2000/02/18

Ogushi Hisayo's Essays:ニューエイジ登場3



もしも私がもう20年ほど早く生まれていたら、私が研究対象として選んだであろう作家やテーマは、今とはまったく違ったものになっていたのかもしれない、と思うことがよくある。

 19世紀には大衆によく読まれていたという女性作家による小説群は、1970年代、80年代のフェミニズム批評の台頭によってようやく「研究対象」として文学研究の表舞台に立つようになった。たとえばオルコットの『若草物語』やストウの『アンクル・トムの小屋』、あるいはもう少し時代は下るがウェブスターの『あしながおじさん』やモンゴメリの『赤毛のアン』、バーネットの『秘密の花園』などの作品が、男性中心主義的な文学史に再考を迫ったジェイン・トムキンズやエリザベス・アモンズ、佐藤宏子や瀧田佳子らの研究成果によって、「発掘」された。彼女たちの研究がなければ、いま私が注目している一九世紀に活躍した女性作家であるリディア・マリア・チャイルドの研究はもっと困難なものになっていたに違いない。

 それにしても小さい頃の読書体験というのはオソロシイものだ。福音館の絵本や童話、ナルニア国物語やエーリヒ・ケストナーなどの児童文学と並んで、私が本がすり切れるほど繰り返し読んでいたのは、上記のような少女小説だった。その後どれほど内容が高度に「文学的」といわれる主流の作品を読んできても、やっぱり私の興味の中心を占めるのは幼い頃に心に刷り込まれた物語枠である。

 少女小説とか家庭小説と一言で言っても、もちろん物語の内容にはヴァリエーションがさまざまにあるが、これらの作品に見られる特徴は、主人公の少女が、あらゆる困難に立ち向かいながら成長し、最後には幸福な結末(たいていがすてきな男性との結婚)を迎える、というものである。いってみればこれらはある一定の型にはまったフォーミュラ・フィクションに他ならない。ワンパターンの美学、あるいはマンネリズムの内部にある差異を楽しむといおうか、結末はなんとなくわかっているのにヒロインが遭遇する出来事にハラハラしたり涙したり、とにかく私はこうした物語が好きである。

 しかし、こうした物語を好むもうひとつの要因が、同じく幼い頃の読書体験にあると思われる。それは少女マンガ、それもちょっぴりドジな女の子が不安や困難を克服して成長するとともに、最後は片思いだった男の子と両思いになる、という典型的な学園ドラマである。幼い頃に読んでいた少女小説が今の私の研究に少なからぬ影響を与えているのと同じように、ただむさぼるようにして読んでいた少女マンガが、しかし思わぬところで役に立つことになった。

 私が勤務する大学で行われているある総合講座は、毎年テーマを決め、毎回大学内外から講師を招いて講義をするオムニバス形式の授業を行っている。一昨年のテーマは「幸福の逆説」であり、私はそこでなにか少女マンガについて話してくれ、という依頼を受けたのである。少女マンガは好きだけれど、それについて「アカデミックに」語るということはまた別のことである。実家の段ボールに入れっぱなしになっていた陸奥A子、岩館真理子、あさぎり夕など70年代末から80年代のマンガをあさりながら、マンガを授業で講義する日がくるなんて、おそらく20年前には考えられなかったのではないかとつくづく考えていた(この少女マンガ論はこの秋に慶應義塾大学出版局から上梓予定の論文集『幸福の逆説』に収められる予定になっている)。

 少女小説も、少女マンガも、なかなかまともに取り合ってもらえないジャンルといえるかもしれない。でもだからこそ私の文学研究の幅を与えてくれているともいえる。それを表すもうひとつの経験が、昨年平凡社から出版された『TAMALA 2010コンプリートブック』である。昨年公開されて話題を呼んだクリエイター・ユニットt. o. Lによるアニメ映画『TAMALA 2010』を総解読した本書に短いエッセイを書かせていただいたのは、マンガやアニメに親しんできた私にとって、とても嬉しい「事件」だった。

 つい最近DVDにもなった『TAMALA 2010』は近未来のネコ地球はメグロ・シティに住む、永遠に一歳を繰り返す不思議なメスネコ・タマラが主人公の総CGアニメーション映画である。とてもキュートなキャラクターがたくさん登場するが、ストーリーはといえば、秘密宗教と密接な関わりを持つ巨大コングロマリットによる謀略に収束するという、かなりハードな内容である。試写会ですっかりこの映画にハマった私は以来タマラ、タマラと騒いでいたが、その映画の解説本のためのエッセイを書きながら、同時に映像の魅力を文章で表すことの難しさも痛感した。もちろん、自分が好きな事になにか関わっていられることの楽しさが、それを上回っていたことは言うまでもない。それが可能になったのも、さまざまな先達による文学・文化研究の遺産に負うところが大きいのだと感じずにはいられない。

(『週刊読書人』2003年7月11日号)

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