなどという噂が流れ、ハレー彗星が通りすぎる間呼吸するがための自転車用ゴムチューブがバカ売れしたというのも、確かにその少し前の出来事だった。『宇宙戦争』に代表される火星人襲来モノや、バローズに代表される火星冒険譚が隆盛を極めるのはこの頃である。
20世紀も半ばを過ぎる頃になると、ハインラインやアシモフ、そしてA.C.クラークなどによって、いわゆる「科学的」な作品が多く書かれていくようになる。同時に植民を描く作品も増えていった。植民という行為はひどく実際的なものだし、植民を描くというだけで、科学的な雰囲気を漂わせる効果もあったのだろう。それ以降は、様々に形態を変えつつも植民物語が中心を占めている、と言ってよいだろう。
そして現在は、植民物語、火星冒険譚、それにその他大勢を加えて入り乱れ続けているといった状況である。
一方、火星人はどんな経緯を持つのだろうか。「火星人」と言われて多くの人がまず思い浮かべるのは、あのタコ型火星人であろう。そのタコ型火星人像を世に広めたのが、H.G.ウェルズの『宇宙戦争』であった。
そもそも、異星人(エイリアン)自体が一般に広まったのは、19世紀も後半のことだという。それ以前には、もちろん天使や神様などが天空に住んでいるということははるか昔からあったのだが、いわゆるエイリアンはというと比較的最近のことなのだ。地球外惑星生命体の生活を初めて描いたのは、フランス人の天文学者兼作家、カミル・フラマリオンで、その著作がイギリスへと渡り、後にウェルズ型火星人へと進化するということらしい。(注1)
もちろん、異世界への憧れはずっと昔からあった。ギリシャ人ルキアノスは地球外の星へ旅行する話と、宇宙人たちの間で闘われた戦争の光景を『本当の話』のなかで書いたし、プラトンは幻のアトランティスにまつわる異世界の伝説を書き伝えたという。
ただ、火星人がはっきりとした形で、地球人の目の前に現れるのには、それなりの準備が必要だったのだ。科学的な進歩によって、想像力が躍動する下地がつくられ、想像力の飛翔によって科学の向かう方向が示唆されていく。宇宙開発と火星文学との関係は、科学技術と文学的想像力とがうまいぐあいにお互いを刺激しあってきた模範的な例といったところだろうか。
このあたりで、そもそもここでいう火星文学とは何か、という定義付けをしておくべきかと思う。
この論文中で火星文学という場合、それは広く、火星あるいは火星人の登場する物語のことを指す。当然、SFがSFという一言で語り得ないのと同じ様に、この火星文学の中にも様々な類いのものが混在している。
C.S.ルイスは、「SFについて」というエッセイの中で、SFをいくつかの亜種に分けている。
- 宇宙という広大な背景において、ごくありふれた恋愛小説、スパイ小説、遭難小説、もしくは犯罪小説を展開しようとするもの。彼が最も拙劣と言い切る種のもの。
- 宇宙飛行の未発見のテクニックに強い関心を持つ人々の作品。彼が、技術者のフィクションと呼ぶもの。
- 科学的関心から出発しているが、思弁的含みを持っているもの。
- "終末的"とでも名づける類いのもの。人類の最終的運命に関する思索を、想像の次元に投じた作品。
- 人類とともに古い想像の衝動が、現代の特殊な状況においてどのように働くかを示す作品。ルイス自身が最も深い関心を寄せているもの。
このルイスの分類は、そのままたいていの火星文学にもあてはめることができる。E.R.バローズは(1)、A.C.クラークは(3)というように。
だが、ここではもっと簡単な、もっと機械的な次の分類法を用いたい。
- 火星人が登場するか、しないか。 a) 火星で生まれた、独自の種としての火星人
- 物語の舞台はどこか。 a) 火星
- 火星と地球との接触がどちらから行われるものであるか。 a) 火星から地球(侵略・植民・親善・意味不明・・・)
b) 地球などから移住することによって生まれた制度的な火星人
b) 地球
c) 両方、あるいはそれ以外
b) 地球から火星(植民・探検・冒険・親善・・・)
大枠(A・B・C)それぞれについて順を追って見ていくと、まず、火星人が存在するかしないかに関しては、火星人が存在するほうが圧倒的に多数である。仮にネイティヴの火星人が登場しないストーリーでも、すでに地球人による火星の植民地化がほぼ完了した後で、制度的な火星人が居住している場合がほとんどであった。
制度的な火星人の場合は、基本的にその姿は人類と同型なのであるが、中には、人類が火星植民地のための労働力として遺伝子操作した奴隷カンガルーが反逆を起こして火星人化するという特殊な例もある(川又千秋『火星人先史』)。
また、ネイティヴ火星人が存在する場合、その容姿は、マイナーチェンジしたものを含めるとウェルズ考案のタコ型火星人が多数を占めていた。今回の調査では、タコ型火星人の原形を、ウェルズ以前に発見することはできなかった。タコ型火星人は、ウェルズ独自の発明らしい。どうしてタコ型かといえば、タコを悪魔の象徴として扱う、西洋社会の伝統によるのではあろうが、それだけの説明では単純すぎるような気もする。ただ、タコ型火星人が、なぜ生まれたかではなくて、そのイメージが、なぜここまで広まったかという問題ならば、いくつかの説明が可能となるだろう。つぎの引用はそのひとつである。
ウェルズの『宇宙戦争』に登場するタコ型火星人のイメージが新鮮なのは、科学技術の無限発展という信仰に、その帰結としてのグロテスクな生物退化という予測を二重化してみせた点にあった。もちろん、火星人のタコ型退化のゆえんは、それなりに「科学」的に説明されていなければならない。
しかし、化学薬品の乱用や放射能汚染、あるいは遺伝子実験などによって、人類の生物的未来にとりかえしのつかない破損や障害がもたされうることを知ってしまった私たちに対して、タコ型火星人の悪夢はもはや虚構の出来事ではない。SF小説が近代科学に幻想と現実の分裂を見出すまでもなく、人々は既に、そのような事態のただなかに入り込んでしまっているのだ。 (笠井潔『新版 機械じかけの夢』41-42頁)
ネイティヴの火星人がタコ型以外の形態を取る場合はといえば、人間型か、人間型に火星の環境的要素に加味したと思われる細長人間型(『レッド・プラネット』)や小人型(『火星人ゴーホーム』)、人類の常識では、一見しただけでは知性があるとは思えないあざらし型(『マラカンドラ』)、あるいは火星人というよりも火星生物というべきであろう砂漠蛙<デザートフロッグ>(『火星で最後の・・・』)などがある。が、これらは少数派で、おおまかには、タコ型ネイティヴ火星人と、地球からの移住者の子孫にあたる比較的新しい火星人の二種類があるといえるだろう。
続いてのBとCは特に関連が深く、一般的に、ファーストコンタクトが地球からなされる場合、その舞台には火星が選ばれ、火星から人類へと接触がなされた場合には、舞台は地球となるようだ。舞台とは作者の視点が固定される空間であり、これが火星と地球を行ったり来たりするということはほとんどなかった。ただ、例外としては、川又千秋『反在士の鏡』があげられる。これは登場する反在士が持つ、鏡面を利用する力のためで、これによって反在士一行は火星や金星、地球の間を自由に行き来する。舞台がキャラクターを決めるのか、キャラクターが舞台を決めるのか、とにもかくにも川又千秋氏の作品には、例外となるファクターが度々出てくる。ウェルズとバローズの圧倒的なインパクトのために、紋切り型が絶大なる効力を発揮し続けるジャンルにおいては、例外となり得るだけでも貴重な存在に思えてくる。
火星も地球も火星文学の舞台としては何度となく登場するのだが、大雑把に言うと、地球が舞台となる作品では、火星人による侵略と破壊の物語が進行し、それに対する地球人類のうろたえぶりや火星人に対抗する人類の勇敢な姿が描かれる。火星人による破壊的な行為は、よくよく見れば地球人が火星に植民する際におこなうことと変わらないのだが、大概の作品の視点には地球人の視点のみが採用され、"植民"や"探検"ではなく、"侵略"という意味づけが、すでに表現によってなされてしまっている点にも注目しておきたい(『宇宙戦争』『火星兵団』『火星人類の逆襲』)。
火星が舞台となる作品には、大きく分けて二種類がある。ひとつ目は、『ターザン』の作者としてあまりに有名なE.R.バローズの"火星シリーズ"に代表される火星冒険譚である。ただ、バローズについては、次のような批評がついてまわる。
誤解を恐れずに敢えて言うならば、バローズはSF作家ではない。生み出された作品にSF的色彩が濃いのは確かだが、バローズにとって<SF>は飽くまで"手段"であり"目的"ではなかった。近代文明を嫌悪し、遥かなる石器時代に憧憬の念を抱いていたバローズが真に描きたかったのは、自己に内在する<野生回帰願望>を表出する世界であった。(『世界のSF文学総解説』267頁)
要するに、仮に火星でなかろうと、アフリカのジャングルでもアメリカ西部の荒野でも、暴れられればよかったのだ。そう考えると、バローズには、物語の舞台として火星が選ばれる必然性が比較的薄かったようにも思われてくる。が、バローズが物語の舞台に火星を選んだのは偶然ではない。バローズの時点においてすら先行する火星文学というものがあったのだ。『バルスーム E.R.バローズの火星幻想』には、バローズのインスピレーションの源泉として、パーシィ・グレッグの『黄道帯を越えて』(1880年)や、グスターヴァス・W・ポープの『火星への旅』(1894年)、エドウィン・レスター・アーノルドの『ガリヴァー・ジョーンズ中尉/その休暇』(1905年)などが挙げられている。もちろん、当時の時代背景として、火星なら生物がいそうだ、未知なる具合がちょうど良い、などということもあったのだろう。冒険小説家バローズにとっても、物語の舞台として火星を選ぶ必然性は十分にあったのだ。
このような必然性は、後の作家たちに"火星へのオマージュ"というかたちで受け継がれることになる。さらに火星へのオマージュは、ウェルズやバローズらの諸作品を経由することによって、確固たるものとなっていく。川又千秋氏は、『火星人先史』のあとがきで次のように語る。
SFにとりつかれ、そこにひたりはじめていつしか、僕にとって、"火星"は、地球同様、いやそれ以上に、特別な現実感を持つ、親しい思い入れの世界となっていた。
"火星"---この、太陽系第四番目に位置する現実の惑星を舞台にして、実に驚くほど数限りない空想の物語がすでにつくられており、それらひとつひとつが、僕の内部の"火星"を、際限なく鮮やかに、豊かに、また複雑に、素晴らしいものに育ててくれていたからである。
"火星"---この、およそ四万三千平方キロメートルほどの地表に、いったいどれだけ多くの地図が描かれ、町が築かれたことだろう。
(中略)とても数え切れるものではない"火星"と、そのめまいを誘うようなイメージの堆積が、やがて解きほぐしようのない精神の複合体となり、ぼくの"火星"を形造っていったのである。
"火星"---それは、SFにおける僕の故郷だと言ってもいい。そして、また、多くの人にとっても、この感慨は共有し得るものなのではあるまいか。まちがいなく、僕のSF観の大きな部分は、火星という空想の土地で育てられたものなのだ。(川又千秋『火星人先史』321-22頁)
火星文学の中に、正統派とでもいうべき流れがあるとすれば、それはこうした火星へのオマージュを受け継ぐ系譜の上にあるはずであろう。
(注1)
小谷真理氏の「エイリアン文学のために」(『出版ダイジェスト』)によれば、「17、18世紀には純血種のエイリアンの形態などは見られず、人々はヘンな服装の異人や動物には遭遇するけど、最終的には習慣の違いがわかりあえるという結果となる物語が多かった」という。
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第三章
開拓者魂(フロンティア・スピリッツ)はロケットに乗って~火星植民物語分析~
・・・月世界SFは涙とともに忘却の深淵に沈み去ったとはいえ、火星に固執するSFは、どのようなデータ検索を経由しようとむかしもいまも決して少数派ではない。(中略)意味の死とともに葬られてしまった月に比べ、火星という記憶は日々その内容を更新し続ける記号なのである。
火星ならいちばん植民しやすく、いちばん地球型に改造しやすく、そしていちばんETの済む可能性が高いではないか・・・諸々の言説が生産され再生産され、今世紀にいたるまで、いちばん人気のある火星像を輪郭づけてきた。たとえそのように構想された「第二の地球」が、いかに古色蒼然たるアメリカ西漸運動の追想であろうとも。(巽孝之『現代SFのレトリック』144頁)
a) 火星植民文学の成立状況
実際に火星植民物語を見ていく前に、火星が新しいフロンティアとして見立てられるまでの過程をざっと振り返ってみたい。19世紀末に地理上のフロンティアラインの消滅が宣言された後、アメリカはどうなっていくのか。
18・19世紀のアメリカは、フロンティアは押していけばどんどん先へ移動していくものだと思っていた。ところがついにそのフロンティアが終わったら、逆に内部に向かって動いてくるということ、相互的な機能を持ってくることがはっきりしてきた。例えば、西部劇で見るように、アメリカは、「邪悪なるインディアン」を徹底して粉砕した。それですんだと思っていたら、今度はついにアメリカ・インディアンが自分たちの土地を返せと言ってきたり、土地を占拠したり、いろんな事が起こってきた。そういう逆流が起こってくる。奴隷解放も、リンカーンの奴隷解放だけでは決してすまなかった。内部におけるフロンティアになってきたわけです。フロンティアの問題が全く新しい様相を呈してきたんですね。アメリカが多人種的な文化として、もう一度坩堝でこねあわされて、あたらしく生きなきゃいけないってことだな。(鶴見俊輔・亀井俊介『アメリカ』 91-92頁)
アメリカの伝統的なヒーロー像は、二十世紀に入ると生成発展するのが困難になった。自然と文明の対立はますます際立ち、両者の間の断絶は深まった。しかも物質的、機械的、都市的な文明が、圧倒的な力をふるうようになった。それにつれて「アメリカのアダム」は存在の基盤を崩され、しかも脱出先のフロンティアはもはや従来のようには存在しないのである。(亀井俊介『アメリカン・ヒーローの系譜』 333頁)
そんな状況の中で、オールド・フロンティアの効果をもう一度もたらしてくれる新しいフロンティアを見つけようとするアメリカの試みが始まるのである。
ところで、「富の王(キングズ・オブ・フォーチュン)」たちのヒーロー像でほとんど共通して強調されるのは、彼らが移民の子か貧しい生まれであって、その原初的「生」を、貧困という厳しい状況によって鍛錬されたということである。いわば都会における「アメリカのアダム」であったというわけだ。そして彼らが勤勉に働いたこと、男女道徳を忠実に守ったことも強調された。(亀井 315頁)
「富の王」というのは、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーや金融王J.P.モーガン、石油王J.D.ロックフェラーなどを指すのだが、フロンティアという言葉が意図的に拡大解釈され、"夢よ、もう一度!""フロンティアよ、もう一度!"と熱望されていくのだ。
つけ足して言えば、アメリカのフロンティアはヒーローと絡められて論じられることが多く、これは新しいフロンティアを探す試みの中で、特に顕著な現象であるように思う。その手法は、フロンティア・スピリットをキャラクター化すると同時に、新しいフロンティアがオールド・フロンティアの威光をうまく着て、フロンティアの血筋をアピールするのに、一役買っているように思う。
ケネディ大統領の時代には、その名もずばり、ニュー・フロンティアという政策が掲げられる。これは、人口、生存、教育、住宅、科学、オートメーション、レジャーなどといった分野にそれぞれ新しいフロンティアを見立て、国力の強化を狙ったものだった。その強引とも思えるネーミングには多分のイメージ戦略と期待感が込められていたのであろうが、それほどの成果は生まれず、その残留は宇宙開発、キューバ、ベトナムといった、亀井俊介氏の言葉を借りれば、「力で外へ出て行っての自由の観念の追求」というかたちのものへと向かい、逆にまた、新たな外へのフロンティアの可能性が無いことを示す結果にたどりついてしまう。
そして、フロンティアというアメリカ発展の原動力が見失われつつあったときに、新しいフロンティアへの期待感や西部のフロンティアの宇宙版を求めるSFファンの要請によって、火星植民物語は生み出されたのである。
b) 追憶のニュー・フロンティア
火星植民物語は、『火星年代記』、『火星のタイムスリップ』の他にも、アイザック・アシモフの『火星人の方法』、アーサー・C・クラークの『火星の砂』など、純粋に文学的なものから、火星への植民を真剣に説こうとするようなものまで、相当数が挙げられる。
だが、私の見た限りでは、どの作品も構図的に似たものが多く、その構図の類似を大雑把にまとめれば、まず地球上に政治的・個人的などの何らかの問題が持ち上がり、そこからの脱出口として、新天地に向かうという話の成り行き。そして、新天地が新たなる共同体として成立した以後に起きる元の世界との摩擦。胸に抱いていた新天地への過度の期待から起きる失望といった図柄。ここまで見ただけでも火星植民物語は作家たちによって新たに創造されたというよりも、アメリカの植民過程、アメリカのフロンティア・ストーリーが作家たちによって再生されたのだ、と早くも結論を出したくなってくる。作家たちがいかに再生しようとしたかを確かめる術はないが、アメリカという国家の成立が植民という行為の史上最大のモデルであることは間違いないであろう。
ロケット工学や宇宙空間への移民についての研究はロシアやヨーロッパでも数多く見受けられるが、火星植民物語となると、そのほとんどが、アメリカで生み出されているという象徴的な事実がある。例えば日本を見てみると、一部の例外を除いて、阿部公房にせよ、筒井康隆にせよ、星新一にせよ、地球から宇宙空間への植民活動というパターンはあまり見られず、逆に地球を植民地化しようとする侵略者としての異星人ものであったり、せいぜいが対等な立場で登場するくらいのものが一般的である。
また、旧ソ連SFにも火星植民は描かれるけれども、原住民と植民者との生臭い闘争だとか、植民後の確執、といった構図はあまり見られない。やはりあくまで特徴的なのは、ソビエトSFに共通するイデオロギー臭さである、と言えるだろう。
天体地質学者のヴォロージャは私たちの惑星を、すべてを惜しみなく与える善良な地球、と呼んだ。しかし、地球は昔からそのような、すべてを惜しみなく与える善良なものであったわけではない。人間の労働がそれをそのようなものにつくりあげたのである。
しかも、最近、私は、人々が居心地の悪い、冷たい火星を、善良なすべてを惜しみなくあたえるような惑星につくりかえようとしていることを知った。共産主義社会が火星に大気と生活圏とをつくる決定を採択したのである。(ゲンナージー・ゴール「クムビ」『世界SF全集24』 89頁)
アメリカにおいては、先住民としての火星人の存在が前もってふたりのウェルズの共同作業によって知らしめられていたことも、アメリカン・フロンティアの再生を加速させたようにも思う。
植民活動の再生が顕著にあらわれていると思われる場面の例示には事欠かない。
始めて火星に行った父親と火星に定住している息子が、ヘリコプターから「ブリークマン」と呼ばれる火星の原住民を見下ろしながら会話するこんな場面。
「ありゃなんだい?」レオが訊いた。「火星人か?」
「そんなところです。」
「たまげたなぁ」レオは笑った。「あれが火星人なのか・・・土着のニグロか、アフリカのブッシュマンみたいだ。」
「ごく近しいんじゃないですか。」ジャックは言った。(P.K.ディック『火星のタイムスリップ』180頁)
あるいは、同じく『火星のタイムスリップ』からの火星の資本家のこんなセリフ。
「この間、国連の役人がやってきて、クロンボに関する組合の規約に異議を申し立ておった。おっと、クロンボなんていっちゃいかんのだよ。国連の連中みたいに"残留土着民"とか"ブリークマン"とか言わにゃいかんのだ。連中がほじくり出したのは、組合が所有している鉱山でブリークマンを基準以下の賃金で雇うのをうちの組合が許可したことだ。」(ディック 21頁)
また『火星年代記』において、火星探検隊員のスペンダーが、火星の先住民たちの文明を理想的なものだと敬愛し、地球からの侵略者たちに嫌悪感を抱きながら吐く次のようなセリフ。
「コルテスとその品行方正な友人どもがスペインからやって来たとき、メキシコがどうなってしまったか、おぼえておられるでしょう。貪欲で、うぬぼれの強い偏屈者どものために、一つの文明がほろぼされるのです。歴史は決してコルテスをゆるさないでしょう。」(レイ・ブラッドベリ『火星年代記』111頁)
こんな場面だけを抜き出すと、これらの作品が何か説教じみた教訓くさいものに思われてしまうかもしれないが、これらの作品の効果はむしろ、地球や人間を相対化して見る視点の獲得でもあるように思う。地球規模での大きな対立も事実上の国教も薄れ、成り立ちにくくなってきた相対化の視点の補完機能のために植民地としての火星が創造されたと言ったら言いすぎだろうか。
その相対化作用をもたらすものの一つには、メタモルフォシス(変身/変態)といったものが含まれる。
Bradbury frequently plays off of the ambiguity of the relationship between the invader and the invaded. At the moment an invasion succeeds, the invader becomes defender---capable himself of being invaded. In some of the stories about Mars, Earthman who have begun living on Mars are faced with the fact that they are becoming, naturally enough, Martians. (Wayne L. Johnson, Critical Encounters 31)
「ぼく、とても火星人が見たかったんだ」とマイケルが言った。
「どこにいるの、パパ? 見せてくれるって約束したじゃないか」
「そうら、そこにいるよ」パパはマイケルを肩の上に移して、真下の水面を指さした。
火星人がそこにいた。ティモシィは震えはじめた。
火星人はそこに---運河の中に---水面に映っていた。ティモシィと、マイケルと、ロバートと、ママと、パパと。
火星人たちは、ひたひたと漣波の立つおもてから、いつまでも、いつまでも、黙ったまま、じっとみんなを見上げていた。(『火星年代記』313頁)
くだいて言えば、他者の立場に立ってみること、客観的に自己と他者の関係を見つめてみること、他者として存在するものがないときには他者を想定してみること。火星植民物語に限らず、そんな効果がいわゆるSFの系列の諸作品にはあるように思う。
こうした相対化の効果をH.G.ウェルズの諸作品に関して述べている文章を引用する。ここで言う「法」とは、「SFらしさを構築する諸コード」とも説明されているのだが、とりあえずは、作品中には非日常的なものが普通に存在してもいい、という約束事と解釈しておけばいいだろう。
この作家は、近代的人間の神話を破壊するのに「無意識的記憶」や「意識の流れ」といった主題や方法ではなく、それに変わるものとして、あのSF宇宙を支配すべき「法」を創造したのである。タイムマシンによって、あるいは火星人によって、近代という時代は、近代的人間もろとも相対化される。ウェルズにとってタイムマシンや火星人とは近代的人間を相対化し、あるいは破壊するために発明された独創的な「装置」にほかならないのである。(笠井潔『SFとは何か』 226頁)
そんな想像力による相対化がおこなわれる舞台には、アメリカ人の原体験であるアメリカン・フロンティアが透けて見えるような、火星という新しいフロンティアが最もふさわしいのではないだろうか。
自己と他者とを相対化し、他者を自分と対等に評価しきれなかった、かつてのアメリカの体験を今一度再生し、見直すことによって、新しい他者との関係が生まれてくるように思う。
夢や理想といった心地好い言葉によりかかり、遠いところを見つめていたフロンティアの神話が行き詰って、足元の見直しを迫られているといった状態。そんな状態のなかで生まれてきた火星植民物語が、一見、さらなる膨張、イケイケのハイテク神話をうたっているような印象を与えながら、実は、故郷・地球が破滅を迎えた後、運河に映る自分の顔を新たなる火星人としてじっと見つめている、だとか、ずっと見下していた火星の先住民や精神分裂病の少年の超自然的な力によって精神の根幹を大きく揺さぶられるといったような結末を迎えることが多いのは、アメリカ社会の鏡としての火星植民物語の必然ではないだろうか。
若干、暗い。
が、喜ぶべきことだってある。火星植民物語が、過去のフロンティア・ムーブメントの再生としてアメリカに生まれてきたものだと言えるのならば、それは、アメリカにとっての初めての歴史が反芻すべきものとしてまで、成熟し、根付いてきたという証拠になるからである。
およそ30年前といえば、月のウサギこそ絶滅寸前だったとはいえ、火星人は今よりはるかに畏怖されていた。そんな1960年代後半に、次のような説明がひとつなされている。アメリカの作家兼批評家、レスリー・フィードラーは、アメリカ文学とインディアンに関する、その著作の中で、昔ながらのアメリカの夢のために、新たな西部をどこに再建できるだろうか?と、問題を呈したあとで、以下のように述べる。少し長いが、略さず引用する。
おそらくは月か火星がわれわれの目的に適うであろう。おそらくは宇宙の空間に飛び出してゆくことが、原型的な意味で、「西部への道」にとって代わるものとなるかも知れない。われわれはすでにそのことに気がついて、宇宙冒険物語のあるものを「ホースオペラ」すなわち西部劇になぞらえて、「宇宙(スペース)オペラ」と名づけはじめている。しかしながら、われわれがインディアンに関する昔の神話と同化することができるように、「いかめしく、ものに動じない」火星人か、美(うる)わしく従順な月姫がわれわれを待っているのでないかぎり---(事実、サイエンス・フィクションの作者のあるものは、そういう存在をわれわれに保証しているのだが)---宇宙はわれわれの本来のアメリカ---ヨーロッパを驚愕させ、変貌させたアメリカ---の延長とはならないであろう。それはわれわれを驚愕させ、変貌させるであろうけれども、第二のアメリカ---アメリカを超越したアメリカとなるであろう。われわれの大陸においては、ダンテの時代までヨーロッパ人の想像力を刺激してきた「西方」の神話---到達しがたい無人の世界という神話---は、植民のために開放された世界、しかし敵意に満ちた見知らぬ民族のすむ世界という神話に変えられた。これはわれわれの胸のうちに深く根ざしている神話なので、科学者達の逆の証言にもかかわらず、われわれは、いまや近づこうとしているあたらしい世界(宇宙)をも、土着民---温和であるにせよ、険悪であるにせよ---「未開人」が住んでいるものとして想像することをやめないのである。
われわれはあまりにも長いあいだ「見知らぬ土地」についての概念を、われわれのインディアンとの遭遇や、その反応から生みだされた神話にしたがって定義してきたので、簡単には彼らを捨ててしまうことができないのだ。インディアンは、ニグロやポリネシア人や、実際、すべての有色人種にたいするわれわれの関係を説明するのにじゅうぶんに適用することができた(トウェインの描く黒人(ニガー)のジムや、メルヴィルのクィークェグにしても、結局はクーパーのチンガチグックと神話的に血のつながった兄弟である)。われわれはこれらの関係を未来までもちこみたいと夢見ている。もし、未来の国においても、これらの関係が有効であるなら、未来はときどきそう見えるほど恐ろしくも、見知らぬものでもなくなるからである。(レスリー・A・フィードラー『消えゆくアメリカ人の帰還』 27-28頁)
つまるところ、黄金もなければ、香辛料もない。火星人もいなければ、神様もいない。火星に対する神話的想像力の源は、20世紀も末の現代において、尽きたかに見える。が、そのとき現出してきたのは、科学と結託した、アメリカ建国の神話だったのだ。
c) 「他者」としての火星人
一見新しい世界を描き出す火星文学が、実はそれほど新しいものではなく過去や現在を克明に映しだすものだとすれば、火星人の正体は一体何者なのだろう。
約一世紀余りも続いたエイリアン文学史において培われた多様なエイリアン像の意匠の下に、いったいどのような多様な「他者」がおしこめられてきたのか? SFに熱狂する読者は、同時代において、エイリアンに何を重ね合わせて興奮しているのだろうか? それこそが、エイリアンSF批評、目下の課題と言えよう。(小谷真理「エイリアン文学論のために」)
サイエンス・フィクションという、何より外部の他者(エイリアン)を描くジャンルにおいて、火星人はどんなふうに、または何のために描かれてきたのか。(注1)
火星文学が、その主なる生産地をアメリカとする性格上、最も多い、そしてわかりやすい説明は、 火星人=有色人説である。
植民というストーリーを語ろうとすれば、侵略者がいて、原住民がいて、争いがあって、奴隷がいて、というふうにどうしてもなってしまう。そして同時に欠かせないのがインディアンと黒人のイメージである。アメリカ植民の歴史から考えれば、原住民としてのインディアンであり、奴隷としての黒人というイメージであるはずなのだが、この両者は混同されやすいのか、比較的いっしょくたになってしまっているようなことが多い。"火星植民文学の成立状況"で引用した『火星のタイムスリップ』の露骨な描写をもう一度見ていただきたい。
火星人のイメージが、東洋的なるものと重ねられ語られることも多い。ロジャー・ゼラズニィの『伝道の書に捧げる薔薇』では、火星人の風習や行為が神秘的なもの、ときには非文化的なものとして扱われている。
「小さな、赤い髪の人形のような娘が、火星の空の色をした透明な衣装---サリーのようなものをまとって、不思議そうに私を見上げていた。」「ひとりはどこか日本の三味線に似た三弦の楽器をもって床に座った。」「何年も前に、わたしはインドでデヴァダイスの踊りを見たことがある。(中略)だが、ブラクサの踊りはそれ以上だった。」「火星人たちは、十九世紀の日本人のようにきわめて閉鎖的だった。」「火星には、煙草産業なんか全くなかった。それに酒も・・・。前に会ったインドの禁欲主義者も、これに比べたらバッカスの徒といったところだ。」
このような描写がいたるところにちりばめられた物語を読んでいると、1984年に公開され、ヒットした映画『ベスト・キッド』(原題はKarate Kid)を思い出す。障子の内側、ろうそくの光の中、瞑想する沖縄人ミヤーギを空手の師と仰ぐ少年の決めのポーズは鶴の兼だったと記憶する。
いわゆる典型的なオリエンタリズムになぞらえ、火星人との交流が描かれる『伝道の諸に捧げる薔薇』は1963年に発表されるや圧倒的な好評をもって迎えられたという。1963年といえば、ケネディ大統領暗殺の年、ビートニクからヒッピー族への世代交替の中で、アメリカの東洋思想が花開かんとする頃だった。
バローズの火星人シリーズに出てくる火星緑色人とアラブ人の類似性を指摘する向きもある。
確かに緑色人の放浪生活、手仕事や、女がする役目---女は大事にされ保護されてもいるが、同時に虐待され搾取もされている---にたいする軽蔑、武芸にたいする賞賛、都市生活よりも砂漠生活にたいする好み、馬術(ホースマンシップ/ソートマンシップ)の重視---こうしたことはすべて、アラブ人、特にバローズの時代に通俗的なマス・メディアを通じて知られていたアラブ人を連想させるものである。(リチャード・A・ルポフ『バルスーム バローズの火星幻想』 73-74頁)
砂漠で覆われた火星の大地は、アラブ人の肌にこそ馴染むのだろうか。ドナルド・モフィットの『星々の聖典』では、アラブ人そのものが、地球の覇権を握った後、移民によって火星人になっていた。
『火星年代記』では、火星人は、はっきりとした実態をもたない変幻自在な存在だった。
『火星年代記』の火星人は、地球人が見たいと望むものに従って姿を変えていくことができた。
火星人を「他者」の表象だとするならば、火星人であり他者であるのは、インディアンであり、黒人であり、ロシア人であり、ベトナム人であり、あるいは女性である、となるわけだ。火星文学を先頭になって引っ張ってきたのは、西欧白人社会なのだから。
科学的な制約が先か、イメージが先か。火星人たちは、その時々によって、本人たちの望みを尋ねられることもなく、かたちづくられてきたのである。
(注1)
小谷真理氏は、『女性状無意識』の中で、アメリカの女性SF評論家、マーリーン・S・バーによるフェミニズム理論と女性SFの関連性の説明を次のようなかたちで引用している。「彼女たち」とはフェミニズム評論家たちを指す。
マーリン・バーは、次のように説く。サイエンス・フィクションとは、何より外部の他者(エイリアン)を描くジャンルであって、全く無縁な事物間を科学的に(科学そのものではない)関連させる文脈を創造・発見することにより、文学における非常識を常識としてしまう。だが、まさしくそんな大胆不敵さをもつからこそ、SFは文学における周辺領域、すなわちサブジャンルにおいやられていたのである。ところがふりかえってみれば、これまで誰よりも人類(マン)の外部であり歴史の暗部に存在していたのは、女性たちだった。だからこそ、外部の非常識をもちこむ彼女たちの思弁的想像力(スペキュレイション)がSFと交錯していくのだ、と。(小谷真理『女性状無意識』5-6頁)
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第四章
オールド・フロンティアの遺産
「・・・歴史というものは、つねに勝者のものなのだ。超音波をもちいて火星の支配者である人類をおびやかした彼らは、亡びなければならない。地球上でも人類の邪魔になるものはすべて排除された。ペスト菌やコレラ菌は地上から姿を消し、野牛やモアは絶滅した。また、人間同志でも同じだ。アメリカ・インディアンやタスマニア土人は歴史から消えていった。そうやって人類は、他の動物、他の種族の犠牲の上に現代の文明を築きあげたのだ。しかし、もしかすると、やがては、地球外の高等生命が、原子力を用いて彼らをおびやかす二本足の生物を、その支配下におく日が来るのかもしれない。」(豊田有恒『火星で最後の・・・』31頁)
a) フロンティア・ナラティヴ仮説 (注1)
アメリカの西部とは、単なる地理的な場所ではない。そこは新しい出発と成功のチャンスを与える約束の地である。この土地からアメリカ人は自由独立の個人主義独自の民主主義をつくり出した。(中略)カウボーイ・ヒーローは、物事の意味を直観的に把握し、「教養ある東部人」よりも優れた洞察力と行動力を兼ね備えている。(中略)今日、アメリカ人は、過去の価値が必ずしも現在のものと同じでないことは十分理解している。しかし、現実はともかく、カウボーイ神話の存在は認めているといってよいだろう。これも、いまだ見果てぬアメリカの夢を追い、過去を偲ぶアメリカ人の心情の現れなのだ。自由に大西部の原野を駆け回り、多くの困難や危険を克服したカウボーイは、アメリカ人の理想の男性像であり、中世のないアメリカの騎士なのである。(『エスクァイア日本版別冊No.8』128頁)
いきなりのこの引用は、アメリカのフロンティア・ムーブメントの、いまだ風化しない大きな痕跡を要約しようとするためのものではない。この文章の目的は、アメリカン・フロンティアの歴史を大上段にかまえ、語ろうとするためのものでも、批評家が西部やカウボーイについて純粋に語るためのものでもない。その目的とは、実は、タバコを売るということである。この文章は、マルボロ・カンパニーの広告の一部である。
この文章には、「マルボロマンが体現するもの」という表題がつけられ、そのバックには、いかにも西部劇的な大自然のなかで一服の清涼感を楽しむ人馬の、あのおなじみの風景画添えられている。自分の頼りない記憶によれば、マルボロの広告は、最近のアメリカでの調査で、知名度No.1だかNo.2になったという。マルボロに限らず、アメリカでは、この手の西部劇のイメージを利用した広告は氾濫している。
たまに、アメリカの西部劇と日本の時代劇を比較するような発言も耳にするが、例えば、広告において、西部劇の風景が永遠の理想として用いられているのに対して、日本の時代劇は、せいぜい利用されてもコミカルな効果をねらう程度のもので、同じ過去の姿としても、その根付き方や現在に与え続ける影響の大きさなどは、比べるべきものではないように思う。
私が、冒頭の引用において、最も強調したいのはこの文章の語り口である。フロンティアについて語る文章は、アカデミックな批評書からこのような広告まで、アメリカについて学ぼうとする限りはひっきりなしに目にはいってくるものだが、それらのうちのほとんどが、この文章と同じ文体を、あるいは同じナラティヴを用いているように思う。
自由、夢、理想、神話などといった言葉を頻繁に使用しながら、サクセス・ストーリーへの憧れとそのための行動意志とを鼓舞する効果を上げるフロンティア・ナラティヴとでも呼ぶべきものが存在しているといったら、言い過ぎだろうか。
さらに巽孝之氏の「マリアの消えた荒野」によれば、植民地時代に、インディアンとの抗争の中で生まれた捕囚体験記(captivity narrative)なるジャンルは、インディアンによる白人捕囚の体験を物語ることからはじまり、繰り返し語られることによって、インディアン制圧のために効果的に機能したという。
おそらくは、先に述べたフロンティア・ナラティヴも、このキャプティヴィティ・ナラティヴとあるいは同じような経過を経て、現在の効果を発揮するにいたったのではないかと思われる。
現段階では、筆者の不勉強ゆえに、仮説に止まらざるを得ないけれども、いずれ、フロンティア・ナラティヴの存在を証明し、その軌跡を歴史的に辿ることができるようになれば、アメリカン・フロンティアの遺産をまた違った角度から眺め直せるように思う。
開拓と植民の物語でもあり、他者との遭遇の物語でもある、火星植民物語は、これらふたつのナラティヴの成果をまとめて受け継いでいると言えるだろう。
体験記としてはじまった物語が、時を経て、未来へと向かおうとするものにまでたどり着いたのである。
地球上のひとつの大陸を舞台にした物語が、宇宙へと向かう物語へ変容する過程において、そのナラティヴはどのように形を変えたのか? そのナラティヴが本来もっていた効果に変化はあったのか?
にわか火星文学研究家から、真の火星文学研究家となるために、今後も、これらの課題に取り組んでいきたい、と思っている。
b) 変貌するカウボーイ
現在のアメリカにも、以前と同じような生活をつづけているカウボーイたちは、いる。マルボロの広告に登場するカウボーイたちは、そんな"本物"ばかりだという。すくなくなってきたとはいえ、伝統あるカウボーイたちは、アメリカの理想の騎士として、あいかわらず存在し続けているのだ。
とはいえ、カウボーイとカウボーイを取り囲む状況は確実に変わってきており、それにしたがって、"カウボーイ"ということばの喚起する意味、象徴は次第に変化してきているようだ。
カウボーイというと、すぐにアメリカを思い浮かべるけれども、そもそもはイギリスにいて、"牧童"という意味合いで用いられていたことばだった。その"カウボーイ"が、いわゆる"カウボーイ像"と結びつくまでには、意外に長い道筋を経なければならなかったのである。Oxford English Dictionaryによれば、アメリカの独立戦争当時には、"カウボーイ"は、"スキナー(skinner)"と並んで、アメリカ側から英国派遊撃隊員を指し示す蔑称としても使用されていたという。
それが、合衆国西部において家畜を世話する職業の呼び名として採用され、その、馬の背に乗り、大自然を相手にした、荒々しい姿と生活ぶりが、西部開拓の栄光と結びつくことによって、"カウボーイ像"は形造られることとなる。そして、さらに、フロンティア・ナラティヴによって、繰り返し語られることによって、理想と栄光のカウボーイ像が確立されていくのである。
ところで最近、なにやらカウボーイの様子が少しおかしい。従来のカウボーイの定義に当てはまらないカウボーイたちが、続々と出現し、巷を賑わしているのだ。
例えば、『ドラッグストア・カウボーイ』、『カウガール・ブルース』、そして、レニングラード・カウボーイズ・・・。
「カウボーイの3分の1は黒人だった。」「映画や歴史書に無視されながら、8000人以上のカウボーイが初期の西部で活躍した。」『黒豹のバラード』(1993年)では、珍しく黒人のカウボーイが描かれていた。純粋無垢な黒人と悪辣な白人との、言ってしまえばステロタイプな対決と、因縁があって、友情があって、恋愛がある、これまた紋切り型の嵐の中で、黒人カウボーイの颯爽たる姿は、それだけいっそう新鮮だったし、かっこ良かった。
ガス・ヴァン・サント監督の『ドラッグストア・カウボーイ』(1989年)では、マット・ディロン演じるところの中毒者(ジャンキー)は、ヤクを求めてドラッグストアを襲撃する、強盗カウボーイだった。まあ、カウボーイといえば、昔から善良な馬乗りばかりというわけでもなかったし、"むこうみずな盗っ人"というような意味で、俗語っぽく使われることもあったのだから、よしとしよう。
同じくガス・ヴァン・サント監督の『カウガール・ブルース』(1994年)。男女平等の世の中には、男がいれば、女もいる。男だらけのカウボーイ神話を気持ちよくズラした、ユマ・サーマン扮する親指姫・シシィは、ハチャメチャながらも、しっかりとカウボーイ的なかっこよさを持っていた。
ただ、このあたりは、出るべくして出た、という感じがしなくもない。ところが、レニングラード・カウボーイズにいたっては、驚きだった。なんといっても、ロシア産のカウボーイである。映画『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1989年)において、ロシアン・カウボーイたちは、夢と希望の地での成功を夢見て、集団農場での仕事を捨てて、アメリカへと旅立ったのだった。東欧人によるアメリカン・ドリーム、冷凍ギターを抱えたツンドラ地帯のカウボーイ。これは多少どころか、十分な異化効果があった。この映画の製作は、フィンランド・スウェーデンとなっているけれども、その文化的背景には、やはり冷戦以後の政治的環境変化が深く影響しているのだろう。
ポーランドでは、『ソラリスの陽のもとに』の作者として有名なスタニスワフ・レムによって、1961年に、『星からの帰還』が発表されている。宇宙船時間において10年、地球時間において127年の惑星探査の旅から帰還してみると、もはや地球と人類は変わり果てていた。機械文明が超高度な発展を遂げ、人々は文字通り虫も殺せぬように改良させられていた。勇気も冒険も何の意味もなさない世界において、隊員たちの業績は振り向かれることもないし、そこは帰還した隊員たちが素直に順応できるところではなかった。月を手に入れれば、次に火星を望むような人類の欲望への、あるいはアメリカに限らない拡大政策への、アイロニーとして読むことのできる『星からの帰還』と『レニングラード・カウボーイ』は、フロンティア・ナラティヴへの外側からのアイロニーとして同列に存在しているようにも思える。
カウボーイの意匠が様々なかたちで用いられることと、フロンティア・ナラティヴの見直し作業とは、並行して行われるように運命づけられているのかもしれない。
20世紀に現われた、多くの新しいカウボーイたちのなかでも、今後とも、より一層の注目を集めることが予想されるのが、ウィリアム・ギブスンの描く、電脳空間(サイバースペース)カウボーイだ。特殊な電極によって脳とコンピュータ・ネットを繋いだ結果、生み出される世界で暴れるハッカー、通称カウボーイたちの姿は、カウボーイという意匠にとって、まったくの新しい地平だった。
1969年にアカデミー賞を受賞した『真夜中のカウボーイ』の段階で、西部劇のカウボーイのイメージは、十分に崩れ去っていたけれど、もはやここまでくると、カウボーイ=窃盗者、というイメージの連結こそ崩れはしないものの、すでに馬上のたくましいカウボーイの影は微塵もない。
そういえば、1994年には、『スペース・カウボーイの逆襲』などというアルバムも売れていたようだ。この論文のタイトルは、近未来的な火星植民文学において、カウボーイに代表される、フロンティア・ナラティヴとアメリカの風景とが、再生されていることを示すために、さらに、火星植民が実現されつつある現況に期待を込めて、Cowboys on Marsとしたのだが、時代はすでにスペース・カウボーイに逆襲されるまでに至っていたのだといえよう。
カウボーイの意匠が、かたちを変えて、これだけ息長く用いられるということは、それを属性とするフロンティア・ナラティヴの効果が、いかに根深いものだったのか示す証拠にもなろう。今後、登場するであろう、まだ見ぬカウボーイたちは、一体どんな姿をしているのだろう。
カウボーイという意匠が、必ずしも格好の良い方向にばかりではないものの、常に新しい地平を切り開いて止まないのは、生まれ持ったフロンティア・スピリットのせいなのだろうか。だとすれば、とにもかくにも恐ろしいのは、その遺伝子を決して絶やそうとしない、フロンティア・ナラティヴである。
(注1)
ナラティヴ(narrative)とは、文学批評用語で言えば、「語り、語り口、その語り口の上げる効果」といったところである。手元にある研究社『リーダーズ英和辞典』を開くと、ナラティヴの項には、「物語(story)、物語風(説話体)の文学作品、話術」と書いてある。ただ、ストーリー(story)との決定的な違いは、ナラティヴには、「事実を語る」だとか、「体験記」といった意味合いが強く含まれていることであろう。
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結語
"あなたも火星人になれる"、あるいは"火星があなたを呼んでいる"、それとも"火星への移住希望者には、政府が無担保で超低金利融資!"あたりだろうか。そんなコピーで、火星への植民者が募られる日もそうは遠くないだろう。遅くとも、21世紀前半には、火星への有人飛行は完了し、火星に対する次のステップが踏み出されているはずだ。
火星は、もはや天文学的な対象のみではなく、植民の、開拓の、新たなるターゲットとして完全に射程距離に入った。火星と地球との距離は日に日に近づくばかりである。
テクノロジー的な状況と、地球上の精神的な状況とを踏まえて、火星文学は、確実に変わってきたし、これからも変わっていくだろう。
が、これまでの火星文学を読んできてわかったことは、確かに、遥か遠い星の物語が、実は案外身近なもので、メカメカしい未来世紀の風景も、よくよく見れば、実はそれほど新しくはない、ということだった。
火星への到達が、実際問題になるにつれて、火星冒険譚から火星植民物語へ、といった変化は見えたものの、所詮は、地球上のなんらかの状況があからさまに透けて見えるものでしかなかった。
文学という様式の変化と、テクノロジーの変化が、複雑に絡み合った結果として、生み出されていくであろうものを予測することなど簡単なことではない。けれども、今後しばらくは、火星の、地球を写し出す鏡としての役割が変わることはないのではないかと思う。
火星文学のすべてを語るには、まだまだ足りないけれども、さまざまなパターンの火星文学を読んできて、火星がもつ、特殊な、場としての魅力には、あらためて感じ入るものがあった。
火星は、特殊な、舞台としての魅力をもっている。その魅力に引きつけられたもののうちのほんの一部が、今回扱った諸作品なのである。
今後、火星という大きな可能性をもった舞台に描き出されるのが、"外宇宙(アウター・スペース)"であろうと、"内宇宙(インナー・スペース)"であろうと、それが私たちに深くかかわってくることだけは、間違いない。
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参考文献
Fiction
- Ballad, J.G. "The Message from Mars." Interzone 58 (April 1992): 6-10.
- Bradbury, Ray. The Martian Chronicles. 1950. New York: Time, 1946. 小笠原豊樹訳『火星年代記』早川書房,1976年。
- Dick, Philip K. Martian Time-Slip. 1964. London: Victor Gollanez, 1990. 小尾芙佐訳『火星のタイム・スリップ』早川書房,1980年。
- Robinson, Kim Stanley. "Red Mars." Interzone 63 (September 1992): 6-15.
- Wells, H.G. The War of the Worlds. London: William Heinemann, 1913. 井上勇訳『宇宙戦争』東京創元社,1969年。
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- ---.『火星甲殻団』早川書房,1990年。
- ---.『反在士の鏡』早川書房,1981年。
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- 北杜夫『夢一夜・火星人記録』新潮社,1989年。
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- ゴール,ゲンナージー「クムビ」飯田規和訳『世界SF全集24』早川書房,1978年。
- スミス、エドワード・E『火星航路SOS』井上一夫訳。早川書房、1975年。
- ゼラズニイ,ロジャー『伝道の書に捧げる薔薇』浅倉久志・峯岸久訳。早川書房,1976年。
- 谷甲州『火星鉄道一九』早川書房,1988年。
- 筒井康隆『東海道戦争』中央公論社,1978年。
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- ---.「魔法屋敷」『地底国の怪人』角川書店,1994年。
- 豊田有恒『火星で最後の・・・』早川書房,1969年。
- ハインライン,R.A.『異星の客』井上一夫訳。東京創元社,1969年。
- ---.『宇宙の呼び声』森下弓子訳。東京創元社,1990年。
- ---.『レッド・プラネット』山田順子訳。東京創元社,1985年。
- バローズ,E.R『火星の交換頭脳』厚木淳訳。東京創元社,1979年。
- ---.『火星のプリンセス』厚木淳訳。東京創元社,1980年。
- ブラウン,フレドリック『火星人ゴーホーム』稲葉明雄訳。東京創元社,1980年。
- にいたる火星人の扉』鷺村達也訳。東京創元社,1960年。
- ブラッドベリ,レイ『ウは宇宙船のウ』大西タダ明訳。東京創元社,1968年。
- ---.『火星の笛吹き』仁賀克雄訳。筑摩書房,1991年。
- ボグダーノフ「技師メンニ」深見弾訳『ロシア・ソビエトSF傑作集 上』東京創元社,1979年。
- ムーア,C.L.『大宇宙の魔女』仁賀克雄訳。早川書房,1971年。
- ムアコック,マイケル『火星の戦士 野獣の都』早川書房,1972年。
- モフィット,ドナルド『星々の聖典(上・下)』早川書房,1991年。
- ---.『星々の教主(上・下)』早川書房,1991年。
- 横田順彌『火星人類の逆襲』新潮社,1988年。
- ルイス,C.S.『マラカンドラ 別世界物語I』筑摩書房,1987年。
- ワインボーム、スタンリイ・G「火星のオデッセイ」大山優訳『世界SF全集31』早川書房,1971年。
Criticism
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- Campbell, SueEllen. "Feasting in the Wilderness: The Language of Food in American Wilderness Narratives." American Literary History 6.1 (1994).
- Johnson, Wayne L. Ray Bradbury. New York: Frederick Ungar, 1980.
- ---. "The Invasion Stories of Ray Bradbury." Ed. Dick Riley. Critical Encounters. New York: Frederick Ungar, 1978.
- Mogen, David, et al., eds. Frontier Gothic: Terror and Wonder at the Frontier in American Literature. Cranbury: Associated UP, 1993.
- Slotkin, Richard. Regeneration through Violence: The Mythology of the American Frontier, 1600-1860. Hanover: Wesleyan UP, 1973.
- 荒俣宏『大東亜科学綺譚』筑摩書房,1991年。
- ---.『別世界通信』筑摩書房,1987年。
- ---.『漫画と人生』集英社,1994年。
- ---.『理科系の文学誌』工作舎,1981年。
- 伊藤典夫編『世界のSF文学総解説』自由国民社,1986年。
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- 笠井潔『新版 機械じかけの夢』筑摩書房,1990年。
- ---編『SFとは何か』日本放送出版協会,1986年。
- ガッテニョ,ジャン『SF小説』小林茂訳。白水社,1971年。
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- 川又千秋『夢意識の時代』中央公論社,1987年。
- ---.『夢の言葉・言葉の夢』早川書房,1983年。
- キャントリル,H『火星からの侵入』斎藤耕二・菊地章夫訳。川島書店,1971年。
- グリーンブラット,S『驚異と占有 新世界の驚き』荒木正純訳。みすず書房,1994年。
- ゲーリン,W.L.ほか『文学批評入門』日下洋右ほか訳。彩流社,1986年。
References on Mars
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- ウィルフォード,ジョン・ノーブル『火星に魅せられた人々』高橋早苗訳。河出書房新社,1992年。
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- コリンズ,マイケル『2004年火星への旅』高橋健次訳。草思社,1992年。
- 佐伯恒夫『火星とその観測 天体観測シリーズ(5)』恒星社厚生閣,1968年。
- 宮本正太郎『火星――赤い惑星の正体』東海大学出版局,1978年。
- 山本一清『火星の研究』警醒社書店,1924年。
- NHK取材班『ザ・スペースエイジ1 2014年 火星への遥かな旅』日本放送出版協会,1992年。
- 「火星へ行こう」『ニューズウィーク日本版』9.29 (1994)。
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あとがき
あつかましいにもほどがある、とはこのことかと思う。それでも、恥を覚悟の上で告白すれば、理想は、あの『ルナティックス』だった。松岡正剛氏によるそれは、普段は影の世界に埋もれがちな、だけれども誰しもが持っている、月への想いを結晶化したかのような美しい書物である。
月とはまた違うかたちで、連綿と著されてきた、人々の火星への想いをこんなふうにまとめあげられたら、という気持ちが遥か彼方の理想としてあった。
いや、ここでは理想ということばは、あまりふさわしくない。『ルナティックス』は、目指すべきモデルとしてではなく、時には疲れた目を休ませ、時には闇の中に彷徨う身を照らし出し、導いてくれる、文字通り、夜空に輝く月のような存在として、常に僕の机上にあったのだ。
『ルナティックス』という月の他にも、実に多くの様々な書物が夜空を飾る星として、彷徨える若輩者の進むべき道を照らし続けていてくれた。
そもそものきっかけとなったのは『火星年代記』。火星を舞台に繰り広げられる詩的で素敵な、植民者と被植民者の破滅と誕生の物語に出会った時点で、卒業論文のテーマは決まっていたと言っていい。その後、『宇宙戦争』、『火星のタイム・スリップ』、『火星人先史』などと読み進めていくこと で、この後、各章で取り扱うそれぞれのテーマは形造られていった。
それらの火星文学と並行して接していった、アメリカン・フロンティア関連の書物や各種の評論文が、論文全体の方向づけを決定的なものにした。
それらの崇高なる星々の恩恵を十分に活かし切れなかったことが残念でならない。
恩恵を活かし切れなかったといえば、巽先生のそれにまさるものはない。その刺激的な著作の中でのみならず、ことある度に箸にも棒にもかからないような雑文ばかりを書いていたできの悪いこの学生を、最後まで、感化させ続け、指導してくださった。また、小谷真理さんにもその魅惑的な著作に加え、何かにつけて貴重なお話を伺えたことが、この卒業論文完成への協力な推進剤となった。同時に、大串尚代さんを始めとする巽研究会の諸先輩方、並びにゼミ生の皆さん、貴重な資料と助言を惜しむことなく与えてくれた、倉科敦朗、羽田健久、山口淳、益田仁文、下地綾子、山口愛、若林真紀、岡野陽子の諸氏に、そして、こうして安心して卒業論文を書ける環境を与えてくれた全ての人に、心から感謝したい。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
家政文学? 化政文学? などといった反応を多く受けることで始まった、火星文学研究が、この論文の完成によって、多少なりとも理解してもらえるようになったとすれば、宇宙(そら)にも舞い上がりそうな気分である。
1995年初春