巽孝之『ニュー・アメリカニズム―米文学思想史の物語学』
青土社、増補新版、2005年
今回推薦の直接の対象となった業績は『ニュー・アメリカニズム―米文学思想史の物語学』(青土社、平成7年11月24日刊)であるが、巽君は本書の意図を序文で次のように簡明に予示している。
20世紀末を代表する文学批評論「ニュー・アメリカニズム」に立脚しながら、主として17世紀ピューリタン植民地時代より18世紀アメリカ独立革命前後の時代に至るまでの間、いかに「アメリカン・ナラティブ」の伝統がアメリカ的無意識内部で自己刷新しながらも存続し定着してきたかを探求し、ひとつの「アメリカ文学思想史」の可能性を検討すること。
即ち、アメリカ近代史は対英独立戦争、南北戦争、米ソ冷戦など壮大な二項対立の歴史であったが、冷戦構造の解消により二項対立そのものが虚構化してしまったこんにち、アメリカ社会に噴出しているフェミニズムや民族階級問題は、小説以前の植民地時代に作られたインディアン捕囚体験記を初め、奴隷体験記、魔女狩り体験記など無数の「アメリカ的体験記」を掘り起こしてこそ明瞭に理解することができるとして、巽君は従来「正典」(キャノン)とされてきた白人男性中心主義的アメリカ文学史とは全く異なる斬新なアメリカ文学/文化思想史を鮮やかに論述して見せる。その博引旁証、才智溢れる手法と語り口は他の追随を許さず、未だかつて本書の域に達した業績は国の内外にその例を見ない。広く各種ハイブラウな書評紙、雑誌、学会誌が絶賛と共に最高級の評価を与えた所以である。今回はこれまで巽君が発表してきた驚異的業績群の一つの頂点を示すものとして本書を代表させたが、すでに巽君には昭和63年『サイバーパンク・アメリカ』(勁草書房)を初めとして、平成4年の『現代SFのレトリック』(岩波書店)、同5年の『メタフィクションの謀略』(筑摩書房)、『ジャパノイド宣言』(早川書房)、同7年の本書、『E・A・ポウを読む』(岩波書店)、ならびに『ニューヨークの世紀末』(筑摩書房)と、単行本の著書だけでも計7点があり、共著・論文ともあまたを数え、いずれも学会で高く評価されている。総じて、巽君のアメリカ文化史、日米比較文化論は幅広い資料に裏付けされ、豊かで鋭利な知性と才能を駆使した斬新かる頗る高水準の業績に結実している。ここに福澤賞の受賞を心から祝賀し、今後益々の活躍を期待したい。
山本晶・平成8年度福澤賞受賞推薦の辞
福澤賞とは:慶應義塾では、学事振興資金によて、昭和24年以来毎年教職員のうちで、特に学問水準の向上に寄与する研究業績を挙げたものに対し福澤賞を、学術上有益な研究業績、教育実践または教育行政上の功績を挙げた者に対し義塾賞を授与しその業績をたたえている。
本書は十七世紀ピューリタン植民地時代から十九世紀南北戦争前後に至るアメリカ文学思想史である。といっても、いわゆる伝統的な教科書風の通史ではなく、「人種、性差、階級の多角的視点からアメリカ文学テクスト/文化コンテクストの相互駆引を分析する新しいアメリカ文化批評理論」、つまりニューヒストリシズム以後の「ニュー・アメリカニズム」にもとづく刺激的な文学思想史である。
井上謙治『週刊読書人』1996年2月2日号
著者の批評的立場を手っ取り早く知りたい読者は、「ニュー・アメリカニズム」誕生の歴史的背景が説明されている終章から読み始めるとよい。「ニュー・アメリカニズム」は「植民地時代のアメリカン・ナラティヴ」が「西欧白人やピューリタンでない存在すべてを他者と見なしそれを活字化することによって」形成してきた「アメリカニズム」を批判することを目指している、と要約するのは、あまりにも乱暴すぎるだろうか。だが、そこでの諸氏が「冷戦以後の現在では、まさしくそうした他者として生産されつづけてきた存在自身がアメリカニズムを批判的に再創造しようとしている」と説明し、「これまでアメリカによって他者として生産されてきたわたしたち自身の日本的無意識」に言及している点を見逃すべきではない。巽氏という「日本的主体」に映った「アメリカ内部では死角に隠れている要素」(あとがき)を見事に照射している点に、本書の最大の魅力が潜んでいる。
大井浩二『英語青年』
同じフランス系批評を輸入しながらアメリカの批評はかなり徹底した自己深化をとげつつあることは、良く知られたメルヴィルやホーソーンらの十九世紀中葉以後にではなく、むしろそれ以前の植民地時代を標的にした奇怪な物語論がぶ厚い本で大量に市場に出回り始めた異様な光景によってうすうす知っていた。しかしこれほどの短期間に暴力的とも言えるスピードで深化をとげて、ニュー・アメリカニズムと総称されるようなとてつもない大きな運動になっていたことは、巽氏のこの本によってほとんど初めて知らされた。批評はこれから面白くなるということと、やはり制度をめぐっては哲学も文学もない所で対処し続けねばならないということを、自ら実証し切ってくれる幾年もの意義を抱えた画期書と思う。このところ同時併行で出す新刊ごとに画期書になっていく巽という人の目配りと整理の膂力はこれはもうばけものである。
高山宏『すばる』1996年2月号
近年アメリカ文学・文化研究の領域では、フーコー思想を摂取しつつ、文化の制度性、すなわちピューリタニズムや白人優位主義など、さまざまな時代的・汎時代的イデオロギーが、いかに個々の作家の意識の深層を支配しているかを明らかにする作業が、精力的に進められてきている。本書はその気運の最新の成果を縦横に通覧するばかりでなく、適宜独自の発想と鮮やかな全体展望を備え、この領域に興味を抱く者にとって必読というほかない、驚くべき一冊となっている。
平石貴樹『東京新聞』1996年1月3日付
巽孝之氏の最新作は、例によって知的なSF的冒険に満ちている。アメリカの歴史は、アメリカ草創期に書かれた数々の文献<ナラティヴ>によってすでに決定ずみで、まるで無意識の中に刷り込みされた人間のように、アメリカはそのレトリックから抜けられずきたというテーゼを、膨大な文献と氏一流のレトリックで論証する。
越川芳明『SFマガジン』1996年2月号
最近のアメリカ小説には、歴史をネタにしたものが目立ち、歴史上の有名人の、長いこと伝えられてきた姿とはちょっとちがう側面を見せる、スキャンダラスな雰囲気のものが増えてきたが、本書を読んでいると、伝えられてきた歴史が作り物なら、それを書き直したっていいわけだ、と納得させられる。
青山南『日本経済新聞』1995年12月10日付
看板に偽りありの書物が多いなかで、巽孝之氏の著作は希有な存在である。というのもそれは、誰が見ても、「二十世紀末を代表する文学批評理論『ニュー・アメリカニズム』」に紛れもなく立脚した最初の邦語文献であるからだ。もちろん巽氏の『ニュー・アメリカニズム』は批評理論のたんなる紹介ではない。「ニュー・アメリカニズム」論争を、最終章で紹介する本書は、紹介より実践を重視し、実践を通しての理論構築であり、実践を通しての介入となっている。しかも本書は、現代のアメリカ文化を考える際の思考の糧であり良き指針でもある。
大橋洋一『図書新聞』1996年4月20日付
アメリカの民族同化主義を表す「るつぼ」という言葉は、今では民族多元主義の「サラダボウル」に置き換えられた。だが、本書ではさらにあらたな比喩として「サイボーグ」が言あげされる。人間/動物、生殖/複製などの境界をレトリカルに越えることで、人種や性の差別を克服しようというわけだ。二十一世紀とは、地球上のすべての人が「アメリカという物語」の再解釈・再創造に取り組まねばならない時なのかもしれない。
西垣通『読売新聞』1996年7月20日付
エドガー・アラン・ポウの探偵小説『モルグ街の殺人』の犯人がオランウータンだという設定の背後には、アメリカ南北戦争前の南部貴族知識人ポウの、黒人奴隷に対する恐怖心が表れている。ポウには奴隷を売買したという証拠もある……。このような、普通のアメリカ文化史では見過ごされていたような視点が、本書には多く紹介されている。
高山眞知子『週刊ポスト』1996年3月15日号
巽氏の特徴(?)を成す慎重な正統性とギター・リフのスイングが絡まったような多少ギクシャクした文体が気になるがしかし、見事な研究の成果であり入門書である。
丹生谷貴志『週刊読書人』1996年7月26日号
アメリカン・ナラティヴを緻密に分析した、刺激的な書物。単なる研究発表ではなく、使える批評になっている所は流石。
佐々木敦『文藝』1996年春号
…一般的に日本人という島国人間は、流れ行き、移ろうことによって生まれる感覚が薄いようだが、移民によって構成されているアメリカでは逆で、それは前提のように存在する。そこでの物語は、体験の上に成り立ち、なぜかその体験たるや善とは言い難いもの。そして心をとらえてやまないグロテスクかつ魔物、故に非人間的に描かれてしまう女たち、現実に生きること自体が物語となる未来が近づいているような気がしてきた。さて私たちは何処へ移動しよう。
頼寶こふみ『REMIX』56号
…人種/性差/階級のイデオロギーを通して隠れていたものがあらわにされてくるのだ。そして現実と妄想、十九世紀と現代が絡み合う中、立ち現れてくるのがアメリカなるものの本質と言えるだろうか。
虚青裕『SFマガジン』1996年3月号
魔女狩り、インディアン、奴隷の記録などアメリカの歴史における文学の「語り」を、フーコーやデリダなど新歴史主義以降の視野から再検討している。従来の文学史・思想史を覆す批評集で、現代思想に興味のある人には読みごたえあり。
無署名『翻訳の世界』1996年4月号
「アメリカ的体験記」の伝統は、アメリカ的無意識内部で自己刷新を続け、かつそこに存続・定着してきた。本書はこうしたアメリカン・ナラティヴの歴史を遡り、そこからアメリカの現在を鋭利に描写しようと試みる意欲作。アメリカという名の歴史テキストが豊穣な可能性を示し始めた。
無署名『時事英語研究』1996年1月号
本書は、植民地時代以来のアメリカン・ナラティヴの伝統が、文学や精神史の中にいかに連綿と培われてきたかを明らかにした新しい視角からの物語論である。
無署名『読売新聞』1995年12月10日付
刺激的な言葉、才気あふれる論理、解体され組み立て直される歴史的事実。本書は、米国を文化的な視点でとらえ直そうとする上で、極めて啓発的な一冊である。
無署名『京都新聞』1995年12月17日付