2000/02/22

Miscellaneous Works:エッセイ:私の中のイエス

Canty 44(8/11/1990)
——私の中のイエス——
巽孝之

この3月にアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン&ハウ、通称ABWHの横浜公演を目にして以来、突如としてビル・ブラッフォードに狂ってしまったのが愚妻である。むろん彼らの『閃光』はそれまでカーステレオでもがんがんかけていたし、旧YESも聴かせていた。だいいち一作年の秋には、渡辺香津美のバンドの中野サンプラザ・ライヴに行ったのだから、ルックスだって目撃したはず。それなのに、いずれのチャンスにおいても大して感銘したふうでなかった彼女が、ABWH来日直後に、しかもブラッフォードにだけ熱をあげはじめ、ソロアルバムからアースワークスまでワンセット豪華お取り揃えになってしまったのだから恐ろしい。もはやプリンス熱も中和され、『SFの木』新編集長の田波正からは「むかしの渡辺睦夫みたいな趣味ですねえ」とからかわれても平然たるありさま。これが奇行ですむなら、わたしは祭壇に跪き神に祈ろう。けれど、愚妻の感性が仮にたんなるミーハーでもたんなる音楽マニアでもない何かも含む、だからこそ旧YESでも『閃光』でも香津美バンドえもなく、ただABWHライヴのみによってブラッフォードに惹きつけられたのだとしたら? それは、イエスの本質に関し、いささかの省察を余儀なくさせる。

大方のイエス・ファンにとって、イエスとはけっきょく『危機』である。菊地誠がABWHのオリジナル曲否定に立っている根拠はそこにあり、またジョン・アンダーソンが『危機』を歌いたいがためにABWHを人選した根拠もそこにある。アンダーソンも菊地誠に負けず劣らぬ「大方のイエス・ファン」のひとりなのだ。ところが『危機』というプログレ奇跡の頂点とともにブラッフォードが脱退したあと、続く『海洋地形学の物語』はとうとう『危機』をこえられない。ロック・バンドによるシンフォニック・オーケストラの再現という目標は、達成されたとたん紋切型に堕する。『危機』が預言した「危機」、ブラッフォードがあらかじめ察知して回避したいと思った「危機」は、このことを指す。

しかし今回、ABWH版「燃える朝焼け」におけるブラッフォード=トニー・レヴィンの絶妙なかけあいを聴いて、思い当たることがあった。再び大方のイエス・ファンに拠るならば、イエスとはABWHどころかAWHのことだったかもしれない。この三人は、ウィーン少年合唱団のファルセット・ヴォイス、ハノン式スケールおけいこ風のキーボード、そしていまや伝統芸能と化しフリージャズ風ギター・フレージングのからみによって、イエス・ミュージックを確実に保障してくれるユニットである。ところが、今回ブラッフォードが示した「燃える朝焼け」再解釈は、驚くべきことにイエス以上にイエス的であった。技巧の産物ではない。むしろ、彼は彼なりにイエスを愛し何とかしてやろうと思ってきたらしいことが伝わってきたのだ。

AWHの三人はいつも同じことをやること、つまりは「成長しない」ことでイエスのイエスたるゆえんを支えてきたが、いっぽうブラッフォードはいつもイエスの盲点を突くこと、すなわち「成長しつづけること」によってイエスを支え、いちどは(愛情あまって?)脱退してしまった男である。べつにブラッフォードを賛美するわけではない。というよりも、成長しないメンバー三人と成長しつづけるメンバー一名というこの組み合わせ<バランス>こそが、イエスというバンドをよりおもしろくし、時折「奇跡的な飛躍」を遂げさせた条件だったのではないかと考えたいのだ。10%の傑作がジャンル全体を保証するのには90%のジャンクが構造的に要請されるという、SFにも縁遠いわけでもない例の公式を思い出してもよい。

ブラッフォード熱の愚妻は、さらに彼とパトリック・モラツのデュオ・アルバム二枚目『フラッグス』のCDを購入してきた。彼らは、わたしじしん留学中だった八五年秋、コーネル大学にも訪れたので、住んでいた寮セージ・ホールのすぐ裏手スタトラー・ホテル(兼ホテル学科実習教室)で行われたコンサートには、一も二もなく駆けつけている。一枚目『ミュージック・フォー・ピアノ&ドラムス』からも『フラッグス』からもセレクトされ、ふたりは縦横無尽に弾きまくり/叩きまくって圧倒的な迫力を見せつけてくれた。採ったテープは何回聴いたかわからない。

さて、今回のABWHから連想したのは、じつは、この時のモラツ=ブラッフォードなのである。両者は共有するところが少なくない。ブラッフォードの関わった『危機』によってイエスは重大=危機的<クリティカル>な変革を遂げたが、同じことはモラツの関わった『リレイヤー』にもいえないか。この失敗作とも数えられるアルバムこそは、わたしにとってイエスのベスト3に入ることまちがいのない大傑作、要するに重大=危機的<クリティカル>な評価分裂をはらむ。むしろアンダーソンが当初の予定どおりリック・ウェイクマンの代役をヴァンゲリス・パパサナシュー(当時はこう呼ばれていた)に決めていたら、それはシンフォニック・オーケストラ路線の拡大再生産にしかならなかったろう。モラツがその事態を救った。彼の参加を得て、イエスは「オーケストラもどき」に堕するのを免れ(だってシンフォニック・ロックなんて『危機』一曲あればいいではないか)、「コンボとしての神髄」を取り戻したのである。当時の彼の功績は多いが、豊富なアイデアや抜群のドライヴ感に加えて、何よりも、キース・エマーソンもウェイクマンもなしえなかったピッチベンダー駆使による表情豊かなシンセ・ソロ(「サウンド・チェイサー」をみよ)をあげなくてはならない。七〇年代中葉の段階でこれを最初にマスターしたのは「リターン・トゥー・フォーエバー」二枚目のチック・コリアだったと記憶するが、モラツの技量はそれと完全に同期していたし、以後『i』からデュオに至る作品構成力はほとんどジョー・ザビヌルに比肩する。今まで見たこともないイエスを示した点で予想を裏切ったかもしれないが、それと同時にイエス自身にも見えなかった可能性を鋭利にえぐりだした点で、彼はイエス的な、あまりにイエス的な「奇跡的な飛躍」を演出した。

一個のミュージシャンと集団としてのバンドの出会いは「奇跡的」である。だが、さらに演奏者と楽器の出会いもまた「奇跡的」であるだろう。ひとはサンプリング・キーボードというと、それだけで許してしまう。だが、三昔近く前にエレクトーンが「どんな音でも出る」といわれながら出ず、二昔ほど前にはシンセザイザーが、「どんな音でも合成できる」といわれながら必ずしもできなかったのと同じで、サンプリングという名さえついていればよいわけではない。現時点でただ一機種といわれたら、カーツウェル以外はジャンクなのである。そしてモラツは、ほかならぬカーツウェル250の「名人」だ。彼は移動できないグランドピアノの代用品としてこれを選んだといっているが、じっさいにはサンプリングがモラツを選んだのではないか。その出会いの「奇跡」は、結果的な「名演」が名器でしか出ない音と名人でしか出せない音の区別を定かではなくする「奇跡」に尽きる。

むろん、あらゆる奇跡は感知されたときには霧散してしまっている。両手のひらには、再びアンダーソン、ウェイクマン、ハウの三者が残るにすぎまい。だからこそ、わたしたちは健忘症の渦中で再びあれらの痕跡を探るのだ、彼ら三人をイエスたらしめたのは、あの一瞬の10%ではなかったか、と。その瞬間の名前は、しかしもう思い出せない、もう永遠に。