1992/02/17

短編 "1955" とアリス・ウォーカーにおける白人観:第五章


第五章

クリオールとしてのアリス・ウォーカー
 では、これらの奇妙な非黒人的、白人的思考をどう解釈すべきだろうか。この疑問を、つまり、短編中の登場人物TraynorとGracie Mae stillとの間に見られる「優しい態度」にオーバーラップするウォーカーの「白人に対する優しい態度」を短編、"Nineteen Fifty-Five"に存在する言葉、"creole"をキーワードとして示していきたいと思う。この言葉は作品の4頁にでてくる。この「クレオール」という要素が実はウォーカーの白人的な要素を示してくれる大きなきっかけとなるのだ(注1)。
この言葉を幾つかの辞書で調べた結果、大体、次のように書かれている(注2)。

①(クリオール人)西インド諸島・モーリシャス(Mauritius)島・南米などに移住した白人(特にスペイン人)の子孫
②(クリオール人)米国Louisiana州のフランス系移民の子孫
③(クリオール人)クリオール人と黒人の混血児(=creole negro)
④(クリオール人)西インド・アメリカ大陸生まれの土着の黒人(=creole negro)
⑤(クリオール語)米国Louisiana州のフランス系移民の子孫の話すフランス語
⑥(クリオール語)混合[混交](言)語

 短編中でウォーカーの文中で使っている言葉はTraynorを例えた"a Loosianna creole"(p.4)つまり、この②のルイジアナ州のフランス系移民の子孫という意味なのであるが、ここで注意してほしいのは"creole"には「混血、または混合」という意味が隠されていることなのだ。
 上のことに関連して述べなくてはいけないことは、今福龍太氏による「クレオール」に関する説明である。今福氏は著作、『クレオール主義』の中でまず最初に言語学の領域で「クレオール」について簡単に言うと次の様に述べている。
 ピジン語とは、共有する言語をもたない複数の集団が交易等の目的で継続的に接触を繰り返す際に、相互のコミュニケーションの必要性からあみ出される一種の簡略化された言語のことをふつう指している。そしてクレオール語はいわばピジン語がネイティブ・スピーカーを獲得した時に発生すると考えられる言葉である。この状況は、特に植民地の黒人奴隷などのケースに典型的に見ることができるそうだ。17世紀から19世紀にかけて、多くの異なった言語集団に属するアフリカ人達が、ヨーロッパ人の手によって新大陸のサトウキビ・プランテーションの労働力として強制移住させられた。奴隷の第一世代がおかれた言語環境は、ほぼ先述のピジン語を発生させるような状況だったと考えられる。出身地域のことなるアフリカ人たちが共通言語をもたなかったので、また言語を習得するのには彼らの置かれた奴隷という状況があまりにも制約されたものだったので新大陸に生まれた黒人の子供たちは親の母国語よりも周囲で使われるピジン語にさらされてピジン語の方により強い言語的アイデンティフィケーションを示していった。そしてそのピジン語が一種の母国語となったとき、より厳密な表現の道具へと組織化していくのだ。この母国語である"LANGUAGE" ⇒ "PIDGINIZATION" ⇒"PIDGIN" ⇒"CREOLIZATION" ⇒"CREOLE" ⇒ "DECREOLIZATIION" ⇒"LANGUAGE"というプロセスを経て、クレオール語は日常生活のあらゆる側面をカバーすることのできる語彙と表現力を獲得してゆくのだ。これらはクレオール語の説明ではあるものの私が著者である今福氏と同様ここで注目したいのは次の点なのだ。
言語というような確固たる文化的体系ですら、接触や融合の結果として、伝統や一貫性から切り離された、「原型」への還元の力につねにさらされているということの重要性についてだ。すなわちこのクレオール化の力は、土着文化と母語の正統性を根拠として作り上げられてきたすべての制度や知識や論理を、まったく新しい非制度的なロジックによって無化し、人間を人間の内側から更新し、革新するヴィジョンをうみだす戦略となる可能性をひめているのだ。  (『クレオール主義』,p.200)
こうした、現実の言語的、民族的流動性を直接に反映する「クレオール」という概念を言語学的概念からより広く文化的概念まで拡大して、多民族社会のエスニシティの問題に切り込んだのが、R・B・ル・ペイジとアンドレ・タブレ=ケラーの『アイデンティティの行為---言語と民族性へのクレオール的アプローチ』である。両著者は、ベリーズを中心とする英語圏カリブ海のクレオール語社会での綿密なフィールド・ワークを基礎にして、アイデンティティとしての「クレオール」がどのようにして形成されるかについて述べている。(今福)その他に両者と同様に言語学ではなく文化人類学の視点から、「クレオール」というアイデンティティの成立と変容をめぐるさまざまな社会的力学について刺激的な考察を行ったのがヴァージニア・R・ドミンゲスの『定義上の白人---クレオール・ルイジアナの社会的分類』だそうだ。ドミンゲスによれば、「クレオール」とは歴史的には外国人の両親から生まれた土地の人間を指す一般的な名称であって、人種を問わない概念といえ当然白人も混血も含まれるものなのだという。特に南北戦争前のルイジアナでは、「クレオール」は人種ではなく、言語的・文化的要素をベースに定義されていて、主にフランス系やスペイン系の文化伝統と深く結び付けられていた。しかし、南北戦争終了後、「カテゴリーの混乱」が始まったのだ。
自由黒人、黒人クレオール、白人クレオール、混血クレオールなどのカテゴリーが無数に入り乱れ、概念の混乱を回避するため新しいかたちの差別化に向けてさまざまな民族的紛争が起こるのもまたこの時期であった。このころから、ルイジアナの住民は、<クレオール>という概念を自己と他者の区別化の際のきわめて恣意的で可変的な指標として利用するようになっていく。社会的に有利な文脈に応じて人々はおどろくほど自由に自己に自己のアイデンティティにかかわる規定を入れ替え、操作しながら<クレオール>という不定形の海のなかを上手に泳ぎきっていく。(『クレオール主義』,p.206)
上で示してきたように言語概念としての「クレオール」、そして流動的なアイデンティティ意識にかかわる文化概念としての「クレオール」の問題を見てきたわけだが、これらの点から従来の「民族的・言語的・文化的アイデンティティ」という固定化されてきた帰属の領域から脱したところでつねに「クレオール」という現象が生成することの確認をすることが可能になり、必然的に「ノン・エセンシャリズム」的認識論のもっとも力強い実践としての「クレオール主義」の存在を知ることができる(注3)。そこで、さらに次のステップとして今福氏は「思想の構え」としてクレオールを見ている。氏は、「全世界の旧植民地地帯に広く点在するさまざまなクレオール語のほぼ半数がカリブ海周辺地域に集中しているという事実は、この土地に現実に生じた言語と文化の融合と交配のプロセスがとりわけ激烈で継続的であったことを物語っている。だが、そうした言語的「クレオール語」圏としての現実的な意味合いを超えたところで、いまカリブ海地域が、思想としての「クレオール」を懐胎し生み出す特権的な場として私たちの前にたちあらわれつつある。」と述べている。そして思想的クレオーリズムの可能性にむけてまず最初に思索を開始したのがカリブ海の詩人や作家達だったといっている。小アンティル諸島の一角にあるグァダループ島の詩人サン・ジョン・ペルス、ハイチの作家でありハイチ共産党の創設者であるジャック・ルーマンらがその例だが、彼らのしたことはあくまでもそれまでの迷える「主体」に明確な存在感を与えることであり、カリブ的主体の構築をめざすという点で、たしかなアイデンティティ探求の視点によって追求されていたものだった。つまりカリブ海文学は「カリブ人」のイメージを造形することに努力を傾けていたわけである。そんな中でこの姿勢に限界を感じカリブ海における「主体性」の意識をクレオール的に脱構築していこうという行為に初めて踏み出したのがマルティニックの詩人エメ・セゼールだった。そして、「セゼールの深い影響力のもとに、ポスト・デカルト的、ポスト・サルトル的な意味で、「個人」にあるいは「主体」と呼ばれる概念にたいする従来の認識のドラスティックな転位の必要性を明確に宣言したのが、マルティニックの詩人・作家エデゥアール・グリッサン」(『クレオール主義』p.214-215)だったのだ。彼は『カリブ海のディスクール』において、「自我意識の崇高性、起源の純粋性、唯我論的に構造化されたエゴ」(『クレオール主義』p.215)といった概念にいまだに固執する近代思考の性向に強い批判を与える。混沌としたカリブ社会になんとか秩序と構造的統合を実現しようとしたサン・ジョン・ペルスに対して彼の限界を指摘するとともにグリッサンは次の様に自分自身のノン・エッセンシャリスト的思想を表している。
世界をもはや一つの体系としてみなすことはできなくなった。現実のいっけん穏やかに見える表面上に、あまりにも無数の他者と他所とが侵入しはじめているからだ。この進入しはじめているからだ。この侵入の現場にいながら、ペルスはなおも彼の安定性のヴィジョンを練りあげようとしている。(Glissant,p.229)
さらに、この思想を追求していくと、ついには一つの精神のトポスが、時には開放の、時には抑圧の装置として機能しうるという極めてポストコロニアルな経験をつみかさねることによって、彼/彼女らは「アイデンティティ」や「差異」といってものを、一種の非本質的な「関係」として、あるいは表像の「遊戯」のようなものとして了解するというクレオール主義的なストラテジーをいつのまにか身につけていったのだと今福氏は結論づけている。そしてこの例を示すためにこの状況に自分を投げ込み、人種とジェンダーと表現の権威の問題とに果敢にたちむかった一人の黒人女性を挙げている。1920年代から30年代にかけてハーレム・ルネッサンスを駆け抜け、アメリカ南部とカリブ海の黒人フォークロアの世界に身を沈めた作家であり人類学者であるゾラ・ニール・ハーストンである。
 今福氏によるとハーストンは『黒人であるとはどんな感じか』(1928年)の中で白人のステレオタイプとしての「ジャングル」という場のエキゾチックな輝きを逆手にとりながら、彼女自身の黒人としての自己意識の一つのありかたを表明しているという。
たとえば、わたしたちが白人といっしょにキャバレー<新世界>の隙間風の入る地下室に座っているようなとき、わたしの色はやってくる。......いつものようにだしぬけのやり方で、ジャズ・オーケストラがやにわに演奏をはじめる。いささかも逡巡することなく、彼らはすぐさま曲のヤマ場にとりかかる。そのテンポや、幻覚を誘引するハーモニーは、わたしの胸をしめつけ、心臓を引き裂く。楽団はしだいに荒々しく暴走をはじめ、後ろ足で立ち上がり、原始の怒りもあらわに音のヴェールに襲いかかり、それを掻きむしり、引っ掻き、そしてついにはジャングルへ飛び越えていってしまう。わたしもこの未開人たちにつづく ―― 歓喜に狂わんばかりになって。イァーオー!ここはジャングル、風習もジャングル流だ。わたしの顔は赤と黄色に塗られ、身体は青に塗られている。脈は戦いのドラムのように打っている。なにかを虐殺したくなる。ないかはわからないが、痛めつけ殺してやりたくなる。けれどもそのとき、不意に曲が終わる。ミュージシャンたちは唇をぬぐい、指を休める。最後の音がはてるとともに、文明と呼ばれる虚飾の世界へとわたしはそっと帰ってゆく。そして白人の友人がじっと隣の席に座ったまま、静かに煙草をふかしているのに気づく。「いい音楽だね」と彼は指先でテーブルを叩きながら言う。音楽。紫や赤の巨大な感情の魂は、彼の心を揺さぶりはしなかったのだ。わたしが感じたものを、彼のほうはただ聞いていたにすぎない。彼はひどく遠くにいて、わたしたち二人を分ける海と大陸ごしに、彼の姿がぼんやりと見えるだけだった。そのとき、彼の肌はその白さのためにぞっとするほど蒼白く、わたしはといえば、たとえようもなく黒かった。("How it feels to be colored me" in I Love Myself When I Am Laughing…: A Zora Neal Hurston Reader.p.154)
このようにここでは、ハーストンはジャズのような音楽を「感じる」ということを「黒人であること」の現れとしてとらえ、黒人にはその感覚能力があることを示唆している。しかし、このジャズによって導かれる黒人性を保証する「ジャングル」という「ナイーブな母体空間」は決して現実のものではなかった。この事実は現代アメリカの批評家バーバラ・ジョンソンの論集『差異の世界』に収められた「差異の境界---ゾラ・ニール・ハ-ストンにおける語りかけの構造」という論文で示され、ハーストンにとってのジャングルへの越境は「黒人」というもう一つの「仮面」をつけているにすぎないことを説得的に証明した。この、身体を原色に塗って密林で踊るハーストンの高揚した自己意識は、実は外側からのステレオティピカルな目で見た時、キャバレーのテーブルを叩く白人の指先に現れた「戦いのドラム」が示す神経質で疎外された構図の、たんなる裏返しでしかなかったからだ。そしてこの黒人の「ジャングル」というメタファーに回帰することの幻想性を確信させるハーストンのエッセイ『白人の出版社が活字にしないものとは』という文章の次の一節をみてほしい。
上流階級に属するニグロが登場する物語において、挫折が執拗に描き出されるという事実は、おそらく大多数の人間の潜在意識から生まれるなにかを物語っているだろう。......この奇妙な原理はきわめて広汎に受容されているがゆえに、もはや悲劇である。納得したければそれをめぐる膨大な文献を調べていればよい。どんなに高いところまで昇ったようにみえようとも、ちょっと揺さぶってやりさえすれば、本来の姿へ、つまり未開の地へとわたしたちは回帰する、というわけだ。西欧文明は皮膚どまりで、その下のわたしたちの血管のなかでは、ジャングルのドラムが脈打っている、というわけなのである。 (Barbara Johnson,pp.172-183)
このハーストンの言葉はドミナントな白人社会のなかで幻想されている「ジャングル」という概念を「黒人」といかに短絡的に結び付けているかを主張している。この点に関して今福氏はハーストン自身の黒人としての、そして女性としての「主体」そのものが、さまざまな社会的条件に接合されることで流動状態になっているためだと指摘している。このような状態をハーストンの文章を貫くものととらえ、彼女の文章の特徴として「自由間接話法」の多様の問題として論じたのが、ヘンリー・ルイス・ゲイツJr.の論文「ゾラ・ニール・ハーストンと喋るテクスト」である。ハーストンの『彼らの眼は神を見ていた』のディスクールには、黒人の口承的比喩表現としての「シグニファイング」の技法を応用したヴァナキュラーな「話しことば」を記述言語の領域に移しかえるという冒険的なこころみがあったが、ゲイツが強調している重要な点はそこで使用された「自由間接話法」の手段である。ゲイツの分析によると自由間接話法の特性は、物語の主人公と、それを客観的に物語るテクストの語り手の意識との一種の「混交状態」にあり、ゲイツによれば、自由間接話法によって浮かび上がってくるのは、ハイブリッドな人物像のなかに表現された著者の自己意識そのものの多義的な揺れなのだという。そして、ゲイツはハーストンの語り手としての「教養のことば」と、「慣用的で口承的な黒人の日常の声」との間のたえざる往復運動のなかから浮上してくるこの小説のスタイルを「二重の声による語り」と呼んでいる。ゲイツは別のエッセイで次のように言っている。
ここにあるのは分裂した声であり、調停することが不可能な二重の声である。だが、まさにそうした二重の声の実現こそ、彼女のもっとも偉大な達成であると思われる。なぜならそれは、男性の支配する世界におかれた女性、そして白人が優位に立つ世界に住む黒人、という彼女の二重にもつれた社会的経験の、言葉による表現だったからである。("Zora Neal Hurston: A Negro Way of Saying", in Hurston, Mules and Men,p.294)
つまり、ハーストンは「アイデンティティ」とか「体質」とかいったものが、単一で普遍的な一つの実体や価値観として提示されうるという前提そのものを作品中で脱構築しようとしていたのである。
 同様なことが、実は、ハーストンを師とあおいでいたウォーカーにも言えるのである。Kauffmanや、Gatesによると先に示した小説、The Color Purple(1982)においてウォーカーはこのHurston の二重の声、"Paradox"に気付いたとみられるのだ。実はウォーカーは"epistorary narration"、書簡体の「語り」にすることで自分の「語り(声)」を消しさり、Hurstonのように"authorical voice"を分散することに成功していたのだ。また、Kauffmanに言わせると、セリ-の自分自身を構成していくというストーリーの過程で、それと同時に"the necessity of multiple decenterings" (p.218)をウォーカーは示しているという。例えば、制度化した宗教、強制的ヘテロセクシャリティ、ロマンティックな愛のイデオロギーなどの集中化の排除、分散、否定を示しているのだ。この主張は上のウォーカーの自分の声の分散と重なって興味深い点である。また、このウォーカーの自分の声の分散をもっとも象徴的にしめしているのは、やはり、この論文の前の章で示した小説、The Color Purple(1982)の最初に書かれたウォーカーの言葉"To the spirit: without whose assistance neither this book nor I would have been written."のように自分を媒体化して無数の声が巫女である自分を通して語ったかのようにいう部分である。勿論これは黒人と白人を自分の中に認めているが故の「逃げ」としか見えないのだ。
 ここでアーサー・シュレージンガー,Jr.によって書かれた『アメリカの分裂』(1992年)の中の監訳者あとがきに書かれた言葉を引用したい。
...多様性を統一体に転形させるメカニズムこそが、「アメリカ的信条」ないしは同化と統一をうながす市民的文化なのだが、それが今日、民族性主唱の論者による挑戦を受け、基本的な形で拒否されているのである。しかもこの動向は、未来志向ではなくルーツ探求という歴史に訴える形をとり、言わば「歴史を武器として濫用」(八二ページ)することにより、全国の学園をおびやかすにいたっている。歴史学者であるシュレージンガ-は、特に、この点で心を痛め、警世の一書をものにしたのだったと思う。
(『アメリカの分裂』p.189)
この『アメリカの分裂』の書かれた目的を知ることにより、ここでアメリカ文化の「多様性を統一体に転形させる文化」に関する知識を確認してほしい。この他にこの本には次のような説明がある。それは、上に書かれた引用と同じ内容を示している。著者のアーサー・シュレージンガー,Jr.は民族中心論者たちの努力にもかかわらず、少数民族集団の人たちは、お互いにそんなに自閉的になっているわけではないということをまず述べ、例外としてその民族中心論者が権威をもつ存在となっている大学のような特殊の状況の場合があるかもしれないが、どの新聞の結婚通知欄を見ても、近頃は、民族の垣根を越え、宗教の垣根を越え、時には人種の垣根をさえ越えての結婚にたいし、抵抗が少なくなっていることが分かるといっている。Stephan Thernstrom のアジア系アメリカ人の結婚に関する調査によればその約半分は、その相手が非東洋人であり、また、Gregory Stephensの国勢調査庁の統計によれば、異人種間の結婚――その大部分が黒人と白人とのあいだのもの――が、1970年には31万件であったのに対し、1990年には100万件に達しているという。勿論この統計の中に、離婚をしたものの1967年に白人と一度結婚したウォーカーのことも含まれているのだろう。これらのアーサー・シュレジンガー、Jr.の文献の示す内容と今福氏が使用したキーワード「クレオール」である植民地の密林から生まれた異種混交的(ヘテロジニアス)な言語であり、文化は国境を超え、人種を越えて??いくという説明との間に、文化の混血主義がおこり世界が「混血」へと向かっているという共通性があることが非常に重要である。そして、そのことはこの論文の目的である従来言われてきたウォーカーの人種とジェンダーの公平さに敢然と立ち向かっていく黒人女性作家というイメージを破る。そして、ウォーカーの否定的側面である白人崇拝的な要素を示していくための大きなきっかけとなるキーワードとなり、アーサー・シュレージンガー,Jr.も示している構造主義以降、現代の文化の流動性が「主体」に関わっていることを示すという目的を達成してくれている。さて、彼女のこの姿勢を示す大きなきっかけとして私は短編"Nineteen Fifty-Five"について論じてきた。この作品は、一見して従来から言われている「黒人対白人」の構図を覆すと同時に、Gracie Mae StillによるTraynorへの「優しい態度」が描かれた粗筋どおりのウォーカーの白人性を皮肉なことに描写している。ウォーカーは、あくまでも白人至上主義であるアメリカに住む人間であり、白人の要素をもつクレオール(いわば混成主体、MULTI-ETHNIC)なのだ。そして、構造主義以降、文化もその主体の形成に関わっているというのが私の結論である。作品の粗筋が「白人対黒人」の構図で片づかないのと同様に、ウォーカー自身もまた作家として「白人対黒人」の構図を破っており、そのキーワード「クレオール」にいたるまで、作品内のストーリーがウォーカーの白人性の特徴と完全にオーバーラップし、全てがこの作品に集約されているのだ。この二重の構造を示すこともこの論文の目的の一つであることに気付いてもらえただろうか。


(注1) 辞書では"creole"のことを「クリオール」と発音するのだと示しているが、今福 龍太氏を始めとする邦語の文献の多くが「クレオール」と書いていることから、この論文では辞書の"creole"の定義づけ6つ以外は全て、「クレオール」で統一することにした。
(注2) 中島 文雄編者 『岩波 英和大辞典』そして、岩崎 民平、小稲 義男監修『新英和大辞典』を二つ合わせたものを6つ明記してある。
(注3)今福氏はさらにアリス・ウォーカーを例にあげることで性差をも越えると述べているが、ここでは重要ではないのでその点についてはあえて触れない。


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