日本アメリカ文学会北海道支部
第 201回談話会
「ニューヨーク文学思想史の試み」
発表者:巽孝之(慶應義塾大学名誉教授/慶應義塾ニューヨーク学院長)
司会:本城誠二(北海学園大学名誉教授)
日時:2023年 6月 24日(土) 午後 4:00-6:00
会場:札幌市立大学サテライト・キャンパス
(札幌市中央区北4条西5丁目
アスティ45ビル12階 ※アクセス)
※対面および Zoomによるハイブリッド開催
※詳細は日本アメリカ文学会北海道支部 HPをご覧ください。
【要旨】
マンハッタンから慶應義塾ニューヨーク学院へ向かうには、コネティカットとの州境に接続する「アン・ハッチンソン・リヴァー・パークウェイ」(Anne Hutchinson River Parkway)という名のハイウェイを通らねばならない。
ハッチンソン? あの、ピューリタン植民地時代初期のマサチューセッツで反律法主義論争を引き起こし、異端審問のあげく破門されロードアイランドへ追放され、ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』でも言及される、あのアン・マーベリー・ハッチンソン (1591-1643) か?
その通り。たしかに、彼女は最終的にはニューヨークへ移り、インディアンに殺されている。だが、にもかかわらず、一体なぜ彼女がニューヨーク郊外でも最も目立つハイウェイの名前になるほど、麗々しく讃えられているのか?
ニューヨークとニューイングランドのはざまで、ハッチンソンが謎をかける。それを解くならば、ワシントン・アーヴィングのニッカーボッカー派やハーマン・メルヴィルが傾倒したピンクスター黒人音楽祭の本質のみならず、ハッチンソンの同時代にあたる 1640年代に、一体なぜ日本からポルトガル系カトリックが一掃されオランダ系プロテスタントに優先権が与えられたのか、そのゆえんも、明らかになるだろう。
【関連リンク】